島田紳介の引退騒動では、多くの芸能人・著名人・果ては政治家がコメントを発している。
まだ暫くはざわついた雰囲気をテレビやインターネットから感じるのだろう。
そんな中、上地雄輔のブログ記事とそれに対するコメントについて
http://ameblo.jp/kamijiyusuke/entry-10996865827.html
実際私もこの記事を読んだ、コメントも一部ではあるが読んだ。
確かに文章は30代男性『社会人』の書く文章ではないかもしれない。
だが私はこの文章に『人としての真っ当且つ正常な感情』を感じた。
文章としての良悪ではなく、彼が書き表したかった30代のくせにバカ素直過ぎる悔しさを
指をさして笑う事は格好悪くないのだろうか。
そもそも本来『陰口』とはそれ自体が忌むべきものであり
本人の目耳に届かぬよう『陰』で囁く物であったはずである。
パスワードで管理されていようが、どこかに"ほつれ"が生じれば途端に世界へと漏れ出す。
『陰口』を叩くには余りにも見えすぎるのである。
30代以上の大人は、パソコン・インターネットが普及した時点で既に10代後半以上であるので、
基本的にはネットでの立居振舞は弁えていると思われるが(一部に存在するであろう酷い例外は除く)
インターネットでの繋がりの中で平然と他人の悪口を連ねる。
○○が嫌い
○○消えればいいのに
それらは『○○』という単語を検索すれば見つける事が容易である。
探さなければいい。
見た方が悪い。
本当にそうだろうか?
そもそも『陰口』は端から見れば醜い、【悪】だったはずではないか。
陰口を叩く側も、それが分かっていたからこそこそと話していたのではないか。
そんな当たり前だったはずの節度を、子供たちはいつから学べなくなったのか。
まさにその頃いじめていた人間、いじめられていた人間、ただ見ていた人間が
今親となっているのであろう。
それも『インターネット』という目に見えないとてつもなく大きな世界の中で。
例えば他人の悪口をネット上で放っているのが自分自身でも同じである。
それは恐ろしい事ではないのか?
いつ自分が、自分の家族が、上地の立場に立たされるか分からない世界で
声高に騒ぎ立てている事に恐怖のかけらも感じていない。
島田紳介の引退から上地雄輔のブログの文章、そして周囲の反応に関しては、
夏が終わる前に一度真剣に考えてみてはどうだろう。
ただ笑って「あれ酷いよね」と終わらせる身近な誰かを放っておいてはいけない。
顔と顔を合わせ、お互いの醜い顔を確認する事で「悪い事」と感じることが必要なのである。
そう思っていた時期もありました。
いや、陰口は陰の見えないところで叩くから陰口って言うんだって
陰口を表でたたいたら喧嘩になるだろうが
いつ自分が、自分の家族が、上地の立場に立たされるか分からない世界で ないわ たまにこういうこと書く人が居るけど 何が、どういう理由で叩かれるのか判断が付かず不安なんだろ...
のに何を言っているんだか。轟々に批難されるべき人でなしでも、面を向きあわせている間は危険を避けるためにお世辞などでやり過ごすだろうね、俺は。それにたとえ身の安全が完全...