2011-08-26

陰口はインターネットで叩くものではない。

島田紳介の引退騒動では、多くの芸能人著名人・果ては政治家コメントを発している。

まだ暫くはざわついた雰囲気をテレビインターネットから感じるのだろう。

そんな中、上地雄輔ブログ記事とそれに対するコメントについて

ネット上では失笑嘲笑の嵐となっている。

http://ameblo.jp/kamijiyusuke/entry-10996865827.html

実際私もこの記事を読んだ、コメントも一部ではあるが読んだ。

確かに文章は30代男性社会人』の書く文章ではないかもしれない。

だが私はこの文章に『人としての真っ当且つ正常な感情』を感じた。

匿名匿名を批判する事もどうかと考えたが敢えて書く

2chツイッターでこの日記を一笑に付して終わるのは

心のどこかに生えた黴を放置するようなものなのではないか

文章としての良悪ではなく、彼が書き表したかった30代のくせにバカ素直過ぎる悔しさを

指をさして笑う事は格好悪くないのだろうか。


そもそも本来『陰口』とはそれ自体が忌むべきものであり

本人の目耳に届かぬよう『陰』で囁く物であったはずである

ネットは誰もが理解している通りどこまでも『表』である

パスワード管理されていようが、どこかに"ほつれ"が生じれば途端に世界へと漏れ出す。

『陰口』を叩くには余りにも見えすぎるのである

30代以上の大人は、パソコンインターネットが普及した時点で既に10代後半以上であるので、

基本的にはネットでの立居振舞は弁えていると思われるが(一部に存在するであろう酷い例外は除く)

10代~20代前半の所謂『声の大きい世代』は、

インターネットでの繋がりの中で平然と他人の悪口を連ねる。

○○が嫌い

○○消えればいいのに

それらは『○○』という単語検索すれば見つける事が容易である

ウェブ上の検索システムは、恐ろしいほどに正確なのである

探さなければいい。

見た方が悪い。

本当にそうだろうか?

そもそも『陰口』は端から見れば醜い、【悪】だったはずではないか

陰口を叩く側も、それが分かっていたからこそこそと話していたのではないか

そんな当たり前だったはずの節度を、子供たちはいから学べなくなったのか。

思えば、"いじめ"という言葉テレビで騒がれた頃。

まさにその頃いじめていた人間いじめられていた人間、ただ見ていた人間

今親となっているのであろう。

君たちが親に隠れて送っていた学生としての日常生活

君たちの子供も送っているかもしれないのだ。

それも『インターネット』という目に見えないとてつもなく大きな世界の中で。

例えば他人の悪口をネット上で放っているのが自分自身でも同じである

それは恐ろしい事ではないのか?

いつ自分が、自分家族が、上地の立場に立たされるか分からない世界

声高に騒ぎ立てている事に恐怖のかけらも感じていない。

島田紳介の引退から上地雄輔ブログの文章、そして周囲の反応に関しては、

夏が終わる前に一度真剣に考えてみてはどうだろう。

ただ笑って「あれ酷いよね」と終わらせる身近な誰かを放っておいてはいけない。

陰口は、インターネットで叩くものではない。

顔と顔を合わせ、お互いの醜い顔を確認する事で「悪い事」と感じることが必要なのである

心が毒される前に、まだ表情が豊かなうちに、それを知っておくべきなのである

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