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2018-01-07

日本人の物真似観

年末の笑ってはいけないテレビ番組を発端に

日本人が顔を黒く塗るのはアフリカ人種差別か?という論争が巻き起こっている。

当該のテレビ番組問題となったのは、

出演者一同がアメリカ保安官に扮するなか

1人だけ映画ビバリーヒルズコップ」のエディマーフィーのコスプレをさせられるというシーンだった。

この番組ではダウンタウン浜ちゃんが1人だけ番組趣旨から少しだけ外れた仮装を行うことが恒例となっている。

まり番組テーマをしっかり理解していない」という体のボケであり、

番組が仕掛けたくだらないギャグ浜ちゃんが巻き込まれ不条理さも相まって独特な可笑しさを楽しむ風景なのだ

この番組は無論アフリカ人種(以下「アフリカ人」)を卑下する意図はなく

単にエディマーフィーのコスプレをさせただけのつもりだったが

ミンストレルショー」のトラウマ根深欧米人から非難があがり問題となっている。

僕が言及したいのはなぜアフリカ人コスプレテレビ番組的に言えば物真似をするときに、日本人は黒塗りをしてしまうのか、

そして「ミンストレルショー」の存在を知ってもなおここまで非難されることに日本人は納得できないのかということだ。

ここからあくまで僕の意見になるが、

日本人は物真似を形態模写という職人芸として捉えているのに対し、

欧米人は物真似を風刺手段だと認識しており、そのギャップが今回の問題の噛み合わないところなのではないだろうか。

日本テレビで見られる物真似は

白山雅一江戸屋猫八等に代表されるような寄席演芸で培われた職人芸の延長線上にある。

なので似ていればいるほど賞賛され、

鍛錬の成果や手間暇が垣間見えれば

それは「対象への憧れからくる興味の現れ」として敬意の証とされる。

一方欧米におけるコメディ宮廷道化師ルーツがあり、

かに対する批判風刺表現しているという感覚根底にあるように見える。

その文脈の中で物真似とは対象揶揄する行いであり、対象を貶しているのである

今回の騒動に当てはめれば

エディマーフィーに好意的感情があるからこそ物真似のモチーフに選び

しかもわざわざ凝った黒塗りの扮装までしていると日本人は捉える。

しかし見下げる感覚があるから表層を真似るのだという前提が欧米ステージショーには存在するため

欧米人は180度違う意図があるように感じてしまったのではないだろうか。

もはやこれは文化的断裂でありどちらかが折れれば済むことではないと僕は思う

この騒動で指で目を釣り上げる行為を引き合いに出す人もいたがズレていると思う。

簡易的で尚且つ日本人実態からかけ離れた物真似だからこの振舞いを不快に感じるのであって

アジア人の扮装だから不快なのではないと思う。

 
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