2023-03-15

10代のころ、なんであんなに彼女が欲しかったんだろう

とにかく欲しかった。誰かが好きになるというかは誰かを彼女にしたかった。

ただ積極的ではないので、空から美少女が降ってくれればいいみたいな夢想をしていた。

あと、積極的モテるようなファッションをするというのは負けとおもっていたのでそんなモテたい素振りをしないようにしていた。今思えばどうしてそれをしなかったんだと思うが…

高校生の頃、彼女ができる夢を見た。特定の誰かではなく、架空人物、その時僕はついに「ついに僕にもできたぁぁ!!」という気持ちで、今でもその高揚感を覚えている。そして目が覚めた時にそれが夢だと分かったときの落胆ぶりも覚えている。

好きな人と付き合いたいではなく、誰かと付き合いたいだった。

90年代は、何かと恋愛文化重要視されていて、ドラマ恋愛ものほとんどだったし、やらずに二十歳を超えることを「ヤラハタ」と言われて童貞は恥ずべきものというのが男どもの共通認識であった。

今ほど多様性が許されてはいなかった。

彼女ができるというのは、その社会での一つ上のステップにいけるという気持ちだったのかもしれない。

いわゆるトロフィーってやつ。

19のときに初彼女ができた。しかし1か月で別れた。それでもなお僕は「彼女いたことがある人間だぜ。20歳前にできたんだぜ」という気持ちになった。

大学合格したときみたいな気持ちだった。

完全にトロフィーだよね。何を勉強するかではなく偏差値大学を決めている人間と同じだったわけだ。

彼女と別れた後も、付き合っている状態じゃないとダメだという気持ちになった、フラフラし始めてしまったが、

その後いろいろあって大人になって、大学時代にできた彼女と(前述の人の次に付き合った人)そのまま卒業と同時に結婚した。

ステータス世間体じゃなく人として見るということを教えてもらったんだね。なお妻は大学生ではなく、自分の周りとは違った価値観を教えてくれた。年もだいぶ違ったし。

19歳の頃初彼女ができなかったり、今の妻に出会えなかったりして、あの頃のトロフィーを求める気持ちをもったまま今の年齢になっていたらどんな人間になっていたんだろうと思うことがある。

ある時から諦観していたと思う。僕を選ばない側が悪いと思っただろう。それには根拠があって、こじれていた16くらいの頃はでも、チャラい男を選ぶ女が目がないという気持ちになっていたからね。

勉強ができる僕のような人がいいだろうとも思っていた。

その気持ちはおそらくずっと増幅されることになっただろう。

あと、当時のスクールカースト上位の男子たちを疎ましくも思いつつも、どこかあこがれているところがあった。

僕は本当はおしゃれしたいけれど、気恥ずかしさがあってできない。それをやすやすと越えている連中はすごいという気持ちもあったが、鬱屈しているメンタリティは素直になれない。

当時の僕は連中がなんでモテるのかの分析もできていなかった。

強そうだからモテるとか、イケメンからもてるとか、はやりのファッションをきているからだとか、体育会系からとか、表面的な分析しかならないわけだ。

から、連中のことを嫌だと思いつつ、自分にないものを持っていて社会に認められているとも思っている。つまり強さとか男らしさというモノの価値を逆説的に認めちゃっている状態だった。

このまま僕があのまま年を取っていたら、男らしさというモノへの羨望と恨みで鬱屈した感情を持つかもしれない。

「僕は男らしさを持てなかった。男らしさは低俗ものだ。粗暴だ。だからあえて持たなかったともいえる。でもそれでは女からは見向きもされない。女どもは男らしさを無くせというが、その結果が俺みたいなもんなんだぞ」と思っていそうだ。

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