2021-11-25

anond:20211124112959

一生牛丼マンを目にして、聞いたことあったなーと思ってググってみた。

8年も前の事だったんだなと改めて思った。

このIT社長が言いたいことは少し分かるけど、違うよなーと思っていたら、

その当時同じように思っている人もいた事が分かった。

 

http://gdeg.jp/2013/10/06/427/

 

「一生牛丼マン」の経済合理性

 

牛丼店で680円以上使うと出世しない? 年収3億円社長が語るその理由

 

要約すると「牛丼チェーンで高いメニュー頼むのは経済合理性を欠いた行為。そういう事する奴は出世できない。」という事らしいけど、突っ込みどころ満載。結論から言うと牛丼チェーンで一番高いメニューを食べるのは十分に経済合理性に適った行為。以下、この「ある新進IT企業社長K氏(30代後半)」が痛い理由説明する。

 

牛丼チェーンのスケールメリット無視するな

この社長牛丼チェーンに対する「個人がやっているような定食屋」の費用対効果における優位性を主張しているが、そもそも吉野野みたいに大きい牛丼チェーンは大量仕入れによってずっと安く材料費を抑える事ができる。そのスケールメリットには「個人がやっているような定食屋」は敵いようがない。よって、吉野屋で600円、700円で実現できる味と量を「個人がやっているような定食屋」が実現するのは実はかなりハードルが高い。

 

定食屋の立地も無視するな

もう1つ牛丼チェーンには「全国どこでも同じ価格」という優位性がある。一方て「個人がやっているような定食屋」は自分の持ち家でやってる場合を除き、立地によっては高額の家賃に悩まされる。そしてそれは当然値段に反映される。実は最近、私は都心オフィスを構えるクライアントさんとそのオフィスの周辺にあるスパゲッティ屋について情報交換したのだが、「サイゼリヤが一番おいしい。個人経営スパゲッティ専門店(1000円くらいするとこ)は実は全然おいしくない。」という結論に達した。

 

体験や習慣の価値無視するな

この「ある新進IT企業社長K氏(30代後半)」は値段と味しか観ていないが、一生牛丼マンにとってはおなじみのオレンジ看板の下で「つゆだく」だとかおなじみの台詞を言う習慣にこそ価値があるかもしれない。それも牛丼チェーンのブランド力が実現する事であって「個人がやっているような定食屋」にはない。もちろん「個人がやっているような定食屋」に入ってfacebook写真をアップしてグルメ気取る体験自分で作った料理写真をアップして「俺いけてるぜ」アピールする事にも価値があるだろう。そのいずれも個人価値観によって体験価値は異なるであってこの社長のように一般的価値判断基準として語るのは暴論とうけとられても仕方がない。

 

「与えたられた小さな枠の中でしか発想できないやつ」はお前自身

結局この社長って「牛丼以外の美味しい物知ってる俺かっけー」と言いたいだけ。「モンハンに費やす時間The Elder Scrollsシリーズプレイできる。与えたられた小さな枠の中でしか選択できないこういう奴のことを『一生モンハンマン』と言って馬鹿しています。」と言ってるのと同じ。

 

ところで、私はこの「ある新進IT企業社長K氏(30代後半)」について、確証はないのだが多分あの人だろうなと心当りがある。もし本当に彼だとするなら彼の「年収3億円」を支えるのは世間的には「金と時間無駄使い」と認識されているサービスであると同時に、まさに私が述べた「体験価値」や「価値観の多様性」によって支えられてる産業である事を忘れてはいないだろうか。自己顕示欲旺盛な性格で、庶民の営みを馬鹿にして粋がりたいのは分かるけど、自社のサービスのお客さんまで馬鹿にするような態度だと内外から反感買って自滅するぞ。

 

カテゴリー: Blog | 投稿日: 06/10/2013 | 投稿者: Kensuke Shimoda

 

牛丼屋やチェーン店うどん屋そば屋で、

ここで旨いものを求めてもしょうがない、ここは安く済ませる為の食堂

旨いものは他に行って食べればいい、そういう考えを持つようになったのは

30代になってからじゃなかったかな。

「一生牛丼マン」という増田を見て思い出した。

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