2021-04-14

自分人権軽視の差別主義者なんだと思う


2年前くらいか匿名ダイアリーとかはてブとか使いだして、今までの人生じゃ全然触れてこなかった情報問題に触れるようになって、自分の考えを相対的に捉える機会が増えた。

その結果、自分自己責任論や自助思考が強くて、一般的はてな的?)には人権を軽視する差別主義者というくくりになるんだと思う。

具体的に言えば、少数の生活を助けるために多数が苦労するのは無駄だと思っちゃう現在日本で言えば高齢者不自由なく暮らせるようになるために若年性代に過剰な負担結果的に国や社会の首を締めてるって。

こう言うと「自分がその立場になったときの事を考えないのか?」的な反論がよくあるけど、自分がその立場になったら見捨ててくれていいと思ってる(実際にその立場になったときに確実にそう思えるかの保証はないけど)。

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車椅子障害者の件は、業務の一環というのもあるから上記の限りではなくて微妙な話だとは思うけど、代替手段があるならタクシー使えばいいじゃんなんて。

業務ではなくて、障害者を健常者が過剰な負担で支える必要があるのであれば、それも良しとしていいのか考えるべきだと思っちゃう

あとよく言われる「遺伝子多様性」なんてのも障害者高齢者とか「自身での生活が難しい人間」を支えるコストがあれば、レッドリスト生物どれだけ救えるんだろうとか遺伝子多様性的にはそっちのほうが重要じゃないとか。

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同じ社会構成員として今は弱者と言われる人たちを助けることが、結果的自分や周りの人を助けることになるってのはもちろんよく分かる。

ただ、それが果たして現実的なのかってのがピンとこないのと、発展や効率を考えると無駄ことなんじゃないかって合理性を考えてしまって、

当然こういった意見を持つことが現在一般的価値観からすれば蛇蝎のごとく嫌われる差別的価値観であることはわかってるけど、倫理道徳との葛藤が終わらない。

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