2018-12-20

話題南青山に住んで、話題公立小に通っていた

いま話題になっている南青山児童相談所。その学区である青南小に通っていたので経験を書きたい。もう20年以上前になる。我が家は、私が小学校にあがる時期に合わせて南青山(5丁目)に引っ越した。卒業後は、他県の私立中に入ったので、引っ越したし、私は今は別の区に住んでいるので、最近南青山事情は知らない。この話は、表参道の駅が綺麗になる前のことだ。(いまは本当に綺麗な駅だよね)

だいぶ昔なので、いまは少々事情が異なるかもしれない。はじめに結論を書くと、“貧乏な子”たちは児相云々以前に青南小に存在していたし、家庭に事情を抱えている子もある程度いた。そして、私はそういった子たちを受け入れられるような教育を受けた。

児相が出来てもし青南に通うことがあったら、恐らく学校の中で受容されて社会になじめるようになるだろうし、“金持ちの子たちも多様性理解できるようになると思う。特に中学校受験をして私立に通えばそういうバックグラウンドを持った人たちと関わることはほぼ無くなるので教育プラスに働くのではないか。私はプラスになったと、いま感じている。

さて、青南小学校に通っていた頃、私の学年には100人弱の生徒がいた。その内、4割が越境(近場はガーデンヒルズ。あとは世田谷が多かった)、2割が地元に元々住んでいた人、4割が私のように小学校に合わせて南青山引っ越してきたり公務員住宅に住んでいた人だったと思う(引越民)。越境割合はほぼ間違いないが、地元民と引越民の割合はすこし違うかもしれない。

そう、越境が意外と多い。そして越境はだいたい金持ちだ。緊急時の下校班みたいのがあって、帰る路線別に班になっていたので、学校先生たちも越境前提だったと思う。いまは越境ハードルが下がったと聞くので、もっといかもしれない。

また、校舎の目の前とフロムファーストの裏の2箇所に官舎が有り(当時)、財務省外務省などの役人の子息が多かったように思う。彼らも金持ちだったし、親がプライド高いのか、本人らもプライドが高い子が多かった。とは言え、根は優しいので少なくとも表向きは皆と仲良くしていた。

地元民は意外と質素暮らしをしていた。彼らは北青山団地や、根津美術館の脇から西麻布に抜けるエリアに住んでいた。家に遊びに行くと築40以上の一軒家に住んでおり、車も持ってなかったり、持っていても国産車だったりした。家の中も取り立てて豪華でもない。共働きも多かった。団地の子たちは片親だったり、何かしら事情がある子だった。そう、児相に駆け込まざるを得ない子たちと同じ背景を持った子たちである

 

そうした子達が問題を抱えていることは教師が生徒たちに説明することもあり、ある子が不登校になった時は(いじめはなかった)、皆で解決策を考えて受け入れられるように環境を変えたこともあった。

 

私は“金持ち”の部類だったと思う。だが、“貧乏な子”たちも遊んだ。小さい公園西麻布の手前にあるのだが、その公園でなわとびをしたりしてよく遊んだ赤坂米軍基地の裏のサッカー場でみんなでボールを持って行って遊んだりもした。こどもの城ラウンジカードゲームをして1日中過ごしたりした。子供の間では親の所得職業などは知っているが特に意識せず、それによって階層が出来たり、仲間はずれができたりしたことはなかった。

  

過半数の“金持ちの子は育ちの良いので素直だ。まだ自意識などが固まらないうちに、多様な背景を持つ子と生活することで、損得や利己的な感情ではなく、人と人として向き合えるようになると思う。

いま児相建設に反対している親は他人の子が「かわいそう」などと思わず自分の子が将来心の広い人物になれるように、児相建設に賛成するようになってほしい。

  • セルフIMAKITAして

    • 青南には児相にいるみたいな子は既にいて みんな上手くやってるから 児相が出来ても大して変わらない

  • でもキモくて金のないおっさんに対しては損得や利己的な感情を優先して向き合わなくても問題だと思わないんですよねわかります

  • 20年前と今とじゃ事情が違うんだよね。 南青山とは縁もゆかりもないただの地方民だが、今の公立校って本当に先生が委縮してる。 問題児がいても強硬手段が取れないから、問題児が...

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