元々は子供は要らなかった、つーか喪女で結婚も出来ないと思ってたしどうでもよかったが妹が子供を産み、その赤子が超絶可愛かった。
この子の為なら死ねると言ってたら妹から「そういうのは親がやるからおばさんが重い愛をそそがんといて自分の子供を作れ」と言われた。
それもそうだ子供が欲しいと思ったのでギリギリ二十代で結婚する事にし、幸い母親の新しい友達にお見合いおばさんがいたので紹介してもらい結婚、相手も高齢童貞だった。
毎晩頑張ったが痛そうな顔をすると夫が萎えて終了を半年ほど毎晩続けた。
子供はまだなの?若いから気楽に思ってるかもしれないけどそろそろ孫が見たい。と言われる度に処女懐胎は無理と思ったが高齢処女で旦那も高齢童貞なのでやり方が解らないのは人には言えない話題だった。
一人で行ったそうは手術の麻酔からさめたら、カーテン越しに妊婦さんが血液検査で明るく「血管には自信があるんです」と笑っている声が聞こえて辛かった。
最初は辛い程度だったのがぶどう子で異常に分泌されてた妊娠ホルモンが一気に消えた影響と流産のショックでその晩から不眠に苦しみ鬱のようになり、死ねお前のせいで子供が死んだと夜中に幻覚幻聴が聞こえ気絶するように眠り朝起きたら絶望を感じ地獄だった。
悪阻がきつくて妊娠してない体に戻りたいと思っていた事を思い出しては泣いた。
旦那の親に妊娠を伝えた直後の流産だったので旦那に流産を伝えるように頼むと「病気で流産した」と電話で話しており、その言い方だと性病と勘違いされるだろうが!!!と腹が立ったのを覚えている。
その後ガンになる危険があったので検査のために医者に子作りをしばらく止められ、やっと出来たがまた流産をしてと数年経った頃に旦那が睡眠時間も足りない程の超激務になりセックスが出来なくなった。
親は孫を見たそうだったが、セックスせずに子供は出来ないとは言えなかった。
その後運よく正月休みに体力回復してやったセックスで子供を授かったが、ある日夜中にトイレに行くと真っ赤な血が大量に出てきた。
旦那は過労死が心配になるレベルの睡眠時間だったので伝えてから家で寝かせて、母に電話をして泣きじゃくりながら病院に行きそのまま入院、看護婦さんがお腹を温めるカイロを持ってきて聴診器で赤ちゃんの心音を聞かせてくれた。
また長期の入院になり今度は退院したらそのまま私の実家で寝たきりになるように指示された。
薬は飲んだら冷や汗が出るくらい副作用が強い、横向きになったら腹がはるので上向きで姿勢が固定され、トイレ食事風呂以外ずっと寝てるので大きな腹に圧迫されて背中やお尻は真っ赤に腫れて痛かった。
ギリギリで子供が逆子になり帝王切開で出産、顔を見た瞬間に幸福ホルモンが脳に溢れて物凄い愛しさと幸福感に包まれ涙が出た。