その後家の近くまでずうっと付け回され、一緒に遊んでいた友人にまで迷惑がかかるような事態だった。
そんな先輩たちはみな地元の公立中に進学。自分も一年違いだったので、このまま進学すれば
中学でもまたいじめられるかもしれないことは想像に難くなかった。
もう受験まで半年どころか数ヶ月しかなく、間に合わない公算のほうが大きかったが
小学校の先生のサポートと塾の講習によって、どうにか受験できる水準までもっていった。
そのころの国立大附属というのは、必ず受験のどこかの段階で抽選が行われていて、
私のところは学力検査(国算理社体音図家の全て)に合格した人の保護者が
その抽選に参加し、当たった人だけが入学できるシステムだった。
今考えるとなかなかに恐ろしい話で、確かこのくじ引きの倍率が3倍ぐらいあった。(学力検査は2倍程度)
つまり頑張って勉強して学力検査をトップ通過したところで、くじで外れたらおしまいだったのである。
さて、幸運にも私は学力検査を通過することができたのだが、抽選の段階になると
どうにも引きが悪いという母は、私の命運を比較的くじに当たりやすい父に託した。
(あとから聞いた話では、運の良い悪い以前に外れたとき私に恨みを買いたくなかったということらしい)
抽選中は学校内で待つことができなかったため、私達は近所の店に入って父を待つことになった。
30分か1時間ほどはそこで待っていたと思う。やがて父が入ってくるのが見えた。手には何も持っていない。
やっぱり、そんなにムシのいい話なんてなかったんだなと落ち込んだ私に、
父はコートの中から入学書類の入った封筒を取り出し、手渡してくれた。
飛び上がらんばかりに喜んだ私に、父も嬉しそうにしていたことを未だに覚えている。
家族と外出したり子供と遊ぶということを疎ましがり、休みはといえばほとんどパチ打ちに費やしており
家事はまったくしない父であったが、思い返せば私には(方向性が合っていたかどうかは別として)とても優しかったし、
喜んでいる私を見て父自身も嬉しそうにして居たことを最近になって思い出す。
幼いころは誕生日には必ず地元の高そうなケーキ屋のホールケーキを予約してくれていたし、
服だってミキハウスのような子供向けブランド服を買ってきたりしていた。
それから、教育番組キャラクターのぬいぐるみセットをいきなり買ってきて、
なんでも相談しないで買うものだから、しょっちゅうケンカの種にもなっていたのだが、
今思えばそうやってサプライズ的なことをするのが好きだったのかもしれない。
最近になって、父は父なりに子供を大切にしていたのかもしれないなと思うことが増えた。
ありがとう、お父さん。少しでも長く、元気でいてください。