俺は男性であるのだが、近親のものに巨乳と呼ばれるものがおり、その不便さについて常々力説されていた。下乳に汗かいて不快だし、痴漢にあう確率は飛躍的に上がるし、とにかくいいことない、と。まあ本人がそう言うのなら別にいいこともないんだろうなあと思っていたのだが、今日、天啓のように「巨嚢」という概念が下りてきたので、それをベースに考えたい。
巨嚢とは文字どおり、金玉袋がものすごく大きい状態のことである。どれくらい大きいかはよくわからないが、とにかくでかい。おっぱいと比較してどう触り心地が違うのかはいまひとつ判然としないが、まあでかければそれなりに触り心地もいいかもしれない。くさい、という問題はどうするのだろう。
でだな、思春期になると男性は陰嚢が肥大する。しかしその肥大のしかたには個人差がある。基本的にはでかいからいいということもない。わりと邪魔だ。しかし女子はでかい陰嚢にたまらないえろさを感じるらしい。
この状況で「あなたのその陰嚢を枕にして寝たい」という女子があらわれたとする。俺は苦悩するだろう。「この金玉袋になんの価値が?」「君が好きなのは俺なの? それともこの巨嚢なの?」「その巨嚢含めあなたなんだよ」と言われたところで、実際にその女子が俺を見るとき、特に陰嚢においては目の輝きが違う。しかも俺の陰嚢をいいと言っておきながら、道をゆくえろそうな陰嚢(自分でなに書いてんだかわからなくなってきた)を持つ男子を見たときには視線が泳ぐ。
「陰嚢はえろい。特に巨嚢はえろい」という社会的コンセンサスがあったとしてだ、その状況で俺がとりうる対策はいくつかあるだろう。ひとつはその社会的な評価を信じこむことだ。巨嚢を持つ俺は価値がある。その価値を評価しない女はクズである。人間性とかなんとか言ってるけど結局は俺の金玉袋が目当てなんだし、だったらあとは半ズボンとかはいてしどけない陰嚢をチラ見せしていい女が引っかかるのを待つまでである。
あるいはこうしたものに価値を見出す女をバカにするかもしれない。「しょせん女なんざ陰嚢目当てなんだろ。わかってんだよクソが」ということである。
しかしいずれにせよ女の性欲が陰嚢にあるのがわかっている以上、そこから完全に自由であることは難しい。自分にとっては、考えごとをしているときにたまにいじるか、さもなくば手が極端に冷えたときに手を温めるために触ることが2年に1回くらいあるかないかのこのどうでもいい器官が、女性にとっては多大な価値を持つ。アホらしいといっても現実はそうなのだ。アニメでは今日もぴっちりとした金玉袋コンシャスネスな衣装を身につけた男性キャラがうかつにも大股開きをしている。便所に入れば巨嚢が股間から見え隠れする男とのラッキースケベである。
仮に俺が貧嚢だったとしよう。とうぜんコンプレックスになりうる。「むしろそこがいいんだ」と言って寄ってくる女にしたところで、基準が陰嚢であることに変わりはない。まして貧嚢を持っていることに関して感じているそのコンプレックスがいいんだと言う人間においておや!
とまあ、ここまで考えてくるとおっぱいとかもすごくどうでもいいものなんじゃないかと思えてきた。なにが言いたいかというと乳袋は廃止すべきである。あおいやひなたの体の線の出ない登山のときの服装こそがものすごくえろい。まして登山で汗かいて蒸れてるはずなのでもっとすごい。
巨嚢ね。 AVで見た事あるよ! めっちゃ金玉デカいよ。そして精液がめっちゃ出る(笑) 女優が思わず笑っちゃうくらい異常な精液量なの! すごいよねー
これ著者は絶対女性だ。 しかも貧乳でBL好き。でも成長過程にあるからまだ希望はあるくらいの年齢。 要するに俺のドストライク。結婚して下さい。
そんなに大きなものは実物見たこと無いなあ ブコメでさんざん言われてるように西郷どんは有名だよな そっちは寄生虫かなんかの病気らしいから異常例だとして 同僚に初見は引くほど...
巨ちんだと実際そういうアレにアレしてアレになっちゃうという部分もあるらしいですよ。 生殖機能ってめんどくさいデスねー。
巨根という指標がすでに存在するのになぜ新たに巨嚢なる珍奇な概念を導入するのか。 だいたい陰嚢のデリケートさ、痛さに対する弱さは乳房に置き換えて考えられるようなものではな...
巨根は人を選ぶところがあるからじゃね? 俺の聞いたところだと、大きさより硬さを求める声が多かったが。
俺巨嚢じゃないけど、昔めっちゃキンタマの皮が伸びるっていう特技があって、修学旅行の風呂の時とかにはキンタマの皮でチンコ全体を覆い隠して遊んだりしてた。上に引っ張りあげ...