2014-08-31

ここ数年、僕は無条件にモテない人生なのだと思い込んで過ごしていたら三十路を過ぎてしまった。

先日ふとした契機でこれまで本当にモテない人生だったのか考えてみたところ、実際にはそうではなく、若い時分には三回のチャンス、三人の女がもたらされていたのだと判った。

三十年余を生きてたった三人と思うか、三人もいたのに全て台無しにしたと思うかは人により意見のわかれるところだろう。いずれにせよ過去の話だ。

つの事例を通して見えてきたのは、自分自身の愚かさと嫌味な人間性だった。

一人は小学の低学年のときで、彼女はいじめられっ子だった。

思えばあのいじめ男子たちの好意の裏返しで、彼らなりの付き合い方でもあったのだが、同じ男子でありながら僕はそれに気がつけなかった。それで彼女を助けた。

彼女を助けた代償は僕に対するいじめだった。彼らが好意を持っている女の子に、彼らを差し置いて近寄ったのだから当然だった。

彼女は僕を助けてくれようとしていた。

僕はここで間違った選択をした。彼女の助けを受け入れるのではなく、彼女を突き放し、いじめっ子たちと仲良くなる選択をした。

彼女へのいじめは止んだし僕は新たな友達を得た。悪くない結果だ。

だけど彼女いじめた男たちと仲良くなった僕は、彼らと同類ということになってしまった。

それ以来彼女は僕と距離を置くようになった。

一人は小学の高学年のとき

彼女はいじめっ子だった。いじめ対象は僕だった。

思えばあれも彼女なりに気を引こうとしていたのかもしれない。

彼女は低学年のときは相当な劣等生で、僕はよく彼女勉強を教えていた。

人に何かを教えるというのは素晴らしい快感をもたらす。人の上に君臨する快感。頭の弱い彼女に懇切丁寧に教えることも、僕にとっては自己満足しか無かった。

赤子に対して赤ちゃん語を使って話しかけるような、丁度そんな気持ちで彼女に接していたと思う。

から彼女が僕をどう思っているかなど気にも留めなかった。その頃彼女がくれたお菓子や何かも、上に立つ人間に対する貢物のように考えていた。

いじめの内容そのもの他愛もないもので、単に教科書ノート落書きをするといったショボい嫌がらせ程度だった。

そんなこと僕は大して気にしなかったし、無視していればそのうち止むだろうと考えて無視し続けた。いじめ卒業間際まで続いた。

最後の「いじめ」は、何か文章めいたものが書かれていたのは覚えているが、どうせ大したことは書いていないと思い込んで、卒業と同時に教科書も捨ててしまった。

中学も同じ学校だったが、それまで突っかかってきていたのが嘘のように、彼女は僕から離れていった。

一人は中学の終わりから高校とき

彼女は僕の当時一番の友人の従妹だった。

彼女は何かにつけて僕と友人の遊びに割り込んできたものだった。

僕は嫉妬深い人間だ。それも男女関係に限らず、なんであれ自分のとっておきが侵犯されることが許せない。

僕と友人との間に割って入り、しかも従妹という間柄を利用して僕より深く友人と付き合うのだから、僕にとっては嫉妬対象以外の何物でもなかった。

から彼女の狙いが友人ではなくて僕であったことに気がつけなかった。僕にとって彼女は敵だった。

確かに三人でいるとき彼女は僕に対してよく微笑んだ。でもそれは僕から見れば友人とより親密であることを誇る優越の笑みのようだった。

確かに彼女は僕と友人との間に「割って入る」のであって、友人と二人でいるわけではなかった。でも僕はそんなことにも気がつけなかった。

確かに彼女は僕と友人とを遠ざけるというよりは、むしろ友人をだしに使って僕に語りかけていた。でも嫉妬に駆られた僕は全てまともに取り合わなかった。

友人はきっと感づいていて、僕と彼女を近づけようとしてくれていた。あるいは友人も相当鈍い男だったから、単純に僕と彼女の仲があまり良くなさそうなのを見て、何とか三人仲良くやろうとしていただけかもしれない。

でも、僕にとってそれは僕と友人が遠ざかることを意味するように思えて、僕は友人の努力を全て突っぱねてしまった。

僕の上京が決まったとき(といっても実家関東であるが)、彼女は一人でやって来て僕の今後の連絡先を訊いた。

それまでずっと三人だったのが彼女一人ということ自体、相当に珍しいことだったが、そんなことにも僕は気がつけなかった。

「友人には教えたから、知りたければ彼に訊けばいい」というようなことを言ったと思う。

彼女が何と答えたかは憶えていない。当時は彼女が何と答えるかに興味も無かった。ただ最後に笑ってすぐに帰っていったと記憶している。

それ以来彼女とは会っていない。

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