2014-08-04

10年間つづけていたサクラ仕事をやめた

あの超有名海外ブランド日本に初上陸開店前には何千人の人だかり!っていうやつの最前列に並ぶ仕事10年ほど続けてきたのだけれど、

やめ時が来たので7月いっぱいで退職してきた。やめた感想としては、まぁこんな稼業よくなりたってたなぁというところ。

やめる理由が子供出来たからなんだけど、ほんといてよかった夫と思う。よく考えなくても何もスキルつかなかったんじゃないか?とも思う。


強いて挙げれば、世の中、こんな会社が本当にあるんだよ☆という確実に受けるネタを持たせてもらったのは財産なのかもしれない。

会社とのお付き合いが始まったのは大学2年生のころで、その時は当選報酬1万円、落選場合5000円という裁判の傍聴権獲得バイトだった。

あえなく外れたのが逆に問題だったのだろう。個人の運不運がなぜ仕事に絡むのか問いただしたくなった私は、外れた人たちを集めて会社に直訴、

その結果、その組織力的なものが買われて?、サクラの手配を頼まれるようになったことから人生おかしくなり始める。


就職活動に焦っていた大学3年生の12月、私は新宿にやってきた日本上陸の穴がある食べ物屋の前にいた。

正直、なぜあれほど受けいられたかさっぱりなあの食べ物だけど(オールドファッションの方が好きだ)、あれが爆発的にヒットしたのが

並んでいた自分達に寄与するところが大きいんだろうなと(あの時は)おもったことで、就職先は決まった。そして、直訴、採用


それからの日々で並んだことはあまりないような気がする。ネットの発達というのは恐ろしいもので、今ではサクラメンバー固定化ご法度中のご法度

契約書にすら書かれている業界の(といってもうちの会社とぽっと出で潰れた1社以外知らない)常識とすらなっていることを破るわけにはいかない。

もっとも人は案外簡単に集まるもので、7年間はサクラの手配と割り振り、そして多少の経理に追われて過ごすこととなった。


やりがいは正直あったと思う。それこそ、数千人動くようなイベントであればメディアには十中八九とりあげられるのだし、サクラはその数千人の中のせいぜい50人でも

その50人が数千人の行動をかなりの程度コントロールしている様を思い浮かべながら仕事するというのは、この仕事知的にすら思わせた。


それでもやめてよかったのは、なんだろ、この仕事が必ずしも人様に自信をもって紹介できるものでなかったというところなのかな(イベント業で通してきたけど)。

ないようである仕事で手にしたのは、謎のマネジメント力と、ニュースの変な見方だけだった気がする。まぁ、そのおかげで謎で変な夫をみつけられたからいいっか。

再就職どうしようかなぁ。


追記。ノウハウについては↓

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