2014-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20140511083433

文学」という言葉定義を、もう少し広げるか狭めるか、ハッキリさせた方がいいんじゃないかね。

定義を狭くして、いわゆる「フィクション」を楽しめないという人は一定いるわけで(たとえばウチの兄貴は、映画というものが金輪際楽しめない、という。理由は登場人物を見ていると、その行動の非合理性イライラさせられるからだそうだ。)、面白くないものを無理に面白がろうとする必要はないと思う。堅苦しく難しい「フィクション」というのは、そういう趣味世界にはあるかもしらんけど、まあ必需品ではないし。

また、例に挙げられている「ニホンブンガク」はもう少し定義が広く、「文学社会の教師たるべし」みたいな時代産物なんだよね。哲学社会問題警句歴史神話・劇、などなど、さまざまな要素を加味して楽しまれていた総合芸術表現技術技法というのもその中にはあるけれども、単なる言語芸術以上の何かを含んでいたもの。そういう意味での「文学」には、社会で生きていて、人文系の問題領域に関心があれば、どこか引っかかる作品や作者があるだろうと思う。優れた作品も、時代性を背景にしている部分は大きいので、たとえば日本新興国として成長とその限界の予感にあった時代雰囲気を抜きにして夏目漱石を読んでも当時人気を博した理由は分かりづらいだろうし、社会の逼塞の度合いを抜きにして横光利一の「機械」やその文体面白さも分からないだろう。また、大正の退廃から戦時下にかけての日本時代風景を抜きにして太宰を読んでも、本当のところ何やら分からない部分があっておかしくないと思う。「御伽草子」なんか、戦時言論統制下で発表されたということを理解すれば、相当面白い。(これは、実際当時の人が「戦時下で次々大家が筆を断ったころ、太宰の御伽草子けが文学』を求める乾いた心を癒してくれた」といった類の感想がある。)

もちろん、そんな中にも、時代を超えるような「何か」に触れた作品というのもあるわけで、同じ作者のものでも「こころ」や「春は馬車に乗って」や「人間失格」なんかはそういう部分を大きくもつ。だから日本文学世界性がない、ってこともないと思うよ。

とりあえず、増田は、太宰よりは坂口安吾、芥川よりは谷崎潤一郎を読むべきじゃないかなあと思う。現代文学でいうなら、村上春樹より村上龍を読んでみたら、っていう程度のアドバイスだけど。まあ、あんまりいい喩えじゃないんだけどね。

記事への反応 -
  • これまで、文学といわれるものを沢山読んで来た。太宰とか芥川とか。最近では吉田修一とか。 この際だからハッキリ言うよ。さっぱりよさが分からない。これまでは見栄で文学読んで...

    • 「文学」という言葉の定義を、もう少し広げるか狭めるか、ハッキリさせた方がいいんじゃないかね。 定義を狭くして、いわゆる「フィクション」を楽しめないという人は一定いるわ...

      • 主です。 なるほどね。文学はその時代を理解してはじめて理解できるわけね〜 谷崎潤一郎かぁ読んでみるよ。ありがとなす

    • http://anond.hatelabo.jp/20140511083433 表現の技を競い合っているんだよ。 このシチュエーションで、こんな言葉が使えるなんて、作者すげ~よ。 って思いながら読んでるよ。

    • ぼくは外国の文学好きで読みまくってるけど、日本文学はほんとにつまらないと思う。好きな作家なんて数人しかいない。海外の小説読みなよ。肩慣らしに19世紀小説から読むのがおすす...

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