2014-05-06

1日は24時間であるということ。

わたしの中では割と幼いころから一日は24時間であったし、おおよそ世界の大多数がそう思って生きているだろうと、むしろそんなことに疑問を抱いたり、そもそも考える人がいるのかわからないが、とにかく一日=24時間というのはそのくらい当たり前のことだった。

(火星の一日は25時間地球人間体内時計がどうとか聞いたことはあるのだが、ここではそういった話は横に置く。)

24時間時計が二週回れば終わる程度の時間で、個人的には長いとは思わない時が多い。

そりゃあ苦痛に耐えている時間は長く感じるし、楽しいことをしている時間はあっという間なので、一日の大半が苦痛である今もあっという間だと思える時はあんまりない。

それでも、24時間は短かい

例をあげてみる。

わたしが学生の時にいた国語社会?の先生で、「とにかくお前らは知識が狭くて浅い。受験生(この先生講義を受けたのが受験生の時だった)ならこれくらい知ってて当たり前だ。せめて新聞を読め、ニュースを見ろ、本を読め。」とおっしゃる先生がいた。

確かにまだ若かったわたしは自分でも知らないことばかりで、もっと本を読んだりするべきなんだろうな、とは思っていたし、受験生からってテスト勉強だけしていればいいわけではないこともわかってはいた。

けれどその時は正直「そんな時間がどこにあんの?」としか思えなかった。

時間の使い方が下手なのも、自分に甘い部分もあったので、きちんとスケジュールを組んでやることをやれば出来る人もいるのかもしれない。

でも無理じゃね?って思った。ほんとに。

平日の朝、学校に行く支度をしたりで6時には起きる。もっと早い人もいると思う。それから多少なりとも時間をかけて学校に行く。ここでバス電車に乗るならまだしも、自転車で行く人は参考書なんか、本なんか読んでられない。事故に遭いたいなら別だけど。

八時半くらいから朝礼やら授業があって、休み時間を挟みつつも四時頃に終わる。ここからは帰る人もいれば部活に行く人もいる。

わたしは部活が割と遅めの時間まであったので、学校から帰って家に着くのは七時〜八時くらいだった。

そこからご飯を食べて、明日の授業の予習や今日の復習をして、出ている課題をやって、塾に行っていた時期は塾の課題もやって、小テスト勉強をして、お風呂に入る。気づくともう二時になって、急いで荷物をつめて寝ていた。

長くて四時間、短い時は二時間寝られるかどうかだった。

休みの日は部活と課外、塾で家にはほとんど帰らずにいた。

あくまでこれはわたしがこうだっただけで、他の方はもっと切り詰めていた人もいるだろうし、ゆるっとしていた人もいるだろう。

わたしは頭が良いとは決して言えなかったので、予習のスピードも遅かったし、どれだけ勉強しても成績はそこそこだった。

まあつまり、何が言いたいのかと言うと、この状況で新聞を読んでニュースを見て本を読む余裕はなかった、ということだ。

睡眠時間を削っても、学校で寝てしまえば意味がないし、何より睡眠不足で倒れれば保健室もっと早く寝ろだの無理をするなだの言われるのがオチである。めんどくさい。

一日は24時間で、人間は寝なければいつか死ぬ精神的に。

ゆとりと言われるかもしれない、甘えだと言うかもしれない。

なら、そのときわたしは一体何を犠牲にして、何を得るのが正解だったのか。

短い24時間の中では、趣味時間なんかなかった。ひたすらに勉強だけして、親を、先生を喜ばすだけの機会に成り下がっていたと思う。

そうなることが正解だと思っていたから。

まとまりのない書き方になってしまったけれど、

要はそんなに何でもやれと言わないでほしかった。寝かせろ、まじで。

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