2013-11-20

言ってることが正しいからといって人格攻撃をしていいというのはダメ

http://anond.hatelabo.jp/20131119111319

これって本当ネットのだめなところだと思う。

言ってることとの成否と人格を分けろというのなら、言ってることの成否に関わらず、人格攻撃をしていいという事にはならない。

しかし、言ってることが正しいという事理由に人格攻撃をする人は後を絶たない。

はてな於いてモヒカン宣言みたいなのを勝手誤用してるんだとおもう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%B3%E6%97%8F_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E7%94%A8%E8%AA%9E)

モヒカン宣言
掟
  どんな努力をしても絶対に覆せない事柄を根拠にするな。「差別」という外道に堕ちる。
宣言
  発言者社会的地位を気にせず、言説だけに注目する
  事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない
  間違いは、きちんと認めて修正すればいい
モヒカン族5つの価値
校正
  間違いを訂正してくれる人を我々は尊敬して評価します。よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません。
共有
  アイディア校正の機会を与えることが生みの親の義務です。「理由が無いけど、これはこれでいいんだ」というエレガントではない開き直りはくだらない。
ツッコミビリティ
  校正、反論しやすいエレガントな言説が価値ある言説です。その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程明確化し他へ示します。
全体最適化
  たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つけた時、我々は最もハッピーになります。
差異
  お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません

間違いを指摘する事を人格攻撃と思ってはならないと書かれているものの、

もちろん「間違った相手を馬鹿しろ」とか「言い分が正しければ叩いていい」などと一言も書いてない。

それどころか「余計な装飾語はいらない」とある必要人格攻撃もこれに入るだろう。

次に人格攻撃を行うことの問題点に注目する。

人格攻撃を行うことの問題

相手を集団罵倒するモヒカンと思われている人物に高木浩光氏がいるが、彼はmalaからのその攻撃的な態度を次のように苦言を呈されている。

http://d.hatena.ne.jp/mala/20120830/

ここまで高圧的に堂々と言われたら「あれちょっと変だな」と思っていても、指摘できなくなってしまう。誰でも簡単に検証できることを、実際に検証する人が全然いない。
恐れ多くて誰も口に出せない、絡んでも得をしない。目立ちたくない。いわゆる高木信者と呼ばれるような人たちから、こいつはプライバシーを軽視する人間に違いないとレッテルを貼られ、集中砲火を浴び、そうやって当事者中の人情報発信できなくなってしまう。情報発信がされないことで、より一層、技術を理解する人と理解しない人の間での認識にズレが生じて、悪循環になってしまっている。

人格攻撃を行う事によって議論が歪んでしまうことの問題点が書かれている。彼とその支持者が人格攻撃を行う事によって、間違った事を言っても、人格攻撃をされたくないために訂正されずに拡散されてしまうのだ。

敵対者に人格攻撃を行うと言うのは橋下市長や石原知事などがよく行っているが、人格攻撃を行う事によってアレな支持者が喜び、「素晴らしい」と応援し、反対者が批判することにより外部に敵を作って強固な支持母体となるのだ。その結果まっているのは支持者の精鋭化と中心人物の老害化だ。

虚構新聞人格攻撃こそしてないものの「揶揄」が人格攻撃と同じような働きをし、似たような構造となっている。

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