いや、話題になっているなんてもんじゃない。すでに1000ブクマを超えた。
高木浩光による怒濤の講演「ゲーム業界におけるプライバシー保護」がすごいことに - GIGAZINE
確かに、この記事は面白い。私も読んで非常に興味深く感じた。セキュリティ、個人情報保護、私も仕事で関わったりする分野だ、興味を持たない方がおかしい。
高木浩光の口上は軽妙だ。それでいて、本質を深くえぐっている。彼の今まで積み上げた知識と技能、そして人を揺さぶる説得力が発揮されている。
だが、本稿では、そんなことはどうでもいい。本当に問題になるのは以下の記事だ。
まぁ、要するに、GIGAZINEが開発者や有識者によるCEDECの有料講演をほぼテープ起こしのような形で記事にした、ということの問題だ。
問題は二つある。一つは、そもそも有料であるものを丸コピの形で無料の媒体に掲載すること、第二に限定された聴衆に向けたセンシティブな内容を公知してしまうことだ。
これらは下記のtweetで言われているように、まさに「焼き畑」だ。GIGAZINEのやり方はあまりにえげつない。
だが、問題と言うべきか、課題というべきか、気になることはもう一つある。
rootsy ギガジンの取材方法が低モラルでエチケット違反で乱暴者なのは議論の余地がない。一方でアウトプットのほうを観ると、この「アンチ・エディット」とでも言うべき手法に否定しがたい魅力があるんだよね。
記事の量の増加に対してコストが低く、編集されていない素材を荒っぽく提示でき、それをやるGIGAZINEのやり方は、あまりに乱暴だ。しかし、同時に魅力的である。
また、唐木氏は指摘する。編集の手が入った記事が胡散臭く見られ、読者に懐疑を向けられることだ。実際に編集の手が入っていないからこそ信頼され、そして受け入れられるという状況があることは誰も否定できない。
さて、ここで一介のオッサン読者の立場に戻ろう。オッサン読者の私は、この記事を初めて見たときどうしたのか。
ああ、確かに読んだ。読んだが、半分ぐらいで一旦読むのをやめた。
なぜか? それは、あまりにこの記事が面白く、真実味にあふれているにもかかわらず、あまりにも冗長で、あまりに要点がつかめず、あまりにかったるかったからだ。
オッサンの私は、この記事を一気呵成に読み込むだけの集中力が、もはや無い。いや、無いことはな無いのだろうが、そこまで気力が続かない。
私を含めて、少なくない人は時間に追われている。それだけじゃない。年々衰える集中力と根気を苦々しく思っている。
私は定期購読のニューズウィークを読み続けるだけで苦労を感じている。はてなブックマークをチェックしても、話題を集めている記事をちょこちょこ読む程度が関の山だ。
そんな私は、そしてたぶん私と同じようなオッサンは、エディトリアルなものを求めている。あるいはキュレーションとも言っていい。
世界はあまりに複雑である。今話題の領土問題を見てみよう。きっとネットには、下手をすると現実世界にも、複雑怪奇な解釈と、実効性があるのか無いのかわからない善後策が2chやはてな、アメブロにテレビの門外漢のコメンテーターから垂れ流されている
そんな世界で妥当な判断を得ようとするのは困難極まりない。しかし、エディタはこれを整理してくれる(こともある)。
生の情報は危険である。もちろん、生でしか手にはらないものもある。しかし、オッサンに生は、もう体に悪い。
そこでエディタが登場する。エディタは完璧ではないにせよ、まぁ、妥当なものは出来上がる。
私はエディタを信じたい。
概ね同意ですが、思うことは 1 限定された聴衆で、一般公開されないなら、何を言ってもいいのか?という事ですね。 クローズドだから言えるというのはありますが、うーん。センシ...