10代の頃から実家を出て、目指している処にひたすら近づこうとがむしゃらに努力した。
結果、小銭程度は稼げるレベルになったがとてもじゃないがそれ一本じゃ生きて行けない。
年齢的に別軸のスキルを磨かないとこのまま詰むのが見えてきたのが23。
でも目指す処を諦める踏ん切りがつかず、中途半端に続けながら同時に生きるためのスキルを磨いていた。
自分のことをよく知っている人間からは、「すごいね」「良かったじゃん」「好きなことしてるお前はいいよな」等々、
「でしょ」「やっぱ好きなことしないとね」と当たり障りのない返答で受け流していたが当事者としてはそれどころじゃなかった。
一日でも早くソレで生きていける安心・自信みたいなものが欲しかったから、ソレがない現状、毎日が不安と将来への恐怖で一杯だった。
仲の良い友人達と数年ぶりに飲む機会があった時、「クリスマスは彼女(彼氏)かな~」
その時は、純粋に「いいなぁ」と思えたが今なら「脳内お花畑だなぁ」と思うだろう。自分は嫌なヤツになった。
そんな焦燥の日々に疲れたのが25歳。
その頃は今まで目指していた処のコトは考えるのはやめ、現実的に別軸のスキルに全力を注いだ。
結果その業界で細々と生きていけるだけのスキル・諸々は得られた。
アルバイトから正社員へ。今まで欲しかった安心が少しだけ貰えた。
だが、数年勤めてそこを辞めてしまった。
その会社は典型的な搾取システムで、実働の若い世代を言葉で騙し、釣って、飼い殺し、捨てる。
上の役職は長いスパンで変わっていないのが納得する会社だった。「どこの会社もこんなもの」と折り合いが付けられなかった。
そんな会社でも人間性が保てている人、尊敬できる人に出会えたので感謝するべきなのだろうが、あそこの人間とはもう関わりたくない。
それからそこを辞めたタイミングでニートになった。墓まで持っていくであろう汚点も作った。
このままじゃ駄目だと思った。だから出来るだけ深く深く、自分を内観した。
今までのスキルはあまり活かせないが、やりたい事が見つかった。
そして、色んな人達のおかげでアルバイトだがなんとか社会復帰できた。
そして必死で働いた。自分の時間はなくて当たり前の日々だった。
ある日仕事を任された。興味があったしやりがいがある。本当にやりたい仕事の範疇だが、それではやりたい仕事のスキルが伸びないのでいつか見切りをつけて、
責任も増えた。
だが失敗した。「自己研鑽が足りなかった」と答えは出ているが、その時間を作れなかった。
そんな事を考える余裕すら無かった。
今念願のやりたかった仕事をしているが、本当にやりたかった仕事なのか疑問に思えてきた。
「逃げ・甘え・危機管理能力の無さ・青臭い」色んなことが頭をよぎる。
なんか疲れた。
汚点kwsk
特定されない程度に、もっと話してもいいんだぞ。ここに書く事で自省できたり、楽になるなら書いちゃいなよ。
http://anond.hatelabo.jp/20120121051048 元増田が「やりたかった仕事」は、最初の「金にならない奴」だけだ。 あとは「食っていくための仕事」だよ。でも、社会人のほとんどは、そうして仕事...