2011-09-24

最強の上司、A部長 前編

最近多くのメールでどういう上司がいたかということをよく聞かれる。思えば変人が多かったな(笑)

一番印象に残っているのは、俺が25歳から30歳の頃のA部長だ。

最近はだいぶ社内の上下関係カジュアルになって来ているが、当時は若手社員部長と気安く話すなんてなかなか許されない雰囲気だった。

レポートや報告を上げるにしても、逆に何か部長から指示が降りてくるにしても、常に自分の直属の主任課長次長、そして部長と言う階層を通じて行われる、明確な序列があった。

しかしA部長は違った。いつも

「おい、タケシ!ちょっと来い」

と言ってオレを部長席に呼び出したり、向こうからオレの席にふらりとやってきたりして、オレをかわいがってくれた。

また若僧のオレにも

「オマエがオレなら、どうする?」

と忌憚ない意見を求めてくれた。

部長は当時、今のオレと同じくらいの歳だったと思うが、体型はスリムで、どんなに暑くてもスーツをきれいに着こなし、精悍な顔つきだった。今で言えば、かなりのイケメンで(当時、まだイケメンなんて言葉はかったが)、社内の女性らの中でも評判だった。

今の時代なら、GQやLEONとかの雑誌に出ていても不思議ではない、チョイ悪なオヤジだった。

すごいのは、このルックス以上にキャラクターが深くて濃いんだ。

哲学文学芸術ワインをこよなく愛し、食事に行けば、シェリーからまり赤ワインをたしなみながら、高級そうな葉巻を片手に、平気な顔をしてサルトル実存主義について語る。

そんな知的好奇心教養にあふれる人だった。

ヨーロッパ的な気品があって、高貴と自由があいまった雰囲気をこよなく愛する人だった。

でもさ、何かと理由をつけてすぐヨーロッパ出張してしまうんだ(俺も同行させられることが多かった)。

そして仕事がひと段落すると

タケシ、先に日本に帰ってろ」

と言って、自分は2週間くらいヨーロッパを周遊するんだから、困ったもんだよ(笑)

もちろん、本人は「視察」だって言い張ってたけどな。

電子メール携帯電話なんてない時代だったから、A部長ヨーロッパ周遊で不在の間、A部長に指示をあおぐのは大変だった。オレら若手は、A部長が泊まりそうなホテルに、片っ端から電話させられたもんだ(笑)

部長の緊急決裁が必要になり、どうしてもつかまらないA部長を探して部署メンバー総出で、居場所を突き止めるべくフランスのToulouse中のホテル電話をしたこともあった(前々からToulouseでフォアグラ白ワインを飲むのがいいと言っていたので)。

しかし、結局、どのホテル電話してもまったく見つからない。本当は権限規定違反なのだが、最後次長が代理決裁して何とかした。

それから数日すると、真っ黒に日焼けしたA部長会社に現れて、「地中海の島で彼女エンジョイしていた」とのことだった。オレたちは日本であわてまくっていたのにさ(笑)。あの時はあきれてものが言えなかったな。

こんなA部長破天荒ぶりを書くと、ただの遊び人趣味人しか見えないかもしれない。

しかし、仕事はすさまじくでき、社内だけでなく取引先や競合企業からも敬意を集めていた。

当時は、朝から晩まで働くようなモーレツ商社マンがもてはやされていた。しかし、ヨーロッパ人を自称するA部長は、そういう連中を「バリュレスな社蓄」と呼び軽蔑していた。

若手社員残業していると、

「今すぐ資料をしまえ」

と言って、ことあるごとにオレら若手を食事に誘い出した(その後、会社に帰って仕事しなきゃいけないから、ますますモーレツ社員をやらざるを得ないんだけどさ・・・)。

食事の席では、普通なら社内政治や昔の武勇伝を聞かせる上司が多い中、A部長の口から会社仕事の話しが出ることはなかった。

文学論、芸術論、音楽論、人生観までをゆっくりと語ってくれた。ウィスキーの飲み方、酒の種類、ワインテロワールホステスへの接し方、葉巻の吸い方など今の遊びの基礎はすべてA部長に教わった(笑)

九州田舎からニセ慶應ボーイになってバブル期調子に乗りまくっていたオレは、「こんな洗練された人がいるのか」と憧れだったものだよ。

おっと、A部長仕事ぶりを書くつもりが、ついつい遊び話になってしまった。

だが、この記事を書いていたら、オレもBourgogneワインを飲みたくなって来た(笑)

部長仕事人としての顔は次回に譲ろう。

続く

http://ameblo.jp/shousha/entry-10969332499.html

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