中学:日本はバブル最絶頂期。テレビに映る大学生や社会人の世界はそれはそれは華やか。俺もいつかあんな風に遊ぶんだ、と思いつつ田舎の市立中学に通う。高校受験に必要(内申書云々)という理由で、やりたくもない運動部で日々を無為に過ごす。
高校:地元の県立高校に進学。どうやら絶好調だった日本経済に陰りが見えてきたらしい。一応進学校だが田舎なのでのんびりしている奴が多い。適当に勉強しつつ、適当に部活に精を出す。部活が義務でなくなる(大学受験には内申書は関係ないらしい)と不思議と部活で汗を流すのが楽しくなる。そういえば、中学高校と女に縁がない。童貞。
大学:親がブルーカラーで家計に余裕もないので、浪人せずに入学できるところを選んだ。一度、東京に出てみたくて、地元の国立ではなくて東京の私立にした。その選択を許してくれた両親に感謝。世間では、阪神大震災、オウム事件と暗い雰囲気が漂い始めた。Windows95が発売されたが一度も触ることがなかった。大学に入学するとすぐに彼女ができた。非コミュの俺になんという奇跡。大学ではなんかめちゃくちゃ勉強をした。
就活:日本経済どん底。山一証券、拓銀が破綻した。金融恐慌の一歩手前。MARCHの就職先なんてロクなもんじゃなかった。同級生たちも皆が微妙な企業に就職していった。俺たちは後にロスジェネ世代と呼ばれるようになる。俺はといえばイマイチ無名な外資に滑り込む。大学で勉強に励んでいたのが役に立ったらしい。
社会人1年目:最初の配属先の上司はリア充全快のコミュ力抜群の人だった。が、人を育てたり指導するのが下手な人だった。おかげで、なかなか仕事を覚えられずに苦労した。このころの人事評価は同期の中でも最下位を争っていたのではないかと思う。現実逃避のために、先輩たちに連れられて毎日飲んでばかりいたような記憶がある。この最初の上司のことは、後に反面教師として意識するようになった。
ネットで現実逃避:仕事でイマイチ不完全燃焼だったころ、PCを買った。Pen2、64MBメモリ、6GBHDD。テレホタイムにアナログモデムで接続し朝までLoopitでチャット。翌日は寝不足で仕事に力が入らない。東芝事件が起こり、2ちゃんねるを発見する。ますますネットにはまった。
部署異動:異動先のボスは体育会系で面倒見がよかった。細かいところまで指導はしてくれないけど、仕事を丸投げして任せ切ること、部下のモチベーションを高めること、組織を動かすことがうまい人だった。ここでの数年間は貴重だった。次々とふってくる重い仕事をこなすうちに仕事が楽しくなり自信もついてきた。気が付いたら人事評価も同期の中でトップの方までのぼっていた。世間ではネットベンチャーブーム。IPOブームが盛り上がっている。そして、日韓W杯が開催されるよりもずいぶん前にネットバブルがはじけた。失われた10年という言葉が流行っていた。このころ付き合っていた彼女と結婚。
転職:より広い裁量と成長機会を求めてベンチャーに転職。ストックオプションで一攫千金という下心も。社長とは微妙にウマが合わなかったが、毎年2ケタ成長する売上、どんどん大きくなる組織、ビジネスのダイナミズムを間近で感じられる環境に満足していた。とにかくひたすらに働いた。毎晩タクシー帰り、休日も出勤した。会社はいつの間にかIPOを果たしたがストックオプションは大した財産にはならなかった。ライブドアの堀江さんが時の人となり第二次ネットバブルが盛り上がっていた。小泉竹中路線で景況感は良かったような気がする。このころ部下の女の子(といっても同い年)に手を出してお互いにラリラリ状態。今考えると社内でもバレていたかもしれない。不倫が妻にばれてプライベートはプチ修羅場。部下の子は会社を辞めた。何をしてもこの罪を償うことはできないと思う。この後、真人間になり部下達の育成に力を注いだ。最初の上司が反面教師だった。このころの部下たちは今でも俺を慕ってくれている(と信じたい。)
退職:社長と意見が合わないことが我慢できなくなり退職することにした。全てのリスクを背負って世間と向き合っているのは彼なのだから、あの会社は彼のやりたいように運営すればいい。意見が合わない以上、引くのは俺だ。ていうか、俺の存在なんか社外では全く無名、社内でも歯車の一つに過ぎない。この後、今に至るまでこの社長は俺にとって反面教師として心の中で大きなウェイトを占めている。株は最後まで大した財産にはならなかったがコツコツためてきた貯金があるので節約すれば夫婦2人で2年くらいは暮らせそうだった。次の仕事のあてもないままに会社を辞めてしまった。なんかアメリカでサブプライムローンというのが問題になっているらしい。評論家がサブプライムローンの残高は少ないので世界経済に与える影響は限定的とか言ってる。
フリーランス:もともと非コミュで友人知人が少なく、人脈と言えるようなものもなかったが、何人か仕事を回してくれる人がいた。1案件いくら、という感じで個人事業主として仕事をこなしながらお金を稼いだ。報酬は、仕事を回してくれる人がピンハネ済みだが、こんな俺に声をかけてくれることにとても感謝していた。そして毎回、全力で仕事をこなしていき、仕事をくれる人の期待に応えようとがんばった。リーマンブラザーズが破綻したらしい。年越派遣村のニュースには共感も反感も感じなかった。年が明けて所得税を計算すると、サラリーマン時代に比べ収入(額面)は倍近く、税金は倍どころじゃない。事業税って何?住民税が2つあるの?国民健康保険高すぎ。上場企業の正社員という安定的な地位を捨てたのだから、将来への備えは自分で何とかしなければならない。麻生総理を攻撃するマスゴミとピントのずれた正義を振りまく鳩山邦夫に、日本はもう駄目かもねとかオヤジくさいことを考えるようになっていた。ていうか俺もう33か、立派なオジサンだし将来への希望も見いだせなくなってきた。
再就職:昔、一度誘ってくれた中小企業の社長がまた誘ってくれた。商売上手なところ、コンプラ意識が強いところ、人の感情に配慮しながら上手に組織を動かせるところが、前のベンチャーの社長とは正反対な人なので、ほとんど迷わなかった。ほぼ即断で、その人のお世話になることにした。その会社は個人事業主的なメンタリティの人が多く、商売に対して貪欲な人が多い。世間の常識を疑い果敢にビジネスチャンスを切り開こうとする。一方で吹けば飛ぶような存在なので自分たちを一瞬で破滅させかねないコンプラリスクには皆敏感でグレーなことには手を出さない。こんなに前向きに清々しい気分で働ける職場は初めてだ。こんな環境をもたらしてくれた社長に感謝。ここに居続けるためには俺も商売人にならなくては。民主党が政権を取った。来年の納税額は3百万円を超えそうだが、子供がいない我が家には何の恩恵も無さそうだ。自民党政権のままで緩慢な衰退を迎えるよりは、民主党が急激に破滅させた方が日本の立ち直りは早いかもしれないと思う今日この頃。
年の瀬にこの20年余を思い出しながら書いてみた。