はてなキーワード: 国民健康保険とは
東京の、じゃなくて神奈川県足柄上郡大井町。小田原の右上あたりにある人口1.5万人くらいの町。
理由は「国民健康保険料(税)が来年度から2.4%上がる」から。
https://www.town.oi.kanagawa.jp/soshiki/5/hokenzei-hikiage-reiwa6.html
ある程度この辺も考慮した上で移住先に決めたので、なんだかなーという感じ。
2023/10/18に発表された国民健康保険料の水準統一加速化プランの影響で交付金が出なくなる
→ 2023/12/07の町議会で税率決定 (議事録なども2末くらいまでは未公開だった)
→ 2024/03/01で保険税引き上げを広報(04/01施行?)
って感じで、移住前(12末)の段階でこの改正を知ることはほぼ不可能でした。
「もともと安かっただろ」とか「値上げ後でも安いだろ」とか言われるとそうなんだけど、
あまりに決定プロセスが不透明すぎて、次年度はいくらになるか予想がつかない。
(共産系の町議員は議事録みると猛反対してたみたいだけど、自治体側の言い分が「仕方ない」だけでまともに議論できてない)
今年度中には引っ越そうかな...と思っています。
成婚料金の無いマッチング型の婚活サイトを利用している婚活仲間(Aとする)から聞いた話。外資系会社員の女性(Bとする)から、ぜひ会いたいとの申し込みが来た。2歳年上だが、まあまあ美人で、なによりBの仕事がAにとって興味のある業界だったので、会ってみることにした。最初は、探り合いだったのだが、次第に打ち解けて、また会いましょうとの話になった。ところが、次に会った時、なんと偽装結婚しませんか?との提案を受けた。なんでも、Bはかなりの高収入会社員であり、配当金でFIREできるほどの資産ができているのだが、退職すると、その後の1年間で国民健康保険や介護保険で100万円以上支払うことになり、それが悔しくて仕方ないそうだ。
そこで、書類上は結婚して寿退社、夫(A)の扶養となり、健康保険組合被保険者の配偶者として保険料負担なし、国民年金も第3号になりたいらしい。3年以内に離婚するが、その見返りとして、30万円を支払うという提案だ。Bは、離婚後も無職のままで、最低限の国民健康保険料を支払い、配当(分離課税)で余裕で暮らせるそうだ。社会保険的には、無職、無収入だが、そこら辺のサラリーマン以上の年収がある。
Aにとっては、婚姻期間中は配偶者控除が受けられるし、家族手当ももらえて、バツイチが付く以外、デメリットが無い。婚姻期間中でも、当然同居はしないし会うことも無いが、いまどき週末婚夫婦なんて珍しくない。ついでに、離婚の原因は妻(B)の不貞という事にしていいよ、その方が同情してもらえて、すぐに再婚できるよ、と言われて納得しそうになっているそうだ。当然婚姻期間中も合コンなどで本当の結婚相手を探すらしい。
それって新手の結婚詐欺では?と思ったが、上記内容を含む契約書案まで見せてくれた。偽装結婚が日本人同士なので、調査される可能性は低いが、不当に利益を得る内容が含まれる契約書は無効なのではないかと、アドバイスしておいた。仮にBが裏切ったとしたら、Aは健康保険組合や会社から訴えられる可能がある。
そこで、裏切りの可能性をできるだけ潰すプチビジネスを思いついた。
定年まで勤め上げる直前の高収入独身男女と低収入だけど健康保険組合に加入している結婚諦め男女を偽装結婚させて手数料を稼ぐシステムである。オンライン節税セミナーとか銘打って定年間近の独身男女を集めて、偽装結婚しそうな人物を選抜する。偽装結婚相手の結婚諦め男女は、実は仲間で同じことを繰り返してもらう。メールや書類のやり取りはシステムが仲介、作成するので、会うことも無く、本人間のトラブルも起こりにくい。フォトウエディングと称して、AI生成写真でも用意してあげれば、周囲への結婚アピールにもなるし、お互いの顔もわからない。
このスキーム参加者である定年間近は、健康保険料負担が低減されて儲かる、結婚諦めも報酬や控除、家族手当で儲かる、システム管理者も手数料で儲かる。誰も損をしない、誰もが得をする場合、儲けを失いたく無いので、裏切り者が現れる可能性が低い気がする。
保険証の使い勝手とか病院受診するときの基本的なルールとかは日本全国同じだから実質的に全国共通だと思っていたけど、米山氏によるピュータンフルボッコの話によるとどうやら違うらしい。
加入する制度や保険者が違うから厳密には全国共通ではないって話?
でもそれだったら縦断的な違いであって地域差は無いから全国共通といっても間違いではないように思うんだけども他に明確に理由があるのだろうか。
なぜ米山氏や番組のスタッフは医療保険は全国共通でないと言っているのかわかる人おしえてください。
※以下追記
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。
①玉木が言っているのは、収支報告書の数字だけ見て下げろとイーロン・マスクを真似てやってるだけで、頭で考えて言っているわけではないことは理解した方が良い。
②国民皆保険によって劣悪だった健康が是正され、健康への意識が高まり、低所得者であっても高度医療を受けられるようになり、難病者は本来なら数千万数億の治療費を自腹で払うこと無く受けられるようになった。その恩恵は計り知れない。
ただ国民皆保険は1922年に施行されて何度か改正されているものの抜本的な制度改革をやってきてない。このことについてツッコミを入れるべきで、国民皆保険(国民健康保険)を無くせば解決する話ではない。
③労働改善は会社(病院)と医師である労働者が協議して解決すべきこと。国民皆保険と同列で話すべきではない。
④北米型の医療制度に変えると決まってもそれは10年や20年かけて段階的に変えていく話になるはず。
私は医療経済・医療政策系の大学院を修了して地方病院の部長職をしている医師です。
医師として働いていると、この増田Drみたいな気持ちになることはしばしばある。そして医師同士のコミュニティでエコーチャンバー的に尖った意見になりがちだ。
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そもそも、社会保障とは労働者たちが体を壊したら人生終了というハードモードな人生をノーマルモードにするために、みんなでお金を出し合って自己があっても保険金がおりて医療を受けることができるようにしておこうという仕組みだった。それが戦後に国民健康保険ができて国民は全員強制加入になることで、(当時はまだ)安い保険料で医療を享受できるようになっていった。
全員強制というのがポイントで、これが全員強制でなくなるとそもそも健康な人は加入しなくなってしまう。そういう人が怪我や事故をしてしまうと人生が終ってしまうことになるし、社会の存続にも問題となる。そして医療を必要としている人々(2/3は65歳以上)は高額な保険料を支払えず、当然医療費も支払えなくなる。
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1970〜80年頃に老人医療費を無償にするという公約を掲げた政治家が現れて、実際にとある県で始まり全国に広がった。病院やクリニックは老人サロン化したのは皆ご存知の通り。
増え続ける医療費を問題視した政府は、いろんな医療政策で受診回数を減らしたり入院期間を短くするように工夫してきた。OECD諸国の比較によれば、日本は単位人口あたりの病床数がものすごく多く(これも都道府県で差がある。高知と神奈川では2倍以上差がある)、かつ単位人口あたりの医師の数は諸国と同じくらいなので、労働節約的な医療体制になっている。
日本は世界でも有数の長寿国となり、人口構造が大きく変化してしまった。それを1948年に作られたベースの医療制度を改定しながら今までやってこれているのはすごいことだと思うし、合わない部分も出てきているように思う。
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その一例として、過剰な医療サービスを提供している、と感じることはしばしばある。
例えば、80歳の人が体調を崩して入院をした場合を想定しよう。血液検査は脱水と炎症反応の上昇、肺炎を疑われて入院した。1日1回の点滴を受けて、入院費用は1日4−5万円。10日入院して、いざ退院、となったが家族の仕事の都合でお迎えができるのは翌週だという。結果、4日退院が伸びた。これで医療費は50万円。でも年金暮らしで医療費の上限は月に18000円になるということで、残りの48万円は都道府県の後期高齢者広域連合から病院に支払われる。
病院経営の立場から、差はあるが病院はたとえばベッドが100床あったら常に90床は埋めておかないと赤字になる。家族の都合で数日退院を伸ばしてほしい…と言われた時、次の入院見込みがなければどうぞどうぞと歓迎してしまう。この影響で社会保険料が多少増えようが、自分の給料が出なくなったら困る。医療従事者にとっても患者にとってもWIN-WINなのだ。これは過剰な医療サービスで、社会的入院として問題視される。だから入院日数を制限しようと画策するが、某団体からの反対も根強く、じわりじわりとしか改善されない。
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増分費用効果比(Incremental cost-effectiveness ratio: ICER)というものがある。
詳細の説明は省くが本来は新規薬剤・治療の費用対効果を検証するための仕組みで、それを保険適用の可否判断にも使用できるかもしれないというものだ
その閾値は1年間、健康な生活を維持するのに500万円程度とされる。透析の治療費がだいたいこれくらいだ。
増田Drの言うTAVIも600万〜の治療だが、これを行うことで心不全入院(1回80〜万)を数回予防できて、かつ症状なく暮らせるなら悪くないんじゃないかとも思う。まあTAVIに関してはどの施設も施設基準を満たしたいのでどうしてもやりたがる方向になっている、という問題はあるが。
結局のところ一医療人としてできることは、医療に関する意思決定を行う歳に患者の医学的な状況、患者の希望、周囲の人の思いや地域の社会資源、QOLを十分に吟味して、その人にとって最適な意思決定をチームで行う、ということを徹底するしかない。医師だけに判断させてはだめだ。間違いなく独善的な意思決定になる。かならずチームで意思決定をする必要がある。そして病院や診療所、訪問看護ステーションなどの施設の管理者は自分の経営方針が持続可能な医療制度と矛盾しないか、地域のニーズにあったサービスを行えているかを繰り返し内省するしかない。少なくとも週末の退院が集中しているので延期させてください、なんて言う管理職は無能だ。
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つい先程往診に呼ばれた。多少フェイクを混ぜるが、90代の心不全の患者さんで体重がどんどん増えて苦しくなっているという。休日往診(25000円〜)、心エコー(8500円)を行って、1粒700円くらいの薬剤を追加処方(正しくは増量)した。その他諸々合わせて合計4〜5万円なり。この患者は国民健康保険1割の患者で、上限は8000円に達しているので患者の追加自己負担料金は無しだ。90代の患者に往診して高い薬剤を出すなんて…と思われるかもしれないが、明日まで待って悪化して入院してしまうとそれだけで数十万円は確定してしまう。
苦しくなっても病院に入院させずに麻薬や鎮静薬を使って死を待てばよい、なんて考えもあるかもしれない。口でそういうのは簡単だが、実際にそういう人を見る人の立場に立つと、なかなかそんな非常な判断はできないものだ。だから人生の最終段階の医療決定プロセスガイドラインなんてものがある。
繰り返しになるが、これからの医療は必要な医療を、その人の価値観や意志を尊重して、対話の中で合意形成し、限られた社会資源の中で提供する、ということが大切だ。
社会保障について興味を持った方はXのしょうもないレスバを見るだけじゃなくて、ぜひ一度ちゃんとした本で勉強してみてほしい。
日本の教育は、戦争の目的は何だったか、戦争で何が変わったかという視点が欠けている
振り向けば第一次世界大戦では4大帝国が革命で新体制になり、植民地体制は縮小されていったわけだ
一方、仏蘭は植民地を返還しないので日本は主に仏蘭の植民地を狙った
第二次大戦後も仏は戦後ベトナム戦争の火種を抱えた(本来は戦勝国)
戦中から自主返還していたが、ガンジーは暗殺、香港返還は80年代、今もイギリス連邦王が君臨
革命にならなかったのは植民地利権と保険利権の勢力が強すぎたのと、思想統制や大本営発表の騙しや欲得もあった
だから英米原爆と占領と新体制が出来たというだけで良かったとは思えないな
憲法(天皇被告裁判官保護)、女性選挙権、生活保護制度、国民健康保険(医師保護)、銃所持禁止ぐらいではまだ不十分で、ほんと罷免国民選挙制度ぐらいあってもいいだろ