はてなキーワード: 正月とは
刑事ドラマを量産するばかりで、”ふつうのドラマ”を制作する努力を怠ってきた結果である。
テレ朝で”ふつうのドラマ”で成功した例はほんの数例しかない。(ドクターX、TRICK)
テレ朝はことあるごとにTRICK再放送祭りをやるが、視聴者もバカではない。TRICK頼みにも限界が来ている。
いま放送中のDestinyは、大映ドラマ制作ではないにもかかわらず、”大映クオリティ”と言われる始末。木村拓哉主演のBelieveもひどい。
優れた脚本家を招聘しても、ひどい結果にしかならないのがテレ朝の特徴である。
例えば遊川和彦は、日テレでは素晴らしい功績を残してきた。(女王の教室、家政婦のミタ)
しかし、遊川がテレ朝とタッグを組んだものは、どれも散々な成績に終わっている。(占い師アタル、となりのチカラ)
ひと昔前は、テレ東のドラマといえば正月時代劇くらいなものだったが、今ではテレ朝を完全に抜いている。
ドラマの実績ゼロからスタートしたテレ東が、着実に努力を積み重ねて、クオリティの高いドラマを制作できる放送局に成長している。
追記。
書き方が悪かった。仕送り云々は通信費の中に含まれるスマホ代とか、実家用の駐車場代とか。
貯金云々の金額がネックなんだけれど、車の維持費の積立だったりするので、なるべく削りたくない…が、貯金や家賃を見直して生活費6万〜8万まで使えそう。
正直、現職は家庭を持って長く働くには十分すぎる職場だ。年齢の割に手取りは低いけれど、業務量も楽だし人間関係も煩わしくない。役職は無いし今後も付く予定はないけれど、新卒から居心地の良い環境を手に入れるためにコツコツ積み上げてきた。ハラスメント上司を告発して(その人は他にも問題があった)僻地へ飛ばすきっかけも作った。それを手放す惜しさはある。休み希望も通りやすいしGW盆正月は1週間休みだ。末端とはいえ大手の一部なので地方にしては福利厚生も十分。
ただ、この仕事をあと30年続けるのか…と考えて転職活動を始めた。特殊スキルもない一般事務職は体のいい雑用で昇進とは一切無縁。明日も半年後も10年後も20年後も全く変わらない日々。
事務職仲間は、結婚すると辞めるかパートになる。後輩に女性の総合職もいたが全員3年も持たなかった。つくづく、昭和の結婚前の娘さんがする仕事が今に生き残っているなあ…と感じている。
家庭を持てば変わるかもしれないが、彼氏と別れて、婚活に失敗続きなのでここらで環境をガラリと変えてみたい、という気もある。順当に行けば両親は私より先に老いて死ぬので、実家でいつまでも楽しく愉快に暮らせないだろう。面倒は見るつもりなので、地元へ帰れそうになければ再度転職するつもりだし、最悪大阪独り暮らしが立ち行かなくなっても、現在は両親が健在だし、年齢的にリカバリーも効くはずだ。
昔なんだけど
まあ少なくとも60年以上前の話、横増田が生まれるより前の話。
8ミリフィルムって知ってるかな。ビデオテープじゃない、アナログのフィルム。
8ミリカメラで自分で撮影し、写真屋に現像を依頼し、返ってきたフィルムをアナログで切り貼りして、一本の作品にする。
それをリールにまとめて映写機で映す。白い壁や襖なんかにね。ちょっとした映画監督だね……。そういうアマチュアのブームがあったんだよ。
ある人が、お正月休みを利用して、3泊4日の新婚旅行で訪れた観光地、名所の高台に登った様子を撮影。
編集には手間もかかるし、仕事も忙しいのでその合間をぬってということで、公開したのはもう初夏になっていた。
鑑賞していた一人が違和感に気づき、それを皮切りに口々に出た言葉。
実は、新婚旅行で撮影した時、カメラの露出設定が間違っていた。現像された映像は真っ白。アナログ時代あるあるの失敗なんだけど。
だから…こっそりもう一度お金を積み立てて、1泊2日で、同じ所に行って撮影したんだ。
実行までの間は友達には「仕事が忙しくて、まだ全然編集できなくって……」と言い訳して。
奥さんに怒られながら、上着を着たまま3泊4日分の観光地を駆け足で巡ったんだが、高台へ昇る道では我慢できずに開襟シャツで臨んだのでバレた。
まあ結局笑い話になったらしいし、仲の良い夫婦だったけど、奥さんはかなり詳細に語ってくれたので、なかなか強烈な思い出でもあったようだ。
そんなわけでまあ、綺麗で、よく出来た結婚エピソードなんて、フィクションの世界だと思っておいた方がいいんじゃないかな。
そして問題は、一つ一つ切り分けていった方がいいんじゃないかな。
Take2については、例えばもし、お金の件で双方納得して別れて将来他の人を選んでも、やっぱり同じ事を思わない? どうなんだろ?
まあ、どっちの道にしたとしてもだ、Take2が発生したときに、「おっ今回はうまくやれたな」と自分をほめればOKだと思うよ。
失敗したくない
返信めんどくさい
返信したら期待されそう
すぐ出品しないとだめなきがして
失敗したくない
打つだけだのに なんかだるい
どれが正解かわからない
意味もなく 脈絡もなくが好き さっさと失敗してください成功しか残らないんで
この世は ポケモンゴーでなんとかなってる
統領 浮気しないよねなんだかんだ
思い出すんすよね 10分くらいにある 山の中とか25日 黄色ジム
土日いく 連れ出してくれたのはポケモンゴー
てつがくどうこうえん みなとしおかぜこうえん
すべてに楽しいことが起きて
かみしゃくじ むさしのこうえん しょうわきねんこうえん
全部にエピソードがあるんすよね みんな同じ行動してきてたんで
一番忙しいのは7月で これのよってあとがめんどくさくなるか決まる
やるぞやるぞみたいになるんだったら
多分8月後半くらいからやるか
9月は刺激されて 内容変わるんすけど
オセンチなんですよ
思っちゃったことにショックで
うちこんな頭悪かったっけ
あせらずに そこまでうちできあがってないよ
いっちゃんさいゆうせんすべきことがわかんないし
こうしたほうがいい 正しい方向はわかるけどその順序がわからない
しろかくろかはっきりさせるのがよくない
きょうブルーです
酒飲みたい バカの酒のみたい翌日わあってなりたい
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05250900/
"削減をいったん凍結”ではなく、窓口を“復活”させるべき
については本当にそう思う。
昔よりは便利になっていってること、その為の努力してる事は分かってるけど、現状で使い勝手悪いサービスの対応コストを利用者側に押し付けるな、JR東は公共性高いんだしって感じ。
家族に学割で取りたい子が含まれる様になるとネットで完結しなくなるんだよ。
中学生〜高校生の6学年、もしくは大学まで含めると10学年幅があるし、兄弟いたらもっと幅がある期間対象家族が居るんだよ。
あと、ブクマの方に年寄りより若いカップの方が多いってのもあったけど、大学・専門学校生とかが学割使って旅行するなら窓口使わなきゃいけなくなるんだよ。
帰省先が、学割使える位は距離があって飛行機じゃないような場所とかじゃ無ければ知らないかもだけど、世の中には結構いるから混んでるの。
GWと秋のシルバーウィーク、夏季休暇と正月休みの帰省や旅行で、別に自分の家族が年4回全部出掛ける訳ではないが、世の中の需要は年4回ピークがある訳で、子どもの学校もあるからそこで出掛けるとなったら年2〜3回は面倒すぎる状況が10年近く続いてる。
1ヶ月と1週間前から特急券はネット予約出来るから、ネット予約した後に激混みな窓口で学割乗車券に行くの年々辛くなる。
https://www.jreast.co.jp/net-de-teiki/receive/tsugaku.html
>学校が発行した「通学証明書」をご提出(「通学定期券購入兼用証明書」をご呈示)いただき、窓口で「ネットde定期申込み」とお伝えください。
夏季休暇(7月下旬〜8月末)分の受取が、7月中旬〜8月中旬頃まで
で、実際には移動日直前で変更したい突発的な理由(子どもの体調不良とか)ができたら、ネット購入じゃないから窓口行かないと変更とか払い戻し出来ないんだよこれ。
で、実際に窓口に並んでると発券後の変更対応の人は結構いるんだよな。
閑散期が、1月下旬から3月上旬位と、5月中旬〜6月、10月〜11月中旬までじゃない。
まあ、これでも春休みには中高生を連れた帰省や旅行がない想定だけど。
話せる指定席券売機がある?
あれな、初手からオペレーターがzoomのMTGみたいに常駐しておきなよ。
呼び出してから繋げるんじゃなくて。
繰り返しになるけど、独占企業の公共性のある事業で利益上げるために利用者側に不便と時間的なコスト押し付けるなって思う。
そんな完成度になってないでしょ。
イギリスが公共事業の水道局を民営化したら、今、民営化した会社か利益あげて役員に巨額な報酬払う為にサービス劣化が酷いってのと同じ構造だよ。
将来的にAIとか使って窓口に人を雇わなくてもよくなるのは別にいいんだけど、サービスのクオリティは担保して切り替えてよ。
現状サービス維持出来ないクオリティーのものにしかなってないのに窓口減らすのは判断ミスでしょ。
「話せる指定席券売機」の導入で有人窓口減らせるはずって目論見は経営判断としては分かるけど、サービスクオリティが足りてませんでしたってミス。
まあキリがないんだけど最近年寄りに冷たい世の中になってきたなあと思う
田舎で親の介護をしながら生活しているものだけど、年金でウハウハな老人なんてほとんどいないし、
年寄りには補助が多いとは言うが、これらの補助がないとおそらく大量に自宅で孤独死するような人は増える
たしかに子育てをしたときには「もうちょい日本なんとかしてくれや」って思ったことも多いが、今は高齢化した親が手助けしてくれたり
して感謝している
小さい頃からジジババと一緒に生活し、自分が親になって親が子育て手伝ってくれたりして年を取ると、老人というのは身近にいて
とてもじゃないがそんな簡単に切り捨てたり虐められるものじゃない
認知の親が認知症進まずに生活できているのはデイサービスのおかげだ。このサービスが安く利用できなかったら自分たちの生活もどうなっていたことか
でも、だからって老人さっさとタヒね、なんて思えないのは、親が年老いていくのを見てきて、自分が年老いていくのもわかり、昔できたことが
できなくなり、それを辛いと思いながらも一生懸命生きている人達を見てきたからだ
だけど自分の子供達は高校卒業後家を出て都会にいるからかけっこうドライだなと思う
それでも我が家は小さい頃子供にとってのじじばばとは家が近くよく泊まりにいったり遊んでいたからかじいちゃんばあちゃんが大好きだしお盆正月には帰ってくる
それでもやはりずっと隣で見ているのと18で家を出ているのとでは、弱っていく親や祖父母を見ている時間が違うのである意味ドライになるんだろう
最近の老人虐めの傾向が怖い
虐めている人達はおそらく「自分はあんな老人にならない」て思うんだろうが、どんなに決意してもなるときはなるし、認知症なんて防ぎようがないのだ
認知症になれば「あんな老人にならない」と思った自分はもう消えている
ガジェットが使えない老人を馬鹿にするが、その人達は自分が60代70代になったときに今の記憶能力判断能力があるわけじゃないのだとわかっていない
それを私は親を見てきて、「あれだけ頭がよかったのにこんなにわからなくなるのか」と衝撃を受け、「老いとはそういうものか」と理解したが、見ていない都会の人達には
わからないのかもしれないと思った
文系のことは知らんけど、自分のいた研究室は毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。
個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。
過去、卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。
一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論もほとんど何も書いてない感じのだった。
後で聞いた話だと、その発表をした学生はほとんど研究室に来ていなかったらしい。
...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室。
実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分の学生にパワハラを始める人がいたらしくて、
その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。
今でいうAIのような流行りもののテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。
文系大学院の常識は知らんけど、自分の感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。
この研究室で論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?
ゼミで指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系の研究室はえらく気が長いんですね。
月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。
研究を進めるうえで研究室で特殊な機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?
自分の感覚だと、その程度の相談時間で、研究室のリソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。
ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官とテーマについて話してました。
論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。
「増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。
これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。
そして、シン・仮面ライダーのメイキング(NHK制作のドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。
早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。
もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生に質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。
は別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。
④ヒステリックになっていると言われる
「先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。
「お考えですか」だからね。
大学としてこの修了率は普通のことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。
普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。
正直、元増田のお気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。
修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。
⑤計画性がないと言われる
ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。
先生の問題というよりも、大学やその業界の問題のような気がしてならない。
うちの分野だと自身の研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究も評価の対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。
多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。
あと、先のところでも書いたけれど、もしかして、元増田の通っている大学院は別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?
自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。
でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。
え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。
働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。
ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分も学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。
でも、この書類もGW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。
先生にだって休みの日を休みの日として過ごす時間は必要だと思うので。
家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?
ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間がかぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、
理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。
ま、事実上研究室に住んでいるような人生を研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。
学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月も研究室にいたけれど...
研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。
親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。
労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。
でも、指導教官の対応はなんかおかしいと思う。そもそも、学生を育てようとか卒業させようとかいう意思を全く感じない。
でも、それは個人の問題というよりもシステムの問題なのかもしれないとも思う。
もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界の問題であって個人の問題ではないし、
そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。
法テラス?
普通に考えると、この手のトラブルは弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的な証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。
「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生
研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。
同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。
体力も気力もなくて全くついていけない。
休日は存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。
それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法が適用されないのかな?
お盆休みも正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。
・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。
・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生だから。社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。
なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。
でも、学生相談室が開いている時間に研究室の外に出ることはできない。
指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。
もし、環境が合わないだけならこれ以上お金を無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。
もし、指導教員の言う通り自分の能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい。
10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。
夜中の衝動で書いた支離滅裂な文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。
髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議な気持ちになりました。
「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」
外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分の視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。
同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。
こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。
ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。
世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。
一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分にがっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。
相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。
大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います。
ありがとうございました。
もう30手前になるんだけど、就職関係の話を見るたびに俺の選択はどうだったんだろうと思うから書き下す。
ガキの頃から建築が好きで、通学路に新築の一軒家が建とうとしている現場があれば眺めていたり
当時は劇的ビフォーアフターが流行っていたのもあって小学生の頃から「一級建築士になる」
ことを将来の夢にしていた。ちょうど、中学の頃に叔母が新築を建てる際に建築家の先生に依頼することになり
仕事の様子をよく見せてもらっていた。また施工中の現場もよく見に行っていた。
この段階では将来はこの仕事をして飯を食うことになんの疑問も抱いていなかった。
まず、一級建築士を取るためにはその前の二級建築士を取らないといけないため、高専の建築科を卒業するのが最短ルートだった。
幸い、地元に高専もあったのでそのまま卒業し、地元ではないが県内の有名なゼネコンに入社することにした。
今思うと最初からどこか個人か組織系の設計事務所に行けばよかったが、そこのゼネコンは医者等の高所得者向けの注文住宅のシェアが非常に高かったのでいろんなことが出来そうというのが理由だった。
まあ入社して最初から希望配属ではなく、定型的に公共建築やショッピングセンター等の不特定多数が使用する施設or大規模建築の部署の現場監督のほうに回されて
現場を見てきてね!ってことになった(ここに関しては文句はない、現場を知らずに設計すると大体あとからツッコミが入るのはどこの業界でも共通だと思っている)。
現場は楽しかった。何もない所を重機で整備して、図面をもとに指示出しをして・・・などなど、大変なりに現場の職人達とコミュニケーションを取りつつ仕事をすることと
だけども、監督業というのは当然ながら現場を監督する役割のため、朝は誰よりも早く現場に来て鍵を開ける。パトロールをする。書類関係(役所に申請するものも非常に多い)。
工事写真を撮る、職人からの質問や要望に応じる等、朝から晩まで動き回るし、図面をみてアレコレ指示出しもするし身体も頭も結構使う仕事。
特に明日の準備なんて今日の現場が終わって職人が帰ってからじゃないと出来ない。
あと、工期の短縮=コスト削減のため土曜日は基本的に出勤(最近になって完全週休二日制の現場が増えてきたよね。職人からは不評だそうだけど)です。
施工に関しては施工要領書があり、当然それを満たすように作る必要がある。
そしてそれを確認するために工事写真を撮って、ちゃんとやってますよという証拠にする。
ただ、全箇所撮るのは人が足りなくて無理だったりするので写真を撮ったところ以外はテキトーだったり…。
コンクリートの養生後の圧縮強度が規定未満だったり、エトセトラ。
昨年話題になった大成の札幌の精度不良の件、あんなの表沙汰になっただけで偉いよマジで。
当然、監督業とはいえ1年目のペーペー、当然、現場代理人というこの世の神みたいな扱いの最高司令官が上司にいます。
基本その人から仕事をもらうというか、指示があって動くので上司次第で現場は変わります。
上司より早く出勤し掃除して上司より遅く帰るのが絶対。いつの時代?
割と学生時代からチクり魔で(嫌な奴)、これ以外にも沢山問題点はあったので都度会社にこれっておかしくない?
って相談しましたがいやいやそんなもんだよ。スタンダードだよってあしらわれて終わりでした。
まあ残業代も出なければ週休二日制ですって労働条件なのに毎週土曜日出勤して振替休日もなく
好きで選んだ仕事、自分で選んだ会社、こんなもんか~って思っていましたがあまりにも無理すぎて大体半年で体重が15kg落ち病んでその半年後に退職しました。
退職する時もモメにモメて散々暴言も吐かれたしコーヒーカップを投げつけられる(一応平成と令和の境目くらいの話です)なんてこともありましたが無事退職&転職しました。
さて、無事に退職出来たら段々と会社に対してムカついてきたので労基に行き申し立てをしました。
残業代未払いその他の労働基準法違反が疑われることに関して告発を行いました。
結果から言うと残業代は払われましたが、立ち入り検査があったとか、是正勧告があったとかは聞いていないです。
でも泣き寝入りせずに告発したことで、お金と残業代を払っていなかったことを認める書面を手に入れたので
それをもって母校に行き「今後かわいい後輩たちをこんな会社に入れないでくれ。就職斡旋するな」と言いました。
これは受け入れられたようで後輩たちが入ったという話は聞いていないです。被害者が増えなくて良かった。
ダメ元でも不正に関して窓口があるならとりあえず行くべきだと思います。
そしてニート期間を挟まず再就職をしました。子供の頃からの夢はここで終わり、縁もゆかりもない地方の縁もゆかりもない職種に就くことにしました。
別会社の同じような職種やそれこそ設計職に就けばよかったかもしれませんが、業界に対して絶望していたので全然違う職にしました。
転職後はマテハン業界に入りました。全然畑は違うものの、もともと趣味でバイクに乗ってイジっていたこともあり
工具はわかるし、建築を専攻していたので図面もなんとなく読める(公差は未だにわからない)。
PLCも元々興味はあったので軽く勉強して少し修正するくらいならできるようになったり、
最近は文系職種から「手に職つけたい」とこの業界に来て右も左もわからない状態で辞めていく人間も少なくないので
最初からある程度なんとかなると踏めば知らない業界でも飛び込んで努力すればいいと思う。
盆やら正月やら帰省して、たまに同級生と会って飲んで近況報告をすると驚きの事態が起こっていました。
「建築科卒業同期約30名のうち、約1/3は建築・建設業界を辞めている」
最初から建築業界を選んでいない人間も確かにいます(女子とか、テキトーな地元の携帯ショップとかに就職してそのまま結婚したやつ)。
少なくとも27人ほどは何かしらの建築・建設業(ゼネコン、サブコン、役所、設計事務所、大学出てコンサル等の建築にかかわりのある仕事)をしていました。
早い人間でやはり1年ほどで辞める(俺)か3年ほどで辞めるパターンが聞いてみると多い。
話を聞いた当時社会人5年目、同期で建設業に残っていた人間はなんと「8人」だけでした。
・建設業に残っている奴
自身の事を建築の奴隷だと自称して設計事務所に就職後、大学に戻って学び直している奴。
上司から怒られていてもプロテインシェイカーを振るくらい神経が図太い奴。
・辞めた奴
ゼネコン入社後1年でパワハラを苦に飛び降り自殺をした奴(幸い助かっている)。
会社で被災し(労災案件)、もみ消されて大暴れしクビになった奴(ニュースにもなってない。地方のデカい会社は怖いね)。
病んだ奴多数
それ以外にも業界はそのままだけど転職を繰り返している奴、休職中の奴、転職を考えている奴とかはいる。
地方で就職した連中だけでなく首都圏で就職した人間も同じ悩みを抱えている。
会社に対して何か指摘しても会社側は「好き・憧れてこの業界に入ったのに何言ってんの?」ってスタンス。
ただ当然、最近は世間の目があるのでデカい会社から変わりつつあるそうだが…根本的には変わらないだろうのが同級生たちとの共通認識。
建設業の人間はどこの会社も奴隷労働、お金が出るかどうかは会社次第。
ワーカホリックが生き残っている。寝ても覚めても建築一辺倒の人間かONOFFのスイッチがかなり明確な人間。
好きなことをして稼げているならいいじゃんって話ではなく、必要な労働をした結果の対価を求めているだけなんだけどな。
現在、就職活動をしている人たちは社内の事情や業界についてはよくわからないはずので
実際にその会社に就職している先輩に聞く、ネットで情報を集める(バイアスがキツいと思うけど)は当然必須。
ただ本当に覚悟してほしいのは、まだまだ昭和体質が抜けていない時代錯誤な業界だということ。そしてそれは地方に行けば行くほど
目も当てられないくらいヒドいということ。
ちなみに転職後、都内で某オレンジ色の●林組と1年ほど仕事をしたときに思ったのは
タブレットを使っているとか電子化・スマート化が進んでいるだけで書類関係やらは却って数は多いし品質面はうるさいし
現場事務所が24時間灯りがついている(と警備が言ってた)らしいからあんまり変わらないかもね。
最終的に就職に関しては他の皆は応援するだけで責任は自分で取るしかないから。
なるべく良いところを探して就職できるように頑張ってください。
そしてもしそこでダメだと思ってもなるべく悲観せずに転職してください。
飛び降りるような真似はやめてね。
自分語りのほうが長くなったけど以上です。
業界の先輩が書かれていましたが「楽しい」のは確かにそうです。現場も楽しかったこと、良い思い出は沢山ありました。
ネガティブ面ばかり書いてしまいましたけどね。これもモノづくりの一端なので好きな人はハマるとおもいます。
設計志望でもいざやってみたら現場もいいな!って思ったくらいなので。
でも、好きでもこれは許せないって出来事が積み重なり、ラインを超えたら…。
あとキャリア形成間違えたんじゃないって話。確かに。大学院までいけばもっとやりたいことも出来たよなあ。
自分のキャリアが高専卒というマイナーな存在なので参考になるのか?と言われれば微妙なところですが
就活生には少しでも自分に合った会社を見つけてほしいと願うばかりです。
10 名無しさん@恐縮です 2024/05/16(木) 00:48:56.84 ID:yxVK0OQd0
木村じゃないけど香取慎吾がファンの女の子からプレゼント手渡しされて
嫌なら受け取らずに拒否すりゃいいのに一度受け取ってからその子の見てる前で思いっきりプレゼントをコンクリートに叩きつけて一瞥もせずに無言で去って行くのは見た事ある
30 名無しさん@恐縮です 2024/05/16(木) 00:57:28.03 ID:w/Z0Ohtx0
2000年位かな、藤沢にあったマルイで中居にすごい睨まれたことあるわ
正月すぎた頃にたまたま店舗内に彼女といたら、スポーツ用コートやジャージを着た柄の悪い7人位の男がいてよく見たらそのうちの1人が中居だった
特に声を出したりもしてないのに足を止めて全員で睨んてきたwww
未だに嫌いw
実際、俺は今酷く酩酊しながらこれを書いているし、支離滅裂になっても構わないと思ってこれを書いている。
俺はまどろみが好きだった。
起きた時に未だとろんとしている情緒が、夢と現実の境目に居るかのようなまどろみが好きだった。
今の情報化社会には感謝しているのかもしれない。だがそのせいでもあった。
彼女が今、何処で何をしているのかを知ることが出来たのだから。
俺には幼馴染が居た。
小、中、高と一緒で、中学の時には一時距離を隔てたこともあったが、それ以降は以前のように仲が良かった。
俺は彼女のことが好きだった。しかし”関係を壊したくない”なんていうありきたりな理由でその気持ちを伝えることはなかった。
要はビビっていたのだ。
やりたいことがあったんだ。それがなにかはここでは書かない。身バレを怖れるという恐怖心は俺の中に未だまどろいんでいる。
俺はそのまま県外で就職し、彼女との連絡は続けていたものの次第に疎遠となり、連絡し合うのは正月ぐらいになっていた。
信じたくはなかった。それでも確かめないわけにもいかなかった。
それは地元駅から数駅離れた駅の近く。その駅からは歩いていける場所にあった。
商店街の隅、こじんまりとした階段が顔を覗かせ、ビルのテナントが表記されている。
俺はエレベーターを使わず、ゆっくりと階段を上った。足取りは重い。彼女の顔が幾栄にも脳裏をよぎった。
ただの噂だ。嘘だってこともある。俺は足を止めると顔を上げた。重々しい扉の前に立った。ひっそりと鼻で深呼吸をした。
扉に手伸ばし、中に入ると受付がまず目に入った。
先払いでお金を支払うと奥に案内され、顔写真が飾ってあり、俺はゆっくりと視線を漂わせた。
ある一点で止まるとそこで活動を休止させたように、俺の目には他に何も入らなくなった。
ソファに座って待つ間。俺は自分の手ばかりを見ていた。動悸は激しくなり、何も考えられない。
彼女が迎えに目の前に現れた時、彼女は目を見開いた。それから見たことのない商業スマイルを見せ「こちらへどうぞ」と俺を案内する。
個室に入るまでには一切口を利かなかった。
靴を脱ぎ、部屋に上がる。彼女はベッドに座り、俺は彼女の前に立った。
お互いに何も言わなかった。
どうして?と俺は言いたかった。久しぶりだね、と彼女が口を開いた。
俺は俯いたまま、床ばかりを見つめながら彼女の名前を口にした。
昔、ずっと好きだったことを告げた。
静かだった。物音一つしない。鼻をすする音が聞こえ、顔を上げると彼女が泣いていた。
その言葉、もっと早くに聞きたかったなぁ、と彼女が言った。俺は
彼女がそう口にするのを、俺ははっきりと聞いた。
俺は彼女の隣に座った。ごめん、と言った気がする。
彼女は俯いて静かに泣きながら俺に両手を伸ばし、俺の左手をその手で包み込んだ。
ごめん、と彼女も俺に言った。俺は泣いた。
それからのことは思い出したくない。俺は彼女に脱いでほしくなかった。手を握り続けてくれればそれでよかった。それでも離したくなかった手を俺は離してしまったのだ。
俺にはどうすることもできない。
俺は店を出て階段を降り、ゆっくりと振り返った。それから帰った。もう帰る場所はないように思えた。
戻ってきても仕事に熱が入らず今日もこうして俺は酒を飲んでいる。
まどろみたいのだ。
今でも幼馴染は、彼女は俺の夢に出てくる。
それでも今の俺にできることはこうして酒を飲むことだけなのかもしれない。
ひとの家に上がりこんで下手したら一日中平気で居座る
うちの親父が生きてた頃は非常識なことすると怒鳴られるから大人しくしてたけど
そのうるさい親父がいなくなって好き勝手し放題だから5回に4回は居留守で対応
そしたらお前らみたいな都会人は人情みたいな大切なものを失ってしまっている
俺は都会の冷たい人間なんて当てにしないと家族も残して一人で田舎に帰った
田舎の親戚たちも当初は都会モンは冷たいと言って同情し
やっぱりあるもの何もかんも食うし何時間でも居座るから迷惑がられて
バーベキューの肉買ってきてと金が無いだろうと気を利かして多めに金渡さても
田舎にも居られなくなって都会に舞い戻ってきた
うちは冷たい都会人だから当てにされてないはずなのに
やっぱり家に居られなくてしょっちゅう呼び鈴鳴らしやがる
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:バナナ。シメジとタマゴとブロッコリーの煮物。ポロイチ塩。トマト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
連休終わったのでテキスト主体のアドベンチャーゲーム以外の運営型スマートフォンゲームの感想を再開する。(日課程度は遊んでたは遊んでたけど
光のリバースマグナが、シュヴァマグ石超越250、銃4凸5本、槍4凸2本、刀4凸3本作ったのでひと段落。
いや闇と火が追加された上に、まだ風が終わってないので周回遅れなんだけど。
先にコロッサスとセレストの石の超越250はしておかないとだ。
アネモネちゃんで深域クエスト余裕らしいんだけど、全然コピーできる編成なくて諦めた。
正月ホマレさん引いてないよお。
○ウマ娘
結構前の話なんだけど、天井貯まってないのにお漏らしガチャしてしまい、当然出なくてちょっとガチャ我慢できない自分が嫌で落ち込んでた。
自慢だけど僕の肌はよく伸びる
20代後半を迎えようとしてるってのにもちもち。
たまに風俗嬢がびっくりしたりもする
おっさんにつねくられたりする
「なんでそんな肌がもちもちなの?」と言われてもなんでかずっともちもちなのだ
まあ、そんな自慢もほとほどに僕はやりたいことがある。
肌で悩んでる女を嘲笑ってやりたいのだ
するくせに正月に1万円ぐらい貰ったことあるくせに鏡で自分の顔を見ては「またニキビ出来ちゃった…」とため息をつくような女を思いっきり
「ねえ、見て肌がもちもちでしょ?あは」
みたいな感じで
きっとそんな事をされたら多分、その女は必死で自分の肌をどうにかするだろう
そのどうにかする様を想像したいのだ
この感覚はまるでマイフレンドのラーメンを会社のランチに食べている女をバカにしたい気持ちに
よく似ている。
あれも昔は食べていたが、食べなくなってから
あの不味さと悲しさに気づくもので
ていうかあんなもん食べてたらそりゃニキビ出来るわなご愁傷さま笑
今日も鏡で自分のほっぺをつねってはその美肌っぷりに嬉しくなる。
保湿クリームあげるよ笑
5年前に結婚。子無し。
増田は35歳、妻は26歳だった。
増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立。大学と院は奨学金で行った。
結婚するまで自分は普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収や資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。
結婚のときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。
妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。
増田の実家は結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援は特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。
妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。
すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。
私大の学部卒は低学歴に入る感じだ。修士が普通、高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)
頑張って博士号を取って良かったと思う。
妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。
妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子に抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。