はてなキーワード: 敬称とは
最近大手のメディアでも暴力的と思われるワードを自主規制したりするのを見かける。
誰も言わないのに勝手にマスコミが天皇を敬称つけたりするのに感じるような、同調圧力のような気持ち悪さだ。
でも一個人が勝手に何かを察して自主規制したりすることに自意識過剰さと、過度な察しによるどうでもいい事象の蔓延の兆しを感じて気持ち悪くなる。
ただでさえ遠回りな表現を好む日本で察し察しのこういう謎文化を広めてほしくない。ただの一個人が。
一般人が何も考えず誰かがやってるのを見て、勝手に何かを察して
SEOでいうなら平仮名にして文字を開こうがそんな小細工まったく意味がない。
こずるい真似をしてこそこそやっているのも、小市民みたいでむかつくんだよ。
民主党政権時代、松本龍氏(復興大臣・防災大臣)による「書いたらもうその社は終わり」などとの発言について、主にリベラルと思われる方々による「言論により辞任させた案件で報道の自由が実現されたもの」という評価が目立っているので、事実関係を整理した上で感想を残しておく。
東日本大震災後、4ヶ月ほど経って、復興担当大臣と防災担当大臣を兼務していた松本氏は被災地である岩手県・宮城県に赴き、両知事と面会した。その時の主な発言は以下の通り。
◯(自身が面会場所に到着したときに村井知事がまだ到着していなかったことについて)先に来るのが筋だよな。お迎えするのがね。
◯(村井知事が面会場所に後から入ってきたことについて)今、あとから入って来たけどお客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった? しっかりやれよ。
両知事に発言に対する発言ともに問題視されたが、特に言論統制という意味では村井知事に対する「書いたらもうその社は終わり」という発言が問題だろう。
前提として、面会場所には地元メディアだけでなく全国紙などなども詰めかけており、地元メディア以外にも既知であった。
なお、「書いたらもう終わりだから」発言について、以後「当該発言」という、
◯地元テレビ局である東北放送は、当該発言まで含めて、「波紋を呼びそうです」と問題視して放映した。
◯松本氏の問題発言について、当該発言はカットして報道した。(確認できただけでNHK・テレビ朝日系・TBS系・フジテレビ系・朝日新聞・毎日新聞など)
◯特に毎日新聞は、「オフレコです」まで報じたにもかかわらず、当該発言は報じなかった。
◯読売新聞はWEB版において、22時台に、復興大臣の発言集として当該発言があった事実のみ報道し、特段問題視はしなかった。
◯村井知事は定例会見において、東北放送の報道による当該発言について、「冗談で言ったのだろう」とコメントしたが、この村井知事の発言を報じた全国マスコミは産経新聞のみ(夕刻、WEB版にて)であった。なお、産経新聞も村井知事の発言を報じたのみで特段の問題視はしなかった。
7/3に報じられた東北放送の当該発言のニュースがYouTubeで100万回の再生を記録するなど一斉に拡散され、当然批判的な論調であった。
不明である。良く人口に膾炙されるものとして以下の通りであろうか。なお、いずれにしても根拠はない。
そもそも報じられており、それをきっかけに辞任まで追い込んでおり、問題視されるものではない。(参考 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2362888)
当該発言の当日、東北放送以外のマスコミも面会に同席しており、知っていたにも関わらず即日又は翌日に報じなかった。
東北放送の報道が広まり報道せざるを得なくなってからの後追いではないか。
異常なまでに特落ちを恐れるマスコミの普段の様子からすると異様ですらある
東北放送は問題視している。大手マスコミすべて東北放送よりも報道の自由を重視していないというのならともかく、日頃報道の自由を錦の御旗のように掲げる大手マスコミが揃いも揃って報道の自由を軽視しているとは考え難い。
まさか大手マスコミの中の人が揃いも揃って報道の自由なんてどうでもいいと考えているわけではあるまい。それはマスコミの方々に失礼だ。
松本龍氏は、義兄が指定暴力団工藤会の総裁である野村悟氏(殺人罪で無期懲役刑)であり、また本人も部落解放同盟の要職を歴任してきた者であることから、報復を恐れて報じなかったのではないか
※部落解放同盟による圧力についてはウィキペディア関係記事(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%83%BB%E7%B3%BE%E5%BC%BE)を参照
特段の反論はない。
東北放送の報道が拡散され、世論が批判的になった(隠しておく必要がなくなった)後に大手マスコミによる報道が始まったのも傍証と言える。
工藤会は北九州市を地盤とする暴力団であり、また、部落解放同盟による事件も概ね関東以西、多くは関西以西で起こっていることから、東北放送には気兼ねする必要がなかった(または松本龍氏の発言にこめられた意図を完全には理解できなかった)。
そもそも東北では村落や集落の意味で「部落」という言葉が使われているくらいだし、納得感がある。
東北放送の意図は定かではないが、東北放送がなければ、松本龍氏による言論封殺は成功した可能性が高い。
憲法学(報道の自由)や社会学(メディア論)の格好の研究対象と思われるが、何故か研究はなされていないようだ。
大手マスコミはこれを報じなかったばかりか、擁護記事も目立った。いくつか例示しておく。
◯困難な状況に置かれている「後輩」を厳しい口調で激励するつもりだったのかもしれない(7/5東京新聞)
◯(当該発言に触れなかった上で、)防災担当相として震災の政府対応を担ってきた強い自負が、被災県の知事や国会に対する不満につながったとみられる(7/4毎日新聞)
以下の通り、ブコメでは「でも自民党や安倍政権よりマシだし」とのコメントも目立った。
◯松本龍については敬称を付ける気も起きないくらい擁護の余地がない。が、自民党の麻生、森、安倍あたりはこれと同レベルの発言が山ほどあるので、この一点だけで民主党政権がダメというのは党派性がすぎる
ただ、「同レベルの発言が山ほどある」とのことだが、マスコミに対して「この事件を報じたら終わり」などとの発言は探せなかったのでいくつか例示いただきたい。
また、あったとしてこのように大手マスコミから報道されず、また擁護されたかも合わせて例示いただきたい。
(ブコメ)
7/4の22時に報じたって書いたね。
その時点で7/3の東北放送報道がYouTubeで再生されまくって、更に村井知事もその件で質問を受けてたから、まさに隠す必要がなくなってからの後追いってのの傍証なんだが・・・全然読めてないのな
最近のアイドルやVTuberたちのファンの熱狂ぶりは異常だ。これらの人気者たちは女性ファンから過剰に可愛がられ、時に「赤ちゃん」扱いされている。そんな中、一部のVTuberから「ファンに赤ちゃん扱いされるのはストレスになる」という異議申し立ての声も上がっている。
確かに、大人の男性が可愛がられすぎて赤ちゃん扱いされるのは気分が良くないだろう。
一方、この"赤ちゃん"呼称の背景には、社会全体に蔓延る"幼児化"の風潮がある。街行く一般の大人の女性ですら「女子」と呼ばれることが当たり前になっている。かつては大人として敬意を払われるべき存在が、敬称を剥奪され、無防備な未熟者のような扱いを受けているのだ。
この「女子」呼び捨ての風潮は2000年代以降に一気に加速した。「女子会」「女子力」といった言葉が爆発的なブームとなり、社会に広まっていった。女性のことを無造作に「女子」と呼ぶのが当たり前の時代になった。一方、男性への「男子」呼びはそこまで浸透していない。男女間の扱いの差は歴然としている。
このような大人への蔑視が蔓延る中で、一部のオタク男性たちはむしろ自ら幼児化することに酔いしれている。彼らは推しの声優やVTuberたちを「ママ」と呼び、自らを「赤ちゃん」と位置付けることを快感としているのだ。
この矛盾した現象は一体どこから生まれてきたのか。それは幼児期の母性愛への強い憧れにあるのかもしれない。オタクの内面には、世間知らずの無防備な子供心が残されているのだろう。自らも無防備な幼児となり、親しみを持つ対象に守られたいという心情があると思われる。
だが、この無防備さを誇りとするあまり、オタク文化が生み出した新しい価値観は逆に大人社会に波及し、大人社会の空気を自らの支配下に置こうとしている。
他者に守られたく自らを赤ちゃん化するオタクたち。そして大人を幼児扱いする資本によるマーケッティング。この両極端な文化の狭間で、私たち健全な大人は翻弄されている。本来なら大人は互いに敬意を払い、対等にコミュニケーションを取るべきなのだ。
しかし、世間は否応なしに"大人を幼児化する"流れに乗せられようとしている。大人として大人を尊重することすら難しくなりつつあるのが現状なのだ。大人同士の関係におけるこの価値観の攪乱こそが、今一番危険なのだと私は考えている。
『あのちゅーる』( https://www.youtube.com/watch?v=D79Na7Kik0w ) を観て、人間としての格の違いを目の当たりにした。
それでも、「あのさん」と呼んではいけない。
テンプレ化された敬意の示し方しかできないのでれば、特別な存在である彼女をよくいる平凡な存在におとしめかねない。
一部の人たちの間でもてはやされ神格化される様は、承知の通り傍から見ていて気分の良いものではない。
むしろ興ざめすらさせる。
「あのさん」でも「あのちゃんさん」でもいけない。
アーティスト「ano」であり、「あのちゃん」だからいいのだ。
「あのさん」と呼ばれるにはきっとまだ早い、と私は思う。
そして「あのちゃん」側もまだそれを望んでいるわけではないとも思う。
慇懃無礼。
表面上は丁寧に振る舞いながら、その実反発を受けにくい体で見下し、煽り、嘲り、マウントを取るための手法というなんともいやらしい言語の到達域である。
日本や中国に限らず世界にもこういう類型は存在するのだろうか。するんだろうな。ろくでもない人類。
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さて、主語のでかい前置きを終えて本題に入るが、私はこれの逆バージョンが好きである。表面上は荒々しい、猛々しい、素っ気無い、ぶっきらぼうな口調だけど、根底には相手に対する敬意とか親愛とか配慮とか弁えが感じられるという喋り方が。
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これに最初に気付いたのが『聖結晶アルバトロス』という漫画だった(作者は「争いは同じレベルでしか〜」のカンガルーバトルミームの発祥者でもある)。キャラクターの一人である気の強い未熟なおガキ様が、無謀な抗戦を諌める従者に対して「黙れ○○さん!」と却下し、母親を守りたい意地で主人公達に立ち向かおうとするシーン。構図自体は上の立場から目下の意見を断固はねつける、暗君とか高慢貴族とかにありがちなそれ。なのに「さん」付けで呼んでるのが、従者への親しみはちゃんと別にあるんだぞと分かってそのギャップがなんだかほっこりと面白く感じたのだ。漫画はあんまり面白くなかったけど。
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以下は既知の他の例
・『ニニンがシノブ伝』
サスケが遂に手に入れたメイドロボ・エイミー(美人ではない)が、「ゴシュジンサガッテロコイツラハオレガヤル」と臨戦態勢に入る。「下がってな俺がやる」自体は色々な作品で見られるシチュエーションだけど、ご主人呼びが入る事によって、無愛想な護衛からの(私が守って差し上げる)的な言外リスペクトを感じられるのがよいね。まあただの脈絡ないギャグシーンなんですけどこれ。
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月刊ジャンプだったんだろうか。
委細は覚えていないがスタイリッシュなバイオレンス桃太郎軍団という味付けで、猿(ゴリラ)が「桃太郎ォッ……!早くッ、命令しろ゛ォォッ!!」と血気を滾らせながら戦闘許可を求めるシーン。好戦的で上役に対しても呼び捨てだが、あくまで自分に決定権は無い事を理解している、俺への命令を下せと命令口調で叫んでるって入れ子構造がなんだか面白かった。「命令してくれ団長……今すぐ!(ウボォーギン)」に近いものがある。
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・『ニンジャスレイヤー』
敵味方上司部下の見境なく「=サン」を付けて喋るお話。なんなら口に出さない独白でも付ける。「死ね!ニンジャスレイヤー=サン!死ね!」はその畢竟だろう。wikiで解説されていた奥ゆかしさ重点とは言ったものである。……これ意図的なヘンテコ日本語楽しむ作品だから他と毛色が違い過ぎるだろ!などと突っ込んではいけない。作者は外国人だ。いいね?
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慇懃無礼が如何に波風立てず相手をdisるかという狡猾さの表れなのに対し、この無礼丁寧とでも呼べそうな言動は、粗雑な口調からは隠しきれない善性や人間くささの垣間見える不器用さが味わいなのだと分析している。素晴らしきかな人類。
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主語のでかい讃頌はほどほどに、ブクマカが創作で覚えているそういうシーンとか、現実でもそういうの見たことあるよとか、そういう慇懃無礼ならぬ無礼丁寧なエピソードがあったら聞いてみたい。
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注記)
ここでいう対象となるのは──それなりに知ってる人の多そうな具体例を出すが、「ワンピースで、緑牛がワノ国住民に対して非加盟国に人権は無いと言い放つ(なんやこの差別主義者は……)→非加盟国への非人道的所業が実際度を越してた(あれってお前ら危ないよって警告だったんだぁ……)」みたいな後から真意が判るやつではない。例で挙げたように敬称や立場込みのシチュエーションから、その場で判別の付くやつです。そこのところを押さえてコメント頂けるとうれしい。
くだらない話題
自分の増田を「俺の増田さん」とさんづけで呼ぶ人が増田に二人いる(俺の増田様がさ~、みたいにおちゃらけて呼ぶのではなく普通に)。
「増田」「日記」「投稿」その言葉の元の意味を考えるとう~んと思いますが敬称がついていなければ気にならない。それは慣用化しているし。
増田さん、というのは、「お宅の増田さんバズってますか」のように相手の増田の事を言う時に使うのが一般的だよね
ブクマカである夫に言うと「ブクマカだってはてのさんって言ったりするじゃないか」と言っていたが、はてのさんはお嬢様系AIはてなブックマーカーだから問題ない。
しかし増田さんは増田でいいのにさんをつけるため、「増田さん」で話を進められると「あなたも私の増田さんを敬え」と言われているような不思議な感覚に陥り、イライラすると自分で分析している。
くだらない話題
自分の夫を「うちの旦那さんが」とさんづけで呼ぶ人が身近に二人いる(うちの奥様がさ~、みたいにおちゃらけて呼ぶのではなく普通に)。
「旦那」「主人」「亭主」その言葉の元の意味を考えるとう~んと思いますが敬称がついていなければ気にならない。それは慣用化しているし。
旦那さん、というのは、「お宅の旦那さん元気ですか」のように相手のご主人の事を言う時に使うのが一般的だよね
うちの夫に言うと「男だってかみさんって言ったり奥さんって言ったりするじゃないか」と言っていたが、かみさんはかみさんであって「かみ」で切れないし奥さんも「奥」とはいわない。
しかし旦那さんは旦那でいいのにさんをつけるため、「旦那さん」で話を進められると「あなたも私の旦那さんを敬え」と言われているような不思議な感覚に陥り、イライラすると自分で分析している。
自分の夫を「うちの旦那さんが」とさんづけで呼ぶ人が身近に二人いますがイライラします(うちの奥様がさ~、みたいにおちゃらけて呼ぶのではなく普通に)。
「旦那」「主人」「亭主」その言葉の元の意味を考えるとう~んと思いますが敬称がついていなければ気になりません。それは慣用化しているから。
旦那さん、というのは、「お宅の旦那さん元気ですか」のように相手のご主人の事を言う時に使うのが一般的ですよね。
うちの夫に言うと「男だってかみさんって言ったり奥さんって言ったりするじゃないか」と言ってましたが、
かみさんはかみさんであって「かみ」で切れませんよね。奥さんも「奥」とはいいませんよね。
「旦那さん」で話を進められると「あなたも私の旦那さんを敬え」と言われているような(?)不思議な感覚に陥り、イライラすると自分で分析します。
といっても管理ツール上での敬称を省略されたり、通知を最後についでに入れられる程度のかわいいものだが。
それでも気にせずお礼を淡々と述べたらお気に入りはされたりと(普通嫌っていたらそうしないでしょう?)、行動が読めない。
嫌われてると悟ってからは気を遣ってもう一ヶ月は話していないしチャットすらしていない。業務上どうしようもない場合を除いて接触を断っている。
それでも引き続きこうして嫌悪を露わにしているモチベーションってなんだろ。
自分が何かしたのだと思うが、残念ながら段々と疎遠となり一ヶ月以上前を遡ってみても別に話をすることもなかった。
元々仲は良かった、と思う。少なくとも慕ってくれてはいた。