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はてなキーワード: 脳科学とは

2008-01-18

脳科学

ADHDアスペルガーみたいな脳機能障害が認知を得てきたからって、自分の不得意な分野を脳機能障害のせいにするのはやめようや。

誰だって一時的に落ち込んだり、やる気が出なくなることはある。

暗記が苦手だったり、計算が苦手だったりということはある。

でも、それは「性格」とか「個性」ってもん。

病気の可能性もあるけど、大半はなんでもない。

ポジティブシンキング脳トレで向上するレベルの問題。

2008-01-12

ゲーム脳とは親の尊厳を取り戻す戦いだったのだ

 最近脳トレ」とか「脳科学」とかが持て囃される状況ですが、その流れを作った一つとして「ゲーム脳の恐怖」の存在があったのは否定のしようが無い。でも、何故ゲーム脳と言うトンデモが支持を受けたのかと色々考えたらこういうことが思い浮かんだ。

1・職場OA化に対する恨みの弔い合戦

 90年代は効率化の名の下に様々な業種へのパソコンの購入が急速に進んだ時期だったわけだけど、その導入時期と言えばバブルが崩壊してまさに何処もかしくも企業リストラと証したクビ切りを行ってた頃だったわけで、パソコンの類が使えない人間社会不適合者とばかりにリストラ対象者となり追い出されていった。リストラによって生活の基盤を失い家庭崩壊に至った人はかなりの数でいるだろうし、パソコンさえなければ今頃は退職金で悠々自適な生活を送れたのにと思う人は結構いたはずだ。

2・急速なデジタル化による親子関係の逆転

 90年代から今日までの急速なデジタル化は親子関係の逆転すら生んでしまった、これまであったであろう「親が子に教え、子は親に敬う」と言う考えは新しい技術に適応できるか否かでもろくも崩れ去った。つまり、子が親にパソコン携帯電話の使い方を教え、使えなければ子供にバカにされる状況が出来上がってしまった。これまで「親が偉い」と考えてきた人もたかがパソコンゲーム機如きで崩れ去るのは全てにおいて非常に耐えられないはずだし、パソコンゲーム機憎悪をむけるのもわかる。

3・急速な変化に何らかの暴力を持ってしてもブレーキをかけたかった

 結局、生活の場を脅かされ、親子関係に変化しかねない状況ではどういう手段を持ってしてもこの流れにブレーキをかけたいと考える人が増えるのはいたし方の無いのかもしれない、たとえそれが子供に対する暴力であったとしても。

 そういう意味では森昭雄の提唱したゲーム脳は変化について来れない彼らにとっては、光であり、正しい暴力であり、救世主であったのだろう。(それも脳トレの普及によって覆されてしまうのだけど)脳に対する運動療法ならいくらでもいい手段があるはずなのに彼が提唱したのは親が子に伝える遊びであった「おてだま」と言う事の真意が読み取れるはず。

なんて言うか小難しい手段で子供からコンピューター類を奪う前に「私たちは時代の変化についてゆけません」と正直に言ってしまえば気持ちいいのにね。

2008-01-10

矛盾なのか無矛盾なのか

自己啓発本に「夢をあきらめるな」と、「現実をあるがままに受け入れよう」という二つのメッセージが書かれてるんだが、これって矛盾なのか無矛盾なのか?

気持ちをポジティブにするには大切だってことは何となくわかるんだけど、論理として上手く飲み込めない。

矛盾がないのなら、心理学的、脳科学的にどういうメカニズムなのか知りたい。

2008-01-05

徴農」とか

若者自立施設とかについて。

よく政治家保守派論客なんかが、ニートをそういう施設に送り込んで性根を叩き直せ!ということを放言して、それに対してリベラル派の学者なんかが「本質は経済労働環境教育制度など構造的な問題だ」って反論したりする。

でも、脳科学的に考えると「徴農」なんかの集団生活を通じて若者の自立心ややる気を引き出そうというのは一定の合理性がある。

規則正しい生活と作業をするという目的を設定すると前頭連合野が刺激を受けて、やる気を司る側座核も刺激される。そして実際に行動をし始めると側座核がさらに動き出し、視床下部・海馬扁桃体などに信号が送られ、やる気ホルモンと呼ばれるTRHが分泌される。それがさらに興奮物質の分泌を催すことで、さらにやる気が充実していく。

そうなると顔つきも引き締まり、動きもキビキビしていく。作業を達成すると、達成感が快楽として脳に記憶され、自分に自信が持てるようになる。

「服装の乱れは心の乱れ」というのも真実を含んでいると思う。「心の乱れ→服装の乱れ」という因果関係だから、服装の乱れを直しても心の乱れが直るとは限らないように思えるが、あえて形から入ることで、脳に刺激を与えて気持ちを切り替えることができるのか。昔の人は直感的にそういうことを知ってたのかもしれないな。形から入ることの大切さ。

「本人のやる気を引き出したら、構造的問題は放置するのか!」というリベラル派の反論がありそうだけど、そういうことは言ってない。グラミン銀行だって債務者に生活指導したり、生活標語唱えさせたりしてるから、「性根」の問題も経済に負けず劣らず重要なんじゃないかと思ったまで。

また、逆説的に言うと、「目的設定→実行→達成」というプロセスが大事なので、「徴農」でなければダメということでもない。部屋の掃除をしたり、「一日30分英語勉強する」って目標でもいいだろう。

2007-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20071018060209

世界にはその「天才とは何なのか?」を研究している脳科学者がいるよ。

ちなみにその学者も超天才らしい。

2007-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20070808020255

でも、だからといってニートが悪いことにはならない。

責任があることと悪いってことは別の次元の話で,何もニートが悪いんだとは考えてない.

ただニートの問題を具体的にどうにかこうにかしていこうとするならば,

当然社会的あるいは法的な側面での問題の整理が必要になってくるわけで,

そうすると必然的に「責任」という概念を持って来ざるを得ないってことを言いたい.

だから「環境のせいだ」というように責任の所在を曖昧にするのはいかがなものかってこと.

ニート自身にしても,自身の責任を問われなければ,問われる場合よりも働く誘因が小さくなってしまうわけだから,

社会政策としては当然本人の責任を問う方が賢明なやり方だと思うんだよね.

前者は明らかに環境依存しているし、後者は由来が不明なものでしかない。つまり、意志そのものは自分を自由にある方向に決定づけることは出来ない。

「なぜその選択肢を選んだのか」についての理由付けについては,受動意識仮説とかあって,確かに後付け理論でしかないというのは

科学的にだんだん分かってきていることだよ.ただし我々が言葉で考えているその背後には意志を計算しているホムンクルスがいて,

自由意志はそのレベルで確かに存在するのだと思う.そういう仮説をクリストフ・コッホっていう脳科学者が提案している.

まだ仮説段階だけれど.まあこの辺りのことをたかが増田で議論してもしかたがない.

http://anond.hatelabo.jp/20070808011450

あんたはポストモダンの影響を受けすぎだよ.

感情や意志は確かに環境への適応の結果ではある.そういう意味で自由ではないけれども,

まったく束縛されているわけではなくて,確かに自由意志ってのは存在するだろ?

さいきんの脳科学トピックにもなってるけど.てか,これは脱線か.

話を戻すと,ニートの働く意志の所在はやっぱりニートにあるわけで,

それまで含めて全て外的要因のせいにしてしまうと埒があかないし,

第一ニート本人にとっても何のためにもならないよ.

2007-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20070801194925

やる気というのは、仕事を始めると出てくる。特に体を動かす事を伴う作業の際にはこれが顕著である。というのが、脳科学の知見。手先を動かすのと、体全体や大きな筋肉(太ももなど)を動かすのが特に良いらしい。

やる気があるから仕事をするんじゃなくて、仕事をしているからやる気が出てくる。とにかく、動きつづけるようにした方がいい。どうしてもやる気が無くとも、10分、1ページ、1ファイルとかでいいから、少しでも前に進める。デザインとか設計、企画仕事でも、とにかく何かを書き/描き出してみる。

自分は企画屋稼業だけど、つまらない仕事など無いと思うし、クリエイティブになれない仕事も無い。どんな仕事でも、極めようとすれば工夫の余地はいくらでもある。面白い仕事かつまらない仕事かを決めるのは結局自分。ま、偉そうな事言ってるが9割ほどは自戒だが。

2007-06-02

脳科学最近わかったようだ

日本人はまじめだから嫌いであれば嫌いなほどそのことを

考えたりするが、それは自分から不幸になる道に

他ならない

嫌いなものは考えたら負け

2007-05-14

52 :Trackback(774):2007/05/12(土) 21:10:22 ID:burbk2KI

茂木の脳"科学者"としての研究能力は3流以下。

なにしろ自分自身で出している原著的成果が超ショボい。有名な研究をしょぼく変更しただけ。

オリジナル性は皆無の上、発展性もほとんどない。

正直、うちの大学修士課程の院生の方がよっぽどまともな"研究"をする。

でも他者の研究の解釈・論評はなかなか良いものだし、それを物語る筆力は評価に値すると思う。

いわば「脳科学評論家」。そういう立場なら一流といっても差し支えない。

彼がもし純然たる脳科学者、あるいは認知科学者として実験

原著論文執筆に従事しても凡庸以下のものにしかなりえなかった。

彼は、彼の持ち合わせた能力を最も活かせるやり方をこなしているのだと思う。

2007-05-04

確かに正確には色は一次元ではないが

http://anond.hatelabo.jp/20070504165121

あれはざっくり書き過ぎたとはいえ、RGBやその他で色が3次元や400次元とかいうのには納得しない。それは『二次元的なもの』を出力するための情報が必要な次元であって、『二次元的なもの』自身の次元ではないからだ。

色は光であるから、全ての色は単色光の集合に分解できるので、おそらく視覚とは(縦、横、光の振幅、光の波長)で表される単色光の集合というべきではないだろうか。より正確に言おうとすると網膜細胞とか脳科学の範囲の話になるだろうし、そうするともうついていけないが。

2007-03-12

格差の話で思い出した人の話の周辺についカッとなった

格差の話で思い出したんだけど

以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。

格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。

普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格

インターネット流行り、毎日チャットネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活結果、社員6000人くらいの大きな会社就職

4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。

流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人ラストスパート就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。

毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。

もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915

まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見

既得権ってなんだよ?実際にリアルタイム生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?

MARCHに引っかかってる時点で”上位”に属していることに気づいていないあたり、もちょと想像力働かせようよ

この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。

運と努力タイミングと。。。 この人大学行かなかったらどうなってたんだろ。下つってもMARCHは需要があるし

たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。

なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。

かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。

浪人留年を親が許してくれるって時点で十分恵まれてるよな。この文章にそれ以上の感情や感慨は何も抱けないけど。

これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。

  • 13日昼に追記:誤解させてしまった、これは素直に謝る。申し訳ない。引用したこの↑コメントを書いた人のことを“下流”だと思って書いたわけではなく、このときは自分自身のことを“下流”だと思っている人たちにおける一般論のつもりで書いたのだと思う。また、文系大学生というのは言及した記事の書き手のことを指している。私のこの書き方では誤解させて当然だ、ネット上に文章を公開する前には丁寧な推敲をして、誤解させうる要素を可能な限り取り払うべきだった。インターネットでものを書くことにあまり慣れておらず、本当に失礼なことをした。誠に申し訳ない。私の人生でこれ以後同じようなことを二度と繰り返さぬよう努力することをここに誓う。

リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。

下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家ダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家ほとんど居ないんだ。

…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。

この人は、自分の世渡りの技術デフォルトだと思っているのかもしれないが、この人の要領や世渡りは結構いいもんだと思う。

また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。

こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。

俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。

よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会

俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去タイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。

ビジネス, 人生 ウサギとカメのカメの話。格差の下に沈んでるのは、驚くほど早熟のウサギなんですよ。

早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。

その大企業を辞めて、中小企業就職しなおせばわかると思うけど。

こういうタイプの奴が中小企業就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。

この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せ人生が送れると思ふ。

転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。

格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか

3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。

あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。

だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。

満たされている人は、不幸に対して無知残酷なもの。

無知はオメーだ

その大企業をためしに辞めてみるのがオススメ

過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。

「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか

機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナー勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵モチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。

世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間ネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。

完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近社会企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。

きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。

どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。

日本経営新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算

世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。

就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験就職努力しているのは効率いいな。

受験就職で労力を払うというのは、普通人生から考えて妥当タイミングだろう。妥当タイミング妥当努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。

頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。

がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。

こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。

家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。

最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。

[追記][これはひどい]

風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。

まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw

ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。

あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。

[ハテブ]

くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html

現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。

日本酒」と書いている時点で「この人は自分の発言責任から逃げているな」と感じました。

発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。

自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。

どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。

[手間を割いてくれた方へ返信]

anond:20070313212237

2007-02-27

頭がいいとかそういうのでちょっと思い出した

交通事故にあって、脳の聴覚を司る部分が傷んでしまって、音が聞こえなくなった人が、しばらくすると色彩感覚が異常に研ぎ澄まされて、素晴らしい絵を描くようになった。とかいうTVニュースが昔やってたのを思い出したよ。音が聞こえなくなったぶん、日常生活を送るのに必要な情報を得るために、視覚に頼るようになって、その部分が強化されたのではないかって説明がされてた。

極端に、頭いいとか、空気が読めるとか、体力があるとか、努力できるとか、そういう才能っていわれるもののほとんどは、自分の中の欠落を埋め合わせるために、代わりの部分が過剰になってしまったことに起因している気がする。もの凄い才能があるなって思う人はどっか「欠けてる」感じがするんだよね。

天才とバカは紙一重とかいうのはこういうところと関係してるのかな。

脳科学とか、そういう専門的なことは全然知らないのでアレだけども。

2007-02-12

本能と計算高さと

http://anond.hatelabo.jp/20070209121148

こういうの読んで、女性は本能で相手を選ぶっていうのは経験的にもなんか納得がいくんだけど、それと同時にまた別の経験則として、女性の方が計算高いってのがあるんだよなあ。

本能的であることと計算高いこととは両立するのかしら。でも、例えばヘッジファンド中の人の計算とかって、感情とか本能とかを排したところにあるように思うし、そういう意味では計算高さと本能は背反のようにも思うし。女性数学科には少ないし(それとこれとは別問題)

よく認知神経科学とか脳科学とかで、無意識のうちの判断はものすごく高速で処理されているっていう話があるけど、それで考えると、女性ってのは男性には思いもよらない方法で、選択を処理していて、それを本人達は別に「計算してやっている」とも思っていなかったりするのかな。彼女達はたんに本能に従ってファジイ処理(死語)してるだけなんだけど、男性達からするとそれが高速に「計算している」ように見えちゃうっていうことなのかなあ。高度に発達した計算は本能と見分けが付かない(?)

そういえば、離婚率と景気循環が相関しているっていう統計があって(あくまで統計だから眉唾で読んだほうがいいよ)、その相関はかなり明確なんだけど、その理由について

 女性特有の動物的なカンが景気を予知し、子供養育費慰謝料離婚後の就職可能性などを考慮し早め早めに手を打つのではないかなど、仮説はいろいろ立てられようが、詳細は不明である。

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2780.html

って書いてあったのが興味深かった。

2007-01-19

ちょっと気になった

ロリコンになる理由って、科学的にどれくらい究明されてるんだろう。

心理学脳科学等)

資料があったら教えてほしい。

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