はてなキーワード: 瀬戸とは
それなんても何も、エロゲーやギャルゲーって結局ドリーム小説と同じようなもんじゃん?
女向けの恋愛シミュレーションゲームとかもちらほらあるけど
ああいうのはまだ気持ちは分かる
誰しも小さい頃好きな芸能人とか何とかとあれこれと考えるもんっしょ
ていうか(性的な意味で)キャラが好き(まあ所謂「萌え」ってやつ)だったら基本的にそういう願望が元になってるわけだし。そういう意味じゃなく好きってキャラも勿論たくさんあるけど。
本能的にそう不自然な事じゃないと思うんだが。
ジャニのおっかけとかでもやっぱタッ○ーに抱きしめられたら嬉しいとか思うわけっしょ。
ハロプロのおっかけとかでもさ。
ダレダレとくっついてほしいなんて思わんでしょ。この前誰だったか忘れたけど瀬戸朝香と結婚した人いたじゃん。あれだって誰も「ジャニ×瀬戸」なんて望んでなかったっしょ、ファンは。寧ろ「悲しいけど受け入れる」とかもしくはモロ嫉妬で大反対してた人もいたし。やっぱ実質的に無理ではあるけど自分とどうこう、っつー願望があるわけじゃん?それってそんな不自然な事かな。まあどことなく気恥ずかしいからおおっぴらには語りたくないという気持ちなら分かるんだが。
自己満足で作ってみた
注:ゲハスレや雑談スレ、偽装アニメスレ、女、特亜叩きスレ等は除く。適当に書いているから五十音は関係なし。
ある話題に次スレが建ちそのまま定期化するときもあれば、他の板のネタスレを輸入してくるときもある。
月曜日になると現れる。休み明けの鬱の状態を体現したスレッド。
スレタイは'A` げつようび・・・げつようび・・・が基本。
Z武(乙武ではない。ずぃーぶ、もしくはぜっとたけと読む)に関するニュースのスレッド。古くから存在する。
ニュースの内容には
・西田敏行やイニ美がいる
・手足が無いZ武には似つかわしくない比喩表現が使われる(手も足も出ない、足を洗う等)
・必ずカタワという文字を入れなければならない
寸評と採点が行われるがその内容は乖離している(寸評で高評価であっても点数が低い。その逆も然り)。
研修用のインターネット上の人権侵害に関する教材ビデオで取り上げられたことがあるらしい。
由来はアダルトビデオ板に存在した【ギリギリ】瀬戸内寂聴【モザイク】というスレッドである。
http://blog.livedoor.jp/hirai_uma/archives/51018198.html (当時のログ)
瀬戸内寂聴に関する話題のスレッドが立つ時は必ず寂聴スレになる。
また、「瀬戸内」や「瀬戸内海」という単語が入っていても寂聴スレになる。
このスレのような『普通は性的な対象として見られない女性に関する妄想を書く』という趣旨の定期スレには他に
宮里藍(経血ゼリーをズルッといただきたい)や谷亮子(やだ・・・○○しちゃう・・・)、ライス長官のスレなどがある。
スレッドタイトルに「珍種」「新種」の類の単語があると珍種スレになりやすい。
フジテレビの生放送番組「NG名珍場面5000番組10万人総出演!!がんばった大賞7」 において
実際にはノイズであることが文春の記事において明らかになったが、
米倉涼子に関するスレッドだけではなく、米倉スレを立てるために苗字が米倉である人物が登場する話題に関する記事のスレッドを建てることも多い。
年に一度、クリスマスに行われる。無職が己の身の上を晒す。元々はVIPで行われていたようだ。
http://f55.aaa.livedoor.jp/~vipper/vipmemorialthread/thread/1089705046.html
病気や虐待、いじめ等によって社会からドロップアウトしてしまった者から
他人からどうやって金を掠め取るかを日々考える下種までが出場する。
終わりには結果発表を行う。
その悲惨さは元ネタであるドラゴンボールになぞらえて「Z戦士級」「サイヤ人級」などという表現で表される。
頻度の上では定期スレではないかもしれないが特筆すべき点があるので記述する。
このスレにおいてガチャピンはたくさんの舎弟を抱えているという設定である。
ガチャピンさん(ガチャさんとも呼ばれる)を慕う書き込みとガチャピンを誹謗中傷する語尾が「ですぞ」の某雪男の書き込みが続く。
他にもあるけれど、今日はここまで。
突っ込みもあるだろうからあったらよろしく。
「ホームページを作る人のネタ帳」の自作自演で揉めてた件について
はてなが情報を開示しない限り真実は闇の中って事で片付けられてるけど、つまりこういう事でしょ?
http://e0166.com/newsX/mbf.php
ブロガーに欠かせないはてな。いま、自分で最初から何かを作っていくのが大変な状態にはどめをかけるため、自分のところのかわりに、はてなRSSやAPI、自動化による更新の手間を省き=「はてなパワー」を企業活動や個人の暮らしに生かす取り組みが日本各地で進められています。
ブックマークフィールド『BMF』では、2007年3月より「はてなAPI」その他各ソーシャルブックマークの使いやすさを追求し、
年間30万円の広告費年間30万件のアクセス数をはてな株式会社の力でもらえるようにがんばってみます。これにより、MBFのサービスを動かす全サーバーの「はてな依存」が実現することになり、はてながサービスを停止した時点でFBMも停止します。
自作自演を指摘されたIDがセミナー受講者って言い張ってるが嘘だろw
業者がちょっと本気になれば「はてなブックマーク」なんて使い物にならなくなるぜ。
自分達のサイトで埋め尽くすだろうね
今回の件を見て俺は2つの事を確信したね。
1.ブロガーの取材力の無さ
2.WEB2.0の脆さ
まず1について。
俺は地方紙で記事を書いている人間で外を歩き回って取材することもあるんだけど、何かの不正を暴くときには「確実な証拠」が絶対に必要なんだよ。
もし裏が取れないならデスクによって記事がお蔵入りになってしまうので、それこそみんな必死になって取材するんだ。そこがジャーナリストを気取っているブロガーとの違いだな。
入社3年目の事なんだが、とある市議が某○○○に○○○してるという情報が俺の所に入ってきたんだ。
足が棒になるくらい歩き回ってさ、、ほぼ完璧に近い証拠が集まったんだよ。
もう狂喜乱舞してデスクに話持っていったわけ。
何て言われたと思う?
「99%相手は黒だろう。でも100%じゃない限り俺はこの記事を通せない」
ショックだったな。
でも今にして振り返ると俺たちの世界では当たり前の論理なんだよな。
きっこの日記がジャーナリスト気取りで「世の不正を暴いてます」ってほざいてたが、あんなものはジャーナリズムでは無い。
ブロガー諸君にはジャーナリズムの世界がいかに厳しく崇高な世界か想像してみて欲しいね。
思い付きや想像だけで記事は書けない世界なんだよ。例え地方紙でもね。
次は2について。2年後には2ちゃんねるのような完全匿名の掲示板と、大手既存メディア(新聞/テレビ)の価値が再考されるだろうな
俺は既存メディアで記事を書く側の人間だが、プライベートでは2ちゃんねるを使い続けている。
完全匿名の良さは常にみんな本音で語るところだよ。
半匿名というしがらみが無いんだ。
そしてそこにはビジネスの匂いはあまりしないんだよな。
それが何故なのかは俺にもよくわからんが、少なくとも業者が流入しても排除される雰囲気が醸成されているんだ。
半匿名による集合体(WEB2.0)の価値が問われる瀬戸際に来てるのは間違いんだが、俺はWEB2.0にビジネスマンが大量に流入したら崩壊するのではないかと思っている。
あなた達の世界なんてそんな脆いものだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070905190116
NHK http://www3.nhk.or.jp/knews/news/2007/09/05/t20070905000147.html
「男性は周囲にあるものを飲み込む癖があるということで、警察は、施設の介護士が置き忘れた手袋を飲み込んだ疑いがあるとして捜査しています。」
読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070905i407.htm
「県警は、施設側が男性の症状を知りながら、手袋の保管方法に不備があったと判断。4日、介護士の勤務表など数十点を押収した。」
(該当記事なし?)
時事通信 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007090500337
「男性には食べ物以外を口にする「異食」の症状があり、施設側も把握していた。」
「業務上過失致傷の疑いで同日までに施設を家宅捜索。今後、虐待の可能性がなかったかを含め、慎重に捜査を進める。」
毎日新聞 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070905k0000e040037000c.html
「県警も既に4日、業務上過失傷害容疑で同園を家宅捜索。施設関係者らによる虐待の可能性もあり、慎重に捜査を進める。」
四国新聞 http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20070905000093
「務上過失傷害の疑いで、瀬戸療護園を家宅捜索。虐待の可能性もあるとみて慎重に調べるとともに、同園の管理責任も追及する。」
インタビューあり
「今回の事案をどう受け止めている?」
「原因は調べたのか?」
「発覚後、なぜ警察に届け出なかったのか?」
「介助用手袋の保管状態は?」
「利用者や家族の信頼を裏切った。」
↑ん??
「電波」の人に同情してしまったのは俺だけ?
言ってみりゃ、企業としては不確実な情報をあら探ししてでも落としたかったのではないかな。
そして当時は、選考者の名前をGoogleで検索するってのが流行していた時期。
素性調べるためではなくて、ゼミやサークルでの活動を見るためにだけど。
その途中で、同姓同名で近県の者が逮捕されていた、なんて見つけたら、落としたくてしかたねえ人事はどう思うだろう。
少なくとも、当時の学生は
根拠の全くない妄想に過ぎないこと
とは言い切れなかったと思う。
就職出来るか出来ないかの瀬戸際なら、あれだけ必死にメールを連発する心情は理解できるよ。
まあでも、騒ぎすぎだとは思う。電波体質なんだろうね。
25日午後1時50分ごろ、長野県小谷村北小谷の国道148号外沢トンネル内で、自転車で日本一周旅行をしていた、同県小川村瀬戸川の無職、原野亀三郎さん(80)が、同県小谷村中土、運転手、田原登さん(22)の大型ダンプにはねられ死亡した。原野さんは日本一周を果たし、自宅へ戻る途中だったという。
知人らによると、原野さんは昨年4月下旬に自転車で日本一周の旅に出発し、この日、長野に戻ったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070626-00000016-san-soci
なんでこの記事、轢いた運転手が実名報道されてんの? 悪質な故意があった訳でもないのに。
誘ってみたけどうまくいかなくて悩む増田もいれば、こんなに寂しいのになぜ。という増田もいる。これが恋愛なのだろうかと、肉欲に悩む増田もいれば、ヒモ生活ってかなり楽しいという増田もいる。結婚するならこんな奥さんがいいな。という増田。恋人ほしいけどセックスが嫌だという増田。しかし、どれが良いとか悪いとかじゃない、と自分が好きなモノ=他の人も好き、と思い込まれる事について増田が語っている。この社会から脱落しそうな瀬戸際にいる増田も気楽に生きれば〜なんて言いそうなのが、悟りを開こうとする増田より。
だからなのだろう。2060年頃、ありふれた人生を終える恐怖 (+追記)の続編増田ポエムが禅問答のようなのも。正直ここまでTBもらえる増田が羨ましい。とりあえず酒買って帰ろう。
そんなわけで小説を書きたくなったのでネットで発表しようかと思ったけど、なんていう増田さんはリレー小説なんて書いてみない?悟りが開けるかもよ。
■増田よ。傲慢君の手懐け方。ヒョウの尻尾をつかんだら手を放すな。
http://anond.hatelabo.jp/20070414123341
に関連して
という発言があり、なるほどと。
そこまで直感したわけではないけれど、近いものを感じていた。
手懐けるということでいえば、「名を捨て実をとる」発想あるいは取引感覚というものがモノをいうと考えているからです。
正論ガチンコで勝とうとするひとは、正論に敗れることも覚悟しなければならないでしょうね。
自分の側に正義がある、というスタンスで挑むと、正義しか頼るものがなくなる。自分が絶対に正しいという姿勢を崩すことは武装解除丸裸になると同然だということになり、到底容認できない、と。結局、征服が最終ゴールイメージになる。
だから以下の記述は気にかかった。
アフリカ人はヒョウの尻尾をつかんだら、その肉を喰うまで手を放さないかもしれません。
私にも傲慢君と一悶着起こった時に、そのくらいのタフさが欲しい。
生きるか死ぬかの瀬戸際にきたら逃げてはいけないというのは恐らくそのとおりでしょう。
しかし、そもそも手懐けようという戦略のなかで、ヒョウの尻尾をつかむような戦い方をするべきかどうか。
けんか腰の暴れん坊を笑わせて懐柔して手下にまでしちゃうよ、強い人は。笑顔で。
そういうことですね。
というか鬱状態 (公称) だから休職してるんだけど、今日は輪をかけて憂鬱。
むしろ「下がらない」というメリットの方が大きい。
が、下がらないとはいえ上がらないのも事実な訳で、
職位ベースで見ると当然他の社員の昇格ペースにはついていけない。
で、今日昇格人事があったそうで、その人事で後輩に抜かれたという情報が…。
時間の問題ではあったのは確かなんですが、現実に起きるとさすがに凹む。
そういう制度になっているというのは知ってはいたんですが。
この春で僕は在職 5 年目、という扱い。決して若手ではない。
だが、2 年目の秋にダウンしたので、業務上の能力については
そこらの若手社員を捕まえてきたのとたいして変わらない。
(特に経験がものを言うコミュニケーションスキルとかで顕著)
マイナス思考承知で言ってしまえば、社内では負け組で確定かな、と…。
瀬戸際で逆転ホームランというのは一度打ったことがあるけれど、
奇跡がそう都合よく二度も起こるなんて、とてもね…。
贅沢は言わないつもりだったけど、心が痛まないといえば、嘘になる。そんな日。
愚痴でした。ごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20070130012931
これは俺の想像でしかないのだが、だいたい、こういう類のもので、
組織の階層構造が多段になっている場合は、
「ちゃんとしたものを作るために」プロセスが決まっている。
だから、今回も、実験を始めたりするまえに、
「番組の構成としてはxxで、yyのような実験をしてzzの結果を出します。
aaさんにインタビューした結果をこのタイミングで挿入します」
というような企画書あるいは設計書が事前に関西テレビ担当者との間でレビューされていたはずだ。
おそらく、ここでは捏造は考えてなかった。うまくいくはずだったんだろう。
いや、この時点でうまくいかないと下請け側の担当者は思っていたかもしれない。
しかし衝撃的な実験結果を出すとか、決定的なインタビューを入れるという内容を企画書に盛り込まないと、
受注が成功しなかったのかもしれない。
そして、これが受注できなかったら会社がつぶれる、みたいな瀬戸際だったりすると
どうしても楽観的な計画を立ててしまう。
で、まあとにかく、途中でうまくいかないことがわかってきた。
測定するのに適切な実験をやっていなかったことが判明したとか、
そもそもそういう測定はできないんだとか、
インタビューした結果がショボかったとか、
番組制作を請け負った会社としては、「やります」といった手前やりきらないと会社の信用を落とすことになるし、
とはいっても少ない予算で受注しちまってるんで製作を2重化してリスク回避なんてのもできないし、
これがちょっと前みたいに企業軍団というか護送船団方式っぽい感じの企業間の付き合いになってたなら、
「すみません今回はミスで番組しょぼくなっちゃうんですが」「しょーがねえなあ次はがんばれよ」
みたいな感じで済ますこともできたかもしれないが、昨今の流動化の激しい世の中では、
「すみません今回はミスで番組しょぼくなっちゃうんですが」「レビューのときはできるっていってたんじゃないかお前のところでなんとかカバーできないのか。ダメだったら仕方がないけど次からはちょっと発注するの考え直すわ」
みたいな感じになる可能性も高いだろう。
そうなったら下請け側責任者にとっては成果主義が行き届いているせいで今期の評価が最悪レベルに転落する。
会社の業績もすげーさがってしまう。
それはなんとしても避けたい。そうすると下請け側責任者は現場担当者に
「なんとかしろ」「なんとかしないと皆のクビが飛ぶぞ」「なんとかなるまで帰るな」
というように脅すようになる。そうなったら
「どうせクビが飛ぶんなら、もういっそのこと捏造でもいいか…」という思考にいきつくまでにそう長くはかからない。
いや、さすがに最初のうちは
「でも捏造なんて人としてやってはいけないことだ」と思っている。ところが徹夜を3日くらい続けるとおかしくなってきて
「この地獄から抜け出せるなら捏造するくらい…」という感覚になってくる。
年始に放送されたあの番組は年末進行でクタクタになったスタッフがやっちゃった結果なのかもしれない。
さてこの俺の妄想シナリオではちゃんとしたものが出来なかった理由としては
「下請け構造」「系列の流動化」「それに伴うコミュニケーション不足」「成果主義」あたりが挙がるわけだが
こんな妄想ではなく、事実がどうだったかというのはぜひ解明されて欲しい。
叩くだけでは真の原因は排除されないと思う。
村人たちが、ある存在のことを自分たちの世界に危機をもたらすものと認識したとき、それは魔王となる。その価値観の転換が行なわれるまで、村人たちは敵を攻め滅ぼさんと定期的に討伐隊を組織し、その居城に正門から乗り込んでは土壇場の血戦を繰り広げていたが、宿敵に称号を与えた途端、それをしなくなる。彼らは真に村人になるのだ。自分たちの会心の一撃が針の一刺しに過ぎないと決め付け、分を弁えて村人どうしで囁きあうことしかしなくなる。恐怖と憎しみで連帯し耐えるだけになる。それが彼らの役割だった。
そうして勇者を待ち、やがてそれはあらわれた。
彼の出自はわからない。ひょっとしたら村人のうちの誰かだったのかもしれないが、それを確定することはできないだろう。村人に顔はなかった。そもそも勘繰ることに意味はなかった。彼が勇者であること、それのみが意味を持っていた。天空より遣わされし代理人がいなければ完璧な構図にはなり得なかった。
勇者は痛々しい男だった。粗暴で、道理を知らず、倫理などなく、論理などなかった。しかし村人たちにはどうでもいいことだった。勝手に住居に踏み込まれて箪笥を荒らされようと、村娘に乱暴を働こうと、魔王に一太刀を浴びせれば歓声をあげた。乱暴を働かれた村娘もだ。勇者は単純に秩序や正義を象徴していなかった。村人の正義だった。村人がつくりあげた魔王に対抗しうる唯一の暴力装置だった。このさき、魔王が死んだとき、勇者はあらたな魔王に認定される。それが古より続く村のしきたりだった。
だが、これは世界が分断されていた時代の話だった。今、それぞれの世界はつながりを持ち、容易に旅をすることが可能になった。そのおかげで、この世はローカル魔王とローカル勇者で溢れかえっているという事実を知ることができるようになった。このことに衝撃を受けたのが一部の魔王と一部の勇者だった。同じ行ないをしていても勇者と呼ばれることもあれば魔王と呼ばれることもあったのだ。相対化された世界に彼らは戸惑い、混乱し、いったん争いをやめた。やがて彼らは合流し、声明を出した。
「ぼくらの定義をきちんときめてください。それまで、ぼくらはなにもしません」
村人たちの反応はシンプルかつ、鮮やかだった。村の枠を越えて連帯もせず、あくまで村人のまま彼らはたからかに宣言した。
「定めることなどなにもない。おまえらは魔王だ」
彼らはどこまでいっても村人だった。村人骨髄だ。以後、勇者魔王連合は、いわゆる全魔連と呼称されるようになり、世界はエターナルウォー(永遠戦争。必ず死ぬ)へと突入するのだった。
戦争初期は全魔連が優位に立っていたが、圧倒的な物量で押し寄せてくる村人の軍勢に、次第に追い詰められていった。しかし村人軍も決定打に欠き、戦況は膠着した。この状況が十四年つづき、最終的に白旗を挙げたのは全魔連だった。
瀬戸際、がけっぷちで全魔連は自分たちの過ちにようやく気がついたのだ。村人に歯向かってはいけないということに。彼らは無敵だった。構想は彼らの中にある。村人と、それ以外という図式になった時点で未来は決定していた。彼らは、その脆弱さゆえに勇者と魔王の君臨を望んでいたのではなく、困難を乗り越える自分たちの強さを演出するために超越者という役割を配置したのだ。世界は村人の手中にあった。最初から。