はてなキーワード: 昭和64年とは
あらゆる場所で言われていることだがそれはREMIXという概念のそれに対する窮屈な環境である。
レッシングのREMIXは記憶に新しい。だが実は時代遅れなのかもしれない。
昭和のころは、というよりも人間はあらゆるものをREMIXしてきた。例えば音楽の分野でもDJはあらゆる音をサンプリングし新しい楽曲を作る。それは70年代の後半だ。クールハークという伝説のDJのおかげだ。あらゆるデータを参照し、再構築し、あたかも新しいもののように世間に出回る。それがおそらく昭和のころは新しいアイデアだ、と賞賛されていた。しかし今は違う。
批評の世界でもそうだ。あらゆる、いかにも新しいアイデアというものは過去に出たものの参照でしかない。新しいREMIXももはや賞賛されない。それに対する窮屈な環境というものもポスト昭和のはっきりとした特徴であると断言する。
東氏の「動物化するポストモダン」はまさに新世代のバイブルであったが、現代はそれに対する窮屈な環境が少なからず存在する。
それに関連し、1968年をメルクマールに増田米二氏らが「機会」の重要性を説いた。林雄二郎、村上泰亮、小松左京、様々な文化人、知識人がこぞって、ネットワーク理論の原型を説いていた。それは学派の垣根を超えていた。機会の窮屈さもそうだ。そうだ、ここでは関係の窮屈さを提唱しよう。昭和のころと今と比べて関係の窮屈さというものが当てはまる人間は多いだろう。
詳しくは述べないが、あらゆる事象を参照してほしい。だがこれも窮屈なのだ。まさに今書いていること自体に窮屈さを感じるのだ。
それがポスト昭和だ。ちなみに私は昭和64年生まれだ。昭和と平成の境にいる。
貯金されてもその期間にすくなくともそれだけの金額は使われることは確実なんだから、定額給付金よりはいい。
硬貨は政府発行だっけ?たしかコイン流通総額は5兆円分もなかったきがする。
500円だまを銀行にもっていくと1000円札と交換してくれるとか。
昭和以前のコインを政府が倍で引き取るとかさ、昭和64年の硬貨は政府が10倍の価値で買い取るとかさw
相続税逃れがいるとかいうのも旧札を交換するさいには身分証明を求めるだけでいいはずなんだ。
旧札がでてきたら税務署に連絡するのを義務化するだけでいいんだから。
100万ぐらいだったら庶民でももってるかもしれないけど脱税は1000万以上とかだろ、どうせ。
パッとおもいついてやれそうなこともあるのに、腰も重たければ頭も固いよね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5494032
中央の威信にかけて絶対許さないだろうけど。