2007-12-27

普通について

なんか自分が普通じゃないと思ったのは中学生の頃だった。当時は邪気眼こそないものの、それはまさしく中二病であって間もなく鎮火、大学生になる頃にはいかに世の中を取り入れるかを腐心し始めていた。だから本格的におかしいなあと思い始めたのは20を過ぎたあたりだ。

学生は制限も無くチンタラと生きているだけなので別に困るようなことは無い。が、ぼんやりと問題が見えてき始めた。なんというか、人付き合いとか、価値観とかが合わない感触があるのだ。

人付き合いの点ではある種の相手の臆病さと猜疑心に失望させられてしまうということ。駆け引きと横並びの圧力が当然なんてちっとも良く思えない。価値観ではそんなのどうでもいいんじゃねえのというものを真剣に求め、自分にもその興味を求める。人それぞれでいいじゃん。

こういうと高二病とか大二病とかいわれるかもしれない。お前だって十分打算的だよとか、斜に構えてるだけじゃねえのと。そうかもしれない。所詮子供だったしね。でも今でも良くわからない。

まあ学生はそれでも良かった。別に困らないから自分と合わない人とは付き合わなければいい。おかげで平安だった。

社会に出るとまた違った圧力がある。日常を普通に暮らすためには様々な人たちとよろしくやっていかなければならない。書くほどのことも無く、当然のことだ。

しかし前述の通りなんだか合わない部分もある。当時は自分が幼稚で社会性が乏しいのだと思い、合わせることができるように少し努力してみた。ありていにはテレビバラエティ野球サッカーを見て話題を合わせ、イベントごとに飲みに行き、皆が振舞うように溶け込めるようにしてみたのだ。ささやかなことだが、それがオトナだと。

最初は上手く行った。なんだこんなことかと思ったりもした。実際に楽しいし皆と同じようにしている安心感もある。

しかし自分で意識から除外してきた鬱屈にやられた。徒労感みたいなものが蓄積され精神的に壊れたのだ。

すったもんだと揉めて会社を辞めて数ヶ月ぼんやりしていた。そしてやはり自分が子供なのだろうと反省していた。

その後反省を生かしてストレスを溜めないようにしながらも社会性を獲得するように再び努力してきた。また仕事を得て、結婚し、子供をもうけ10年が経ち、そしてまた壊れた。

今は何もする気が無い。

結論は無い。分からないんだ。普通は苦痛だ。でも社会性の無さを肯定できるほど子供でも無い。そう、特別な存在としての「普通でない」なんかでなく、平穏でない意味で自分は「普通でない」のだ。

大した願望があるわけではない。今の自分は普通であるための知識と付き合いに家族とローンと将来の備えと自分の動機以外で埋め尽くされている。そりゃ全部大事だ、だからなんだ。

妻は病院に行けば治るんじゃないかといってくれる。過労による一時的な鬱、確かにそうかもしれない。でも本当にそうなのか?

俺はオカしいんじゃないのか。普通じゃないんじゃないの。普通の暮らしを望むことこそが本当の問題だったんじゃねえの。ふつう、普通幸せなんだろ?

もしもし、みんな幸せか?

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  • http://anond.hatelabo.jp/20071227091759 「普通になりたい」ということを願うことはよくありましたね。そのときにいってる「普通」があなたと同じものかどうかはわからないけど。自分の周縁の...

  • http://anond.hatelabo.jp/20071227091759 について http://anond.hatelabo.jp/20071227101340 はぼんやりした投げかけの相手してくれてありがとう。いい人だね。 でも、他で言及されたのも見るにやはりという...

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