2007-02-28

わたしは面白い

喋るように書けるひとがうらやましい。言葉は迷走してときおり大跳躍する。そして切れ味鋭い。それを目を白黒させながら読みすすめていくと不意に笑みがこぼれ、最後には涙が滲む。それはときに詩のようで、気づけば言葉は奔放な節を伴ってわたしの頭の中で暴れまわっている。とても幻想的でいて生々しい。実感がある。生きている。痛みは確実に痛みで、歓喜は素晴らしいまでに歓喜だった。それがうらやましい。

わたしがそれを真似ると、いつもつっかえて舌を噛んでしまう。吃音がひどい。その原因はわかっていた。自分のなかにある感情をあからさまに吐露することに躊躇がある。書いているうちに混乱して悲しくなって、どうにもならなくなる。紙に墨を定着させようとしても文字にならず、まだらの染みにしかならない。それでも吐き出したいという欲求はあるのでやむを得ず他人事の振りをして書く。わたしは物語主人公で、彼女はいつもひどい目に遭っている。しかし言葉彼女を裏切って悲劇のヒロインにすることを拒む。徹底的に突き放し、分析し、それに基づいて客観的に彼女を評価する。だから彼女はいつも笑い者だった。あんなにかわいそうなのに。

数時間かけて書いた文章を寝る前にアップロードする。すっきりしたような、そうでないような不思議な感覚になる。あの物語の中の彼女がわたしのことをどう思っているのか少し気になった。道化にされたことを怒っているのだろうか。わたしにはそれはわからない。ただ、自分だったら激怒するに違いないと思う。悲しいんだ。辛いんだと叫びたいに違いないのだ。そんなことを思いながら眠りに落ちた。

「いつも楽しく読んでいます。本当に面白いです。続きも楽しみにしています」

翌朝、何気なくブログをチェックしたらこんなコメントがあって気が重くなる。読者にとっては面白いものらしい。続いてほしいものらしい。だが、わたしはこれで打ちきりになればいいと強く願った。もうたくさんだった。どんどん独りになっていく。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん