はてなキーワード: 文学史とは
ただ人生のいいとこつーのは、それはそれで修正効くとこかな。人間の脳の可塑性は半端じゃないから。
だって年取ってから眼鏡かけてもしばらくすればフレームを認識処理から完全に消しちゃうんだぜ。
極論言えば『世界が倒立して見える眼鏡』かけても一週間もしたら正常に見えるようにしちゃうんだぜ。
それでエラーとか出ないんだぜ。
脳神経のシステム管理者って超優秀。超ヤバい。
ずっと公務員で小役人のまま一生を終えるかに見えて、50を過ぎてから突然書き始めた絵で歴史に名を残した人がいる。
逆に50歳過ぎるまでずっと生活のための絵描きをしてて、50過ぎてから始めた俳句で文学史に名を残した人も、
50歳まで商売人として仕事してて、引退してから地図作製を学びそれから日本中を足で歩いて詳細な地図を作った人もいる。
何かをはじめるのに遅すぎるということはない。
遅すぎるように思えるとしたら、それは遅かったことを言い訳に何かをあきらめようとしているときだけだ。
今から100年前に一人のびんぼーサラリーマンが、やっぱり「特に理由もないけど、今日は妻に花を買って帰ろうかな」と思ったらしい。なぜかうだつがあがらない自分の身の上を嘆いて、ふと心寂しくなったからだったそうな。
最も彼はめちゃめちゃ貧乏な上に浪費家だったので、本当に妻に花を買って帰ったかどうかもよく分かっていない。また仮に買って帰ったとして、妻がそれを見てどうリアクションしたかも分かってない。そもそもその家に花瓶があったかどうかもよく分かってない……狭い二階の二間の間借り生活だったので。実際に花を買って帰ってたら多分妻に怒られたことだろう。花よりも今日の米代が無いような月給前借り前借りの生活だったのだから。
それに比べれば、怒られる心配なく花を買って帰れる我々は彼よりはいくらか幸せだ。そんなわけで、やっぱりたまには花を買って帰ったりするのが良い。経験上、余程のことがない限り大体歓迎される、…と思う。ただしアレルギーや呼吸器系に難のある家族のいる場合は、ちょっと注意した方が良い。
ちなみにその男、名前を石川一という。結局何者にもなれずうだつのあがらないまま数年後に結核で死んだ彼が、生前ペンネームを「啄木」として出版した歌集で文学史に名前を残そうとは、彼自身生前予想していたかどうか。http://anond.hatelabo.jp/20070417112839