はてなキーワード: 大衆化とは
大衆化の良くない点は、定量的に言えば、少数派の細かい要求が捨象される事。
その何かが良くないかという事を定性的に言えば、本質が失われるという事。本来の良さよりオカネや多数決が先行するって事。
○大衆化・一般化の結果。みんながやってるならいいや。という天の邪鬼な購買拒否が発生しづらくなり、自分が長く早く楽しめること
○大衆化・一般化することで発生する、そのサービスや物の享受における物理的な不都合(待たなきゃ入れない店など)を回避できる。
○こんな良いサービスや物は自分しか知らない。と実物の満足感に加えた優越感を感じられる。
特に情報の囲い込みが鍵になると思います。というのも、欲しいとさえ思ってしまったら、今のご時世入手困難な物などほとんどないからです。では、どのように情報の規制をするのかという話になりますが・・・、これ以降は詳しくはわかりません^^;; マスコミや、口コミなど、情報が人にどのような過程で流れていくのかのモデルを、勉強したうえで各段階へ対応というところでしょうか。マーケティング、PR、広告とかそういったあたりで載ってそうですかね。。。
大衆化のどのようなところが悪いのか。手垢がついたものは、どういうところが悪いのか。
特定の事物を極力広めないようにするにはどうすればいいか?
「メジャーになると消費され使い古されてしまう」というアンチ消費主義思想の俺にとって、このことは重要な命題だ。
なるべく周知させない活動のことを仮に「逆宣伝」と呼ぼう。逆宣伝するには、どうしたらいいか?
これは実に難しい。なぜなら宣伝活動であれば、他者がどんなにあがこうと、ある程度のレベルまでは達成できる。
例えば、お金を沢山使うことで周知させたりできる。しかし、逆宣伝の場合、他者がクチコミなどで宣伝してしまうリスクがある。
いくら頑張ろうが、有志の手で周知させられる恐れがあるため、「いかに人々の宣伝活動を抑制するか」が上記の命題達成のためのサブ課題となる。
また、「情報を一定の会員の内部だけで流れるように囲い込むこと」も重大なサブ課題である。
ちょっと考えてみて欲しい。
いまの世の中はネットがあるため、ネットで誰かが晒す(ネットでクチコミすることをあえてこう呼ばせてもらう)ことで、
たちまち広まってしまい、良質なもの・興味深いものであれば、いとも簡単に周知されてしまう可能性がある。
その結果、我々が普段接している良い商品やサービスというのは、大多数が宣伝により周知され消費され使い古されたものである。
大衆の手垢のついていない、純粋な意味で良質な商品やサービスというものが皆無に近い。
ビジネスロジックに乗っかった、一般人の要求に迎合したような商品やサービスばかりで、まったく吐き気がする。
オカネや多数決に支配されるとワンパターンになるしロクなことがない。
よくネットの人が「オープンは正義」的なことを言っているけど、共有というと聞こえは良いが、ぶっちゃけそれ大衆化でしょ。
【左翼的?なところ】
・欧米や中韓・インド・東南アジアと万遍なく友好的なほうがいいと思う。
・移民受け入れは危険だと思う。少子化なら身の丈に合った経済成長をすべき。
・創価は怖い
・公共事業はすべて悪とは言わないけど、抜本的に見直せばもっと財政もよくなると思う。
・今のところ民主党を消極的に支持する。官僚主導の政治をなんとかしてほしい。
【右翼的?なところ】
・朝日、毎日(TBS)の偏向報道はひどいと思う。産経も偏ってると思う。日経がいいと思う。けど取ってるのは朝日新聞。
・漫画の殿堂は価値があると思う。文化は常に過去の継承と現在の最新技術によって創られてきたから。
・差別されがちな漫画・アニメを大衆化することは日本にとって強みだと思う。
・麻生内閣は支持できない。今まであまり意味のあることをしたとは思えない。日印安全保障条約締結は業績だと思う。
ブクマでも突っ込まれてるが、コンビニの店員くらい日本語が非母語の中国人でもできる。
低学歴フリーター層、リストラ中高年層と彼らがちょうどコンビニ・ファーストフード業界のバイト人員労働市場で競合関係にあるってこと。
それから、製造業下請けは中国やベトナムに移って、町工場はさびれてしまったのは周知のとおり。技術力では同等とまでは行かなくても、コストを考えればものづくりも中国に向かうわな。
それから、オフィスワークでもコールセンターはどんどん中国にアウトソーシングされてる。これからは人事や総務も中国にアウトソーシングするビジネスモデルも確立されつつある。
日本のヒューマンリソースなんて、それほどアドバンテージにならないよ。
そも、ゲームソフトの違法コピーの歴史は長い。それは80年代から既に存在し、その当時から既に違法化されていたにも関わらず、「私的複製」が許可されていることを盾に「バックアップ」という名前でアングラの世界で細々と生き延びてきた。
しかしこの国では、ゲーマーの著作権に対する意識が成熟し、またゲームソフトが大容量化するに伴い、その行為は更にマイナー化し、じきに絶えるように見えた・・・のだが、どっこい、韓国、中国と言った未だ著作権と言うモノを「理解」していない国の人間がゲームソフトと、その周辺技術を手に入れて流れがおかしくなってしまった。
折も折、現在の主流ゲームコンソールは他のマシンに比べれば小容量のNintendoDSである。大容量化/低価格化したフラッシュドライブがあれば確保できない容量ではない。マジコンの誕生である。
日本人ゲーマーのモラルが向上したことで、ほぼ壊滅状態であった違法コピーという行為が、未だそれを卒業できていない世界から逆流してきてしまったのだ。
そんなモノをアングラ好きな学生が放っておくハズがない。ある程度のリテラシーを持つ層から順に手を出していく流れができていく。
その流れをアングラ出版社が見逃すハズはなかった。書店の店頭には次々とマジコンについての書籍が並び、あたかもマジコンが一般的であるかのような風潮を作りだしてしまった((この辺り、出版社のモラルも問うべきなのだろうが、私的複製云々を持ち出されると文句の付けようがない))
運の悪いことには、任天堂は丁度DSで、非ゲーマー層を発掘しようとしていた。その狙いは正しい。だが、そこに一つ読み違いがあった。「非ゲーマー層」はかつてゲーマー層が経験してきた「ゲームは著作物である」という認識を得る過程を経ていない。
つまり彼らに取ってゲームとは、ダビングし放題のCD((これ実際のトコ法的にはどうなの?))などと同様の存在に過ぎなかったのだ。そこに先のマジコン本である。となれば違法コピーは普通の行為としか受け取れない。こうして「窃盗行為の日常化」((私にもモラルがありますので、大衆化なんて言葉は使いません))というおぞましい現状が完成する。
・・・と、まあここまでが背景。私の視点からなので、ちょっと事実と異なる所はあるかも知れないけど、大体の所は外してないと思う。
で、じゃあ今回の判決でどうなるの、という話ですが、
と言った、基本的には良いことしか思いつきません。
ちなみにDSの同人ゲーム云々の話は、ロイヤリティを払ってライセンスを得て、初めてゲームを出せるのがゲームコンソールという機械なので、そもそもの存在が間違っています。
これらの図像は複製された異性または異性の複製。絵画が複製技術を得て写真や画集になるなり、舞台芸術が中略映画になるなり、音楽が中略CDやファイルになるなり、しばしば複製技術によって新たな分野が誕生したり大衆化したりということが起こるが、要するに価値を消尽するための消費財になったということで、例えば録音産業の没落などにそれは明らかだ。この地で起こっていることもまた、異性を複製可能と見なし、かつ消費財と見なすということであり、複製によって手に届きやすくなれば、マスターに用がないのは善悪ではない。店頭に溢れる図像の数々はその力強い宣言だろう。ところで宣言と言えば、間もなくマリネッティの未来主義創立宣言より記念すべき百年を迎えるが、恐らくここにいる大半の人々にとってそれはどうでもよく、複製物の爆発的増殖を素直に喜んでいる。
いつでもどこでも感性を阻害せず、むしろ新しい刺激を与え続けてくれる
やたら多機能・高機能でもそれらを動かすための操作感が野暮ったくて
俺のクリエイティビティを阻害してるんじゃなんの意味もないからね。
それにiPhoneが日本のケータイとしては未完成だって言うけど
(ひな鳥が身近な動物を親と思うアレね)されたから日本のケータイが
良いって信じ込んでそれが大衆化しちゃってるだけじゃない?
iPhoneのほうがぜんぜんホスピタリティの高い洗練されたデバイスだと思うんだけど?
それで値段もパケット定額入れた普通のケータイの月額と々ぐらいなら
これ最高じゃん、と。
他にも電話するだけ、メール受けるだけの「受け用ケータイ」なら持ってるし、
トータルなクリエイティブ環境を見越したセレクトとしてiPhoneをチョイスしたことに、
やっぱ自分てもの1つ買うのでさえアーティスティックだなーって思ったよ。
iPhoneか日本のケータイか:小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird)
http://coolsummer.typepad.com/kotori/2008/07/iphone-5.html
今の日本のケータイを捨てるのはちょっと便利さが損なわれてつらいと思うので、オススメしません。
2台目としてiPhoneを持ち、恐ろしく久々に出た「触るだけで楽しくなり、カスタマイズすればするほど愛しくなるガジェット」を心行くまで遊び倒すのが、iPhoneの正しい使い方なんじゃないかなと思います。
で、基本的にはiPhoneで携帯ライフを送り、どうしてもiPhoneでできないことはストレスを溜めずに既存のケータイでやる、と。
そして、そういう、美しく洒落ていて触っててドキドキする、という類の電子機器に別に興味がない人は、買わないほうがいいと思います。
きっと絶望します。
http://mousouteki.blog53.fc2.com/blog-entry-6710.html
いつでもどこでも感性を阻害せず、むしろ新しい刺激を与え続けてくれる
やたら多機能・高機能でもそれらを動かすための操作感が野暮ったくて
俺のクリエイティビティを阻害してるんじゃなんの意味もないからね。
それにiPhoneが日本のケータイとしては未完成だって言うけど
(ひな鳥が身近な動物を親と思うアレね)されたから日本のケータイが
良いって信じ込んでそれが大衆化しちゃってるだけじゃない?
iPhoneのほうがぜんぜんホスピタリティの高い洗練されたデバイスだと思うんだけど?
それで値段もパケット定額入れた普通のケータイの月額と々ぐらいなら
これ最高じゃん、と。
言ってることは同じだよな。
ちなみに下の記事のカテゴリーは「バカ回答」
WILLCOM 03触ってみたけどやっぱiPhoneには遠く及ばないね。
理由は、touch(iPhone 1.0ベース)と比較してもなにかにつけて感性を阻害するから。
いつでもどこでも感性を阻害せず、むしろ新しい刺激を与え続けてくれる
やたら多機能・高機能でもそれらを動かすための操作感が野暮ったくて
俺のクリエイティビティを阻害してるんじゃなんの意味もないからね。
それにiPhoneが日本のケータイとしては未完成だって言うけど
(ひな鳥が身近な動物を親と思うアレね)されたから日本のケータイが
良いって信じ込んでそれが大衆化しちゃってるだけじゃない?
iPhoneのほうがぜんぜんホスピタリティの高い洗練されたデバイスだと思うんだけど?
それで値段もパケット定額入れた普通のケータイの月額と々ぐらいなら
これ最高じゃん、と。
他にも電話するだけ、メール受けるだけの「受け用ケータイ」なら持ってるし、
トータルなクリエイティブ環境を見越したセレクトとしてiPhoneをチョイスしたことに、
やっぱ自分てもの1つ買うのでさえアーティスティックだなーって思ったよ。