はてなキーワード: 同業者とは
同業者なんだけど、思ったことが二つ。
「問題視されるのは、旧UFJのシステムが旧三菱東京より優秀であることを知りながら採用しなかった経営責任です。行内にくすぶっていた不満が噴き出す恐れがある。さらに、旧三菱東京のシステムを任せていた『ニイウス コー』がこの4月末に巨額の粉飾決算で経営破綻し、主力銀行としてその粉飾を見過ごしてきた姿勢を批判する声も多いのです」
その矛先は、一連のシステム業務を主導してきた畔柳信雄三菱東京UFJ銀会長、この3月まで副頭取としてやはりシステムを担当した永易克典頭取へも向けられているから穏やかではない。システム統合の第1弾でミソをつけた三菱UFJ。システム統合の行方次第では、銀行の屋台骨を揺るがす事態を招きかねない。
全く同意だな。プログラミング能力ってのは過大評価されすぎてるよ。ある程度の抽象的思考力があれば、どんなプログラミング言語でも必要最低限の能力はいつでも身に付けることができる。
芸術的なコードを高速に量産できるギークってのは多少はいてもいいが、その能力が要求される状況ってのも限られてるだろ。誰もが「芸術家」として生きられると思うのがそもそもの間違いなんだよな。
なんか、IT屋の議論ってエンジニアとして凄く違和感を感じたのは
技術的にたくさんのセンスと努力とひらめきの塊だよ
判例でも良い
精緻で調和した文章だ
それなのにIT屋に限って「芸術的なコード」なんて言っちゃえるのは
エンジニアとは呼べない素人のやっつけ仕事がいかに多いかって事なんだよ
それから、いくらでもプログラムに関する議論がネットでできるところ
同業者がいないから
自分の信じたピーキーな技術の道を一人で歩くしかないんだ
ひょっとしたら競合他社でわかり合える奴がいるかも知れない
でもそいつは敵
IT土方より悪かったりするんだけどなw
先日生まれてはじめてバレエなるものを見た。
:
会場は、平均年齢20代の女性でいっぱい。素晴らしい。といっても10歳以下の女の子とそのおかあさんの組み合わせがほとんどだが。
ピアノの発表会のようだ。レッツおめかし。どうやら、バレエ市場は「バレエを習う人」が支えているようだ。
( 錦之介通信REMIX3バレエには秘密があるの巻(その1)http://www.interq.or.jp/ski/sakana/quso/backs/19990706.html )
舞台に出演したい人が一定数以上いると、その出演者にチケットの販売ノルマを割り当ててお友達や家族を呼ばせることで、ほとんどだれも見たいと思わない舞台でも、ある程度の売り上げを確保することが可能になる。参加者のバイトや家族の労働によって支えられるこのハックを利用すると、ほとんど誰も興味を持たないような舞台でも開催することが可能になるわけで、これを「バレエ型経済」と名付けよう。
バレエ型経済の出演者は一応夢を追いかけているつもりだから、友人としてはあまり邪険にもできない。バレエ型経済の仕組みがわかっているだけに、しょうがない今回はお金を出してやるか、買った以上は行かないわけにも行かないよね、となって、失神しそうな舞台をまた見に行くことになってしまう。
諸君 私は脆弱性が好きだ
諸君 私は脆弱性が大好きだ
PHPが好きだ
XSSが好きだ
SQLインジェクションが好きだ
CSRFが好きだ
UTF-7が好きだ
expressionが好きだ
Webで
LiveHTTPで
Filemonで
Regmonで
OllyDbgで
Perlで
セキュリティに関して口うるさく言っているサイトの脆弱性をいとも簡単に見つけるのが好きだ
大企業のサイトがGoogleによって脆弱性を発見された時など心が踊る
Perlを馬鹿にしていた奴のアカウントを乗っ取った時など胸がすくような気持ちだった
粘り強い同業者がMS Officeのシリアル認証と格闘している様が好きだ
PHP覚えたての野郎共が続々と脆弱性を作り出していく様など感動すら覚える
気に入らない奴のPCにトロイの木馬を忍ばせ奴の個人情報がWinnyネットワークに流れてゆく様などはもうたまらない
精魂込めて更新していたであろうWikiを滅茶苦茶にするのが好きだ
必死に守るはずだった同業者が次々に逮捕されてゆく様はとてもとても悲しいものだ
FBIに追いまわされ泥棒の様に捕まる恐怖と戦うのは屈辱の極みだった
諸君 私は攻撃を地獄の様な攻撃を望んでいる
諸君 私に付き従うクラッカー諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる攻撃を望むか?
情け容赦のない糞の様な攻撃を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な政府との闘争を望むか?
『攻撃! 攻撃! 攻撃!』
よろしい ならば攻撃だ
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間堪え続けてきた我々にただの攻撃ではもはや足りない!!
大攻撃を!!
一心不乱の大攻撃を!!
我々はわずかに小数
ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の集団となる
我らを忘却の彼方へと追いやり、眠りこけている奴らを叩きのめそう
髪の毛をつかんで引きずり下ろし 我々の方が強いことを眼(まなこ)をあけて思い出させよう
連中に恐怖の味を思い出させてやる
連中に進入される恐怖に怯えながら眠る夜を過ごさせてやる
連中に我々の技術を思い知らせてやる
天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる
世界を恐怖に陥れてやる
知り合いのオタ女を恋人にしたい場合、彼女が果たして上記のどちらのタイプにあてはまるのかをまず見極めることが大切です。
Aタイプの女性と一緒にオタカップルとして弾けたい場合はそのまま趣味の道を突っ走ってOKかと思いますが
Bタイプに関してはひと工夫必要です。
いくら彼女とのオタ話が盛り上がるからといってみんなAタイプと判別するのは早計です。
相手を友達もしくは同業者と認識しているからこそ忌憚なく趣味全開の話をしている場合だってあるのです。
彼氏にするとなると話はまったく変わってくる。
Bタイプの女性に「僕もこんなにオタクなんだ!君と同類だから安心して付き合おう!」的アプローチをするとドン引きされます。
食事にメイドカフェを指定してくるとか、2次キャラのコスプレ強要とかぶっちゃけありえない。全力で逃げられます。
なぜかというと後者には自分の嗜好がたまたまアニメやゲームだったせいで
普通の女の子になりきれなかった半端者というコンプレックスが根底にあったりするんですね。
他の子のように着飾ってメイクしてかわいい女の子でいたかったのに・・・でもやっぱりアニメが好き、みたいな。
「自分はやっぱりオタクでしかいられないんだ・・・」とコンプレックスがかえって肥大してしまい自己嫌悪、
ひいては相手の男性に対しても同族嫌悪を抱く結果にもなりかねないのです。
それでも後者のタイプとお付き合いしたい場合、彼女を普通の女の子として扱うと非常に喜ばれます。
誕生日にはタブレットなどオタ的実用品よりもアクセサリーを贈ったり、
外では非オタ然とした服装・言動で相手に接するなどの工夫をすることで
「こんなにオタクな自分でも女の子として認めてもらえた」と安心して心を開いてくれると思うのです。
まあ要するに意中のオタ女子が最終的に自分のアイデンティティを
「オタクであること」と「女であること」のどちらに置いているかによって接し方を変えればうまくいくんじゃね?ってお話でした。
『おはなし、
あげます』
小さなテーブルに置かれた手書きの看板には、そう書かれていた。何をするでなく、なんとなく訪れた若者の街の、路地の片隅、雰囲気的には出す場所を間違えた手相見、ちょうどそんな風情。
そのテーブルの上には画用紙の看板とともにその「おはなし」とおぼしき、ホチキスで綴じた紙束が「数冊」置かれていた。おもてには何も書かれていない。中身は手書きをコピーしたもののようだ。不器用にセロハンテープでとめてあり、開けられないようにしてある。袋綴じかなにかのつもりだろうか。
おはなしって、どういったお話なんですか。
尋ねると、予想外にはっきりとした口調の返事がかえってきた。ニット帽にマフラー、ともすれば路地の景色に溶けこみそうな色調。
「絵本のために書いたおはなしです。」
あげます、って、ただで、ですか。
「はい。でも、条件があります。」
かいつまんで言うと、そのおはなしに絵をつけて、絵本にする、というのが条件のようだ。印刷だとか製本だとか、そういうことは眼中にも無いらしい。できた「作品」を見せる必要もないらしい。とにかく、読んで、絵をつける、それが条件。
つまり、絵が描けないと、いけないのですね。
「絵が描けない人はいませんから」
あなたが御自分で絵を入れたりはしないのですか。
「…私は絵が描けないので…」
深く追求はしないことにした。
「おはなし」にはかなり興味が沸いた。ちょっと目を通してみたい。しかし、お金を出して入手するとか、そういうようなものでもないようだ。絵を描くから、と約束して受け取り、読むだけにしておくことは簡単だ。でも、それはなにか違う気がした。
ごめんなさい、遠慮しておきます。
「どうしてですか?」
えーと、
一度 空を見てから、私も同業者なんです、と言ったら、驚いたような表情をし、そして、少し笑った。
それじゃ、といって去ろうとしたとき
「素敵なおはなし、ありがとうございました。」
…え?
「あの、『同業者』、ていうの。…ちょっとよかったです。」
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まるで「おしゃべり禁止」を強要するかのような、冷たい北風。それになすすべもなく従っているかのような、行き交う人達。私はマフラーを巻き直し、少し肩をすくめて、駅の方角へと歩を向けた。
歩きながら、誰にも聞こえないようにつぶやいてみる。
あれは、「おはなし」のつもりでは、なかったんだけどな。
僕ら業者はコピペはっつければお金もらえるから内容には関心がないんだよ。
みんなも内容見ないで貼付けてるだけの人がほとんどじゃないかな。それと
他の同業者がはっつけたコピペと同じだし、もう3ヶ月前のことだから、
どれが自分のかなんて思い出せないよ。
100個投下したのは3ヶ月前だし、内容見ないではっつけただけだから
同級生がいずれ同業者になる(つまりはコネが作れる)って利点もあると思うよ。
22歳で1年生。残りの学生生活は最短であと5年。
卒業したら少なくとも28歳。
その後2年間の激務であろう研修医生活。
結婚できるのかなー。
それ以降に産むとしても、タイムリミットというものは確実に存在する。
この先結婚して子供ができてからは必ずしも仕事を続けたいとは思わない。今は。
家で子育てして、夫が気持ちよく仕事ができるようにサポートするのもいいと思ってる。
もちろん、共働きでも家のことや子供のことをきちんとできる環境が整い、
尚且つそのときの自分に仕事やキャリアに対する欲や情熱があるなら話は別だけど。
今のところは勉強して卒業して医者になって働くことが目標であり義務に近い。
でも自分の中の自分に対する価値観では、生涯の伴侶を見つけてその子供を産み育てることが幸せ。
簡単に言うと、将来はお嫁さんになって赤ちゃん産みたいです☆ってこと。
まあ先のことはわかんないね。
結婚なんて相手あってのことだしね。
そんで同業者とは結婚したくないと思ってるんだけど、そうするとどこで出会えばいいんだろうね。
10年後って何してるんだろう。
とりあえず今から10年前に思い描いた10年後と現在は、笑ってしまうほどに違う。
というような感じで書いたんだがなぁ…
本当にしたかったのは一体何? 世間に良い物を広めたかった? 社会をより一層豊かにしたかった? 同業者がもっと幸せになるようにしたかった? だったら、素直に彼らの事を祝福すればいいじゃないですか。
http://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2007-07-19_oldman.htm
より良い物は広まった。それはPSOやFF11やGoogleローカルやGoogle Earthだった。
社会は豊かになった。
で、当時に逆戻りして同じ失敗をしようとしている連中に、どうして自分が巻き込まれないといけないんだ? そりゃ冷淡にもなるさ。
PS3のHOMEくらい綺麗な絵だったらもうちょっと注目したと思うよ。
本人の視点だけだと、なんだか理不尽な目にあったかわいそうな客って感じなんだけど、実際出くわすと、立ち去った後に微妙な空気を残す違う意味でかわいそうというか、どちらかというと迷惑な人としてしか認識されないんだよね。
そもそも相手から確実に話しかけられることが分かっている、しかも飯を食う場所でヘッドホンつけたままってのは、室内で帽子かぶってるよりもおかしいんだよね。本来は。コンビニでヘッドホンつけたまま会計するのにも何の疑問も抱いたこともない、むしろ「どこがおかしいの?」くらいコミュニケーション断絶ぶりなんだろうな。
そういう客の隣に座っていて、途方に暮れた店員が混乱したのか「お連れ様ですか?」などという一抹の救済を求められたりした経験のある同業者としてはまるで同情できないなあ。
はてブにもあるが、教員が朝ゆっくりしたい理由が欲しかったのでは?
「学校が児童のためを思ってやった」
たしかに当事者の先生たちは本気でそう思っているはず。少なくとも職員会議で議論されてから実行されているわけで、その時点で(おそらく)多数の教員が賛成しているわけだ。(最近は職員の意見を無視して校長先生ひとりの判断で実行されることもあるが…)
世間から見れば異常な事態が、職員会議ですんなり決まったということは一行目に書いたような考えがあるに違いない。
不幸なことは、教員たちは「私たちのためではない、あくまでも生徒たちのためなのです」と思いこんでいること。
そして親をはじめ、まわりの大人たちがそれを訝しく思っていることに教員たちが気がついていないこと。
根拠はないのだが、同業者の勘としてそう思う。
沖縄市池原にある一般廃棄物最終処分場周辺に群がるカラスと産業廃棄物が積まれたごみの山が、米軍嘉手納基地を離陸する航空機の飛行に支障を来しているとして、那覇防衛施設局が廃棄物処理業者に改善を求めていたことが二十一日、分かった。しかし同業者に搬入された一般廃棄物の九割は米軍基地からの搬入であり、施設局から米軍の要請内容の説明を受けた沖縄市環境課は「米軍がごみの量を減らす努力をする必要もあるのでは」と話している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705221300_03.html
ウケた。
嫌なことを書こうと思う。読んでいる人にとってではない。自分にとってだ。
僕の職場は、正社員とパートの区別はしっかりしているのだが、仕事の内容によっては、ほとんど変らないところもある。まぁ、僕の同業者の方なら何となく判るかもしれない。というか、そういう人には読んでほしくはないのが正直なところだ。
匿名が一応保たれているから書ける話でもある。前置きが長すぎだ。読まれることを前提にしていないが、何処かで吐き出したくなったからここで吐き出すこととする、。日本社会は匿名でなければ吐き出すものも吐き出せない。だから2チャンネルなんてものが繁盛するんだろう。ああ、僕は2chが好きで仕方がない30男だ。
で、最初の段落に戻るが、僕はパートに属している。30でかよと思うだろう。そう、僕はフリータだ。それも、ごくごく限られたこの業界でなら僕の能力は通用するが、それ以外の業界だとまるで使い物にならない。この業界を離れればもう僕は死ぬしかない。大げさかもしれないが真実だ。この業界から追い出されれば、僕はのたれ死にだ。樹海行きという奴だ。・・・全く、ここは2chの株板かよ。
さて、僕には少し悪い癖がある。職場にいる人を好きになってしまうのだ。それだけなら誰でもあるだろうが、僕の場合は最終的にその人との人間関係は破綻することになる。それをもう何度も経験した。仕事に関することなら僕はいくらでも失敗を克服することができるが、こういうことに関しては、全く出来ない。おそらく僕はまともな人生は歩めまい。他の場所で作ることを考えても良いのだが、仕事に一生懸命になっている女の人くらい、綺麗に見えるものはない。
職場の顔ぶれが変ることとなった。いつもこの時期はそうだ。年にもよるが、顔ぶれは大きくも、微妙にも変わる。結局、紆余曲折の末に、僕はパート契約がさらに1年、更新となった。重大な失敗がない限り、僕はまた1年をここで過ごすことになる。重大な失敗をして、冬に消えてしまった人がいるのを知っているから、気をつけないとなぁと思う。で、そんな中で「その人」はいなくなることになった。
「その人」は違う会社に行くらしい。その人との関係は2つ上の段落の通りに破綻していた。昨年初夏の頃だ。酷く面倒なことが僕とその人の間に起こり、解決に失敗した。その結果、口も聞かない関係になった。誰が悪いのかと言えば、僕に決まっている。いつもそうだ。経験から学ばないし、学べない。困ったことだ。その人がいなくなることを知ったのは2日前。驚いた。その人は明るく社交的である。だから職場では人気があった。その人と口をきかなくなることで、職場の空気を若干読めなくなり困ったし、同じ空間にいることが苦痛でたまらなかった。
その人がいなくなる。僕は居続ける。その人の最後の勤務の日。僕もいた。普通に仕事をしていた。僕もだ。その人は周りににこやかに挨拶をしている。僕のところには当然ながら来ない。僕は何度か挨拶に行こうかと考えた。でも行けなかった。僕もその人と話したいとは思わなかったから。普段の挨拶すらもまともに交わしてない。ドラマと実際は違う。その人との和解など、あり得るはずはない。その人は静かに職場を去った。本当に静かにだ。忙しくて挨拶が出来なかったという人もいた。悔しそうな人が何人かいた。僕は悔しがる人に同情するふりをした。演劇部に幽霊ながら在籍していて良かったと思っている。
僕はそのとき。そのとき、僕の心の中は。狂喜乱舞していた。フラメンコでも何でもいい。ちゃんちきおけさでも、阿波踊りでも、本当に踊りたくて仕方がなかった。ガッツポーズを人に見られないところでやったのは認めるよ。ただただうれしくて仕方がなかった。嫌な奴がいなくなった。あの、憎んでも憎みきれないほどのに嫌な奴が。これがうれしくなくて、何をうれしいというのだろう。今年が始まって3カ月。最もうれしい出来事だ。2日前に知ったときの感動はしばらく忘れない。これで苦痛の種がなくなる。自分は思うとおりに振る舞える。
素直じゃないねと、ここまで我慢強く読んだあなたは思うかもしれない。違うんだ。本当にうれしいんだ。だからタイトルにも最初にも書いただろう。「嫌なこと」を書くと。僕はそいつが帰った2時間後に仕事を終えた。タイムカードがある場所は、誰もいなかった。もう大体の人が帰宅していたし、可能な限り帰宅時間が重ならないように努力したつもりだ。タイムカードを押す。タイムカードを所定の位置に戻す。ホッと息をつく。
そいつのタイムカードはまだある。そいつの名前のところ。そこを思い切り、指ではじいてやった。あの音、しばらく耳から離れない。そして、僕は外に出た。世界が違って見える。軽く伸びをした。僕は、これからも仕事を頑張ろうという決意が沸いてきた。久しぶりにいい週末を送れそうだ。空には星が輝いていた。オリオン座が見えた。
最後に、タイムカードをはじいたときの、音のこと。
ぱーんと、いい音がしたんだ。想定の範囲外だった。ものすごいいい音だった。しばらく忘れられないと思う。だからその人に、この場を借りてお礼が言いたい。いなくなってくれてありがとうって。もう二度と会いたくないし、見たくもない。街中でバッタリなんて真っ平ごめんだ。ここまで読んでくれてありがとう。唾棄すべき嫌な奴だと思ったはずだ。それは正しい。だって、僕自身がそう思うのだから。
今回は、読者にとってつまらない記事に見せないための方法である。せっかくいいアイデアにあふれた記事であっても、見た目が悪いと台無しである。
みんなに見てもらいたい記事なら難しい言葉はできるだけ避けるようにするとか、同業者が対象の記事ならできるだけ自分のアイデアが相手に伝わりやすいよう工夫するとか、そういう配慮はしておくべきである。読者はまずタイトルを見て記事を読むかどうか決める。中をのぞいてみて、わからないことだらけでお手上げになったり、誰でも知っていることをさも大発見のように自慢げに語られたりしたら、かなりの失望が読者に起こるだろう。誰が対象の記事を書いているか自分の中で決めておいて、その上で文章を仕上げていかないと、多くの人に受け入れられるエントリは出来上がらないと思う。
文字が詰まっていると、読みにくいどころか、むしろ読めない。段落ごとに一行あけたり、意味段落ごとに小見出しを設けたりして、読者が見やすいエントリを作成すれば、長いエントリでも付き合ってくれると思う。
これはセンスが問われるので難しいが、記事が長文の場合、文章にアクセントがないと最後まで読みづらいことは明らかだろう。テンポがいい文章を書き上げるいい方法としては、
などが挙げられる。しかし、どれも文章のセンスがないとなかなか難しい。だが、やってみるだけの価値はあると思う。ただし比喩に関してはあまり不謹慎なたとえや、通じる人が少ないようなたとえはむしろ逆効果なので、ご利用は計画的に。
あれやこれやと自分が書きたいことをひとつの記事の中にいろいろ書き並べていると、読者がついていけない可能性がある。その場合、いっそのこと記事を2つ以上に分けてしまい、片方ではこれを、もう片方ではあれを、という感じですっきりとした形にまとめるのも一つの方法だろう。
とにかく、記事の方向性がきちんと定まっており、読者が自分のペースでついていけるエントリ作りを心がけるべきだろう。そのためには、
といった方法が考えられる。特に、最後に挙げた「読者がわかりやすい場所から議論を出発する」、というのは意外と忘れやすい上に重要なことなので、心に留めておいて欲しい。
「誰かに読んでもらっているからこそ、自分のブログが成り立っているのだ」という意識を忘れてはならない。確かに、過激な発言で注目を集めているエントリも少なくない。しかし、そういうエントリが注目を集める理由は、過激な発言を行えるだけの根拠を持った記事であるか、読み手にとって共感できる部分が少なからず存在するかのどちらかであることがほとんどである。