はてなキーワード: ワンコインとは
実家暮らしだから、家に3万くらい入れて、残りは全部小遣いになる。
別に贅沢をしてる自覚はないんだよなぁ。
車もないし、女にも興味ない。
酒が好きなので、よく仕事帰りに友人と飲みに行く。でも、別に高級な店に行ってるわけじゃない。1回のお会計で1万を超えたことはない。
ランチは社食でワンコインで済ませてる。たまに外に食いにいくこともあるが、高くても1000円だ。
年に数回近場の温泉に行ってるが、会社の福利厚生で安く済んでいる。
服は、1着1万くらいの安い奴をたまに買う程度だし。
健康のために週1回ジムに通ってるが、珍しいことでもないよな。
どれをとっても、特別贅沢なことをしてるとは思えない。
それなのに全然足りない。いつも、給料日前の1週間はかなり厳しくなって、友人の誘いも断り、欲しい漫画が発売されても給料日まで我慢するくらい切りつめなくちゃいけなくなる。
世の中の、小遣い3万円のお父さんって、一体どうやって暮らしてるんだ? 全く想像ができない。
任天堂の宮本茂やWiiに関するNew York Timesの記事。
http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。
追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも
「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」
宮本茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。
ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。
かの有名なドンキーコング、そしてマリオやゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中のゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。
ミッドタウン・マンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。
宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメントの世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。
そんな宮本さんがもし西洋の人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。
しかし彼自身は任天堂の王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。
インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドをディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」
宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。
宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコング・マリオ・ゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂のゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。
しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参のゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。
ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場はマニアだけが喜ぶニッチな世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長の岩田聡とこの宮本茂(宮本さんの正確な役職は代表取締役専務兼情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアはシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wiiは世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーやマイクロソフトを上回る数字だ。
この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂は北米においてWii Fitを発売。従来のゲームでドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。
世界中でアメリカのメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiとDSの成長により、任天堂は日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者の山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一の資産家となったと報じている。(任天堂は宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産家ランキングには参加していないと思われる)
「宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂の1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」
宮本さんは1975年に金沢美術工芸大学を卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーやアステロイド、パックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。
市場にクソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNES・Nintendo Entertainment Systemである。任天堂はNESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋で1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。
それ以降宮本さんは、最近のマリオカートWii・スマブラX・スーパーマリオギャラクシー・トワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲームも監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。
Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。
彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。
あえて言うなれば、宮本さんがゲームの世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前にスーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストランの行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。
また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。
ディズニーの副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」
宮本さんの生み出すキャラクターがマリオとドンキーコングだけではなく、ピーチ姫やゼルダ、そしてクッパにリンクとゲーム界の有名キャラが目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームのシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターはゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。
「自分としては、私たちが作ったマリオやリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。
宮本さんの最近の作品はマリオのキノコ王国やゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作のキャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsにWii Fit、そして次回作のWii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペット・ボーリング・ヨガ・フラフープ・音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。
「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲームの世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」
このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。
そして強力な武器はもうひとつある。
さて、プレイヤーがゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSのMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組のAmerican Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiのMii機能だ。MiiはWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲームの主人公はマリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。
「私はMiiに関してはマリオやゼルダと全く同じ任天堂の財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲームの世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」
任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroやRock Bandとは大きく違い、作曲や即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。
ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesやLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノやカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージにカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。
そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」
これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。
客「今リッターいくらですか?」
俺「税込み154円ですね」
客「えっ!? 他の店だと147円だったんですが……」
俺「(Yさんのところかな) すみません。当店では154円での御提供となっております」
客「うーん……。じゃあ、いいです」
俺「申し訳ございません。ご来店ありがとうございました」
なやり取りがあったもので、ちょっと思うところを書いてみたい。今の全国平均はリッターあたり約155円。ちょうどうちの単価と同じくらい。じゃあどういう店が安売りできるかというと、いくつかの要因が挙げられる。
1つ目は『セルフスタンド』。これは単純に人件費がかかってないぶん安い。下手したらフルとは10円以上の差が出る。ただ「軽自動車に軽油を入れちゃった」とかの話を聞く限り、あまり車に詳しくない人に勧めるのは若干の抵抗がある。特にこれからの季節は静電気に要注意。あとくわえたばこは周囲から自殺志願者だと間違われるからこれも厳禁。
2つ目は『オリジナルブランド(OB)店』。これはマークに捉われず安い物を買うということで平均して安い傾向にある……らしい。実はあまり自信がない。なぜならうちがOB店だから。安いといっても10円20円は、うちではちょっと考えられない。
3つ目は『直販店』。これはOB店とは真逆だけど、農作物と同じで産地直送のほうが単純に安いという考え。実際に安いし、価格競争では最も有利なポジション。けどY店は直販店じゃない。
4つ目は『油外だけで収益を出せる店』。赤字覚悟でガソリンを売っても収益を確保できるような店は、単純に安い。下手したら卸値より安く売ってる店もある。実はY店はこのタイプの店だったりする。けど、ある店が油外で収益を出せるかどうかなんて一般客はわからないから、結局のところ看板を見ながらの地道なリサーチということになっちゃうんだけどね。
じゃあここで計算を1つ。リサーチの結果他の店より7円安く買えたとすると1ヶ月あたり何円の差が出てくるか。だいたい毎月70リッターくらい使ってるとすると、7円×70リッター=490円……実はワンコイン未満の差だったりする。安いと思う人も高いと思う人もいるとおもうけど、その程度なんだよね。
ということで1円でも安くガソリンを買いたい人には、あえて値段に現れないサービスに注目して店を選んでもらいたいと伝えておく。
例えば一定量給油すると洗車の無料券がもらえるとかポイント貯めるといろんな景品が貰えるとか、そんな感じの値段には現れてこないサービスね。それで十分ワンコイン程度の元は取れるから。といってもこんな感じのサービスは色んな店がやってるから、じゃあどこにすれば良いかというと『窓拭きを丁寧に行ってくれる店』を自分は勧める。っていうかうちの店だけど。俺宣伝乙。
たとえワンコイン高くても、それ以上の誠意をもってお客様のお車を大切にいたします、というサービスステーションでバイトしてる増田からのメッセージでした。
ちなみにこの話は全てフィクションです。お粗末さまでした。
取るに足らない末節の部分に気を取られ、本質を見失う。
だから往々にして、どうでも良いとても下らない事で 折れる。 無様な音を立てて。
それは言い訳でしかなく、時には本当に好きでは居られなかった、という証拠をまざまざと見せつける。
本当に愛していたなら、裏切られた等と決して言う筈があるだろうか。
まず最初やりたかった事は何なのか。
それをどうでもいいものに惑わされて見失ってしまう事ほど悲しい事は無い。
経緯や背景がどうであるとか、後から付け加えられた義務感が重荷なら振り切ってしまっても構わない筈だ。
形の無い言葉を振り払ってしまう程の価値があるのならば。信じているのならば。その程度の力ぐらい充分に有るだろう。
本当に大事にしているのは何か。
それを何故忘れるのか。
それとも本当に大事ではなかったという事なのか?
#ここで「いやそんな筈は無い!」と思うのなら、迷っている場合じゃないと思いますが
そこを譲り渡してしまった瞬間、作品は何かの奴隷になる。
創作である限り全ては第一に作品の為であり、いずれの所有者の為に限った物に成り下がるのは不毛だ。
#「いずれの所有者」とは 創作者と受け取る側 両者を指して言っています。
逆に言えば、誰かに受け入れられない事を恐れて
本来目指そうとした姿を歪めてしまうのは本末転倒である、という事です。
そもそもそれは妄想で、所有者の数が不定(時間と共に増減する)である以上、断定してはならないと思います。
良い反応を期待するにしたって、出てみないと本当の姿は解らないですからね。
「全ての願いを満たす」と作品自らが望まない限り(それがコンセプトとか原点・究極の目的の場合、という事です)
一切の迷いや厭いは多くの人にとって喜ばしくない不純となり得る、という事です。
ましてや、現実として人間には尽くす力に限界がある。 はっきり言うと言い訳だが、これは動かない事実だ。
少なくとも最初からそれが見えている人(露骨に例を挙げるとするならZUNさんネー)は聡い。そしてごくごく僅かだが、そうでない者より強い。
目的に対し盲目ではないが(時に、見えすぎている事は残酷である)、そこへ到る道が最初から全て見える事は決して無い。故に紆余曲折するのだ。
だが周囲は不安である。 自分達の願い(?)が満たされるかに期待を持ってしまうからこそ。
地図の断片を持っている可能性はあるが、基本的に目標を知らないので盲目だ。 故に事有るごとに一喜一憂する。
それぞれの立場で、自分が出来ると思う範囲で足掻く事も、自分がそうしたいと思っている以上良い選択だろう。
だが、そういう意味では最初から期待していない、というのも案外一つの利口な判断かもしれない。
少なくとも思いこみが邪魔をする事や、視野を曇らせる感情的要因…つまり要らない情報の垣根を自ら作る、という事は無い筈だろう。
どんなに自分を強く突き動かすものがあったとしても、それが本当に自分を動かすに足りる物か否かを検める事も大切だと思います。
その垣根が自分を覆い尽くす時、世界は腐り、そして程なく息を引き取るのだ。
時として下らないものが情熱を殺す。 認めたくはない、悲しいけれど殺されてしまう事がある。
私の中にもそういう物が確かにあって、出来るものなら全部大鍋で煮込んで食らい尽くしてしまいたい。
そんな小さな世界のお話。(読み返してみて、視点が一貫してないなあ)
むしろ、こんな話が出来る時点で それは既にメルヘンなのですけどね。
例によって つれづれです。 短いので興味のある方のみどうぞ。
多少激しい文章表現もありますが、攻撃ではなく挑戦的な意味合いで悪意ではありません。
有り体に言ってしまえば、物事が出来てしまう事そのものにはそこまでの価値は無く
そこまでの過程にほぼ全てがある、と言う事になります。
もしもその間に何も無ければ、あるいは限りなく薄ければ
人がそれを行う事そのものに意味が無い というより
それは既に完成してしまっており、人が手を加える余地など無いか、
又はそれが出来ているつもり という事になります。
人が手を加えなくても回る世界であるとしたら、
それはゲームコーナーでコインを入れずにレバーを弄っている子供の姿に似ている。
実際手を加えなくても回ってしまうのですが。 そして手を加えたところで回る保証など無い。
押した力に応じた手応えが返ってくるだけだろう。
思えば、コインを入れるというのは知らず知らずのうちに その決意を表していた行為なのかも知れません。
理不尽な世界に身を委ねる不安と、そこに進もうというささやかな意思がワンコインだったのではないか。
全ては無駄だから、無駄の中に無駄を探し出すしかない。
徒労を惜しむことなく、省みる事すらなく無駄を探しつづけているのです。
幸せが幸せのままでは終わらず、続きの話があると解っていても、
それを求めずにはいられないのですから。
それは期待ではなく、いや最初から期待出来るものではない事を知っているからこそ
ただ力を注ぎつづける と言う事かも知れません。
敵は倒せる様に設計されているだけであって、
基本的に倒されるために出てくる訳ではありません。破壊されるだけの物体のどこが敵と呼べますか。
そうではない場合、他の敵を生かす為に囮として現れる場合か本当に弱い(あなたにとって敵の内に入らない)かのどちらかです。
敵には敵の都合があって当然なのです。 自分で都合の良い状況を作り出すしかありません。
全ての人間が最初から達成出来る確証が有る、というのでは
プレイヤーがわざわざ動かしている意義がありません。
まず「何とかしてもらう」のではなく、「何とかしよう」というのが大切です。
その為の武器は必要以上に搭載されているので、扱い方は各自で考えてください。
ですが極端な話、必要最低限のショットと避けだけでも充分な力を持っています。
自機は敵を遥かに上回る力を持っています。(そうでないSTGも珍しいですが……)
スペック上最強であるのに何故勝てないのか、その理由はどこにあるのか、逆に言えば違いをもたらすのは何なのか。
自機はあの世界でのあなたの強さと弱さをダイレクトに移す鏡です。
経験の有無も影響します。 新しい世界ですから。(STGの基礎的なスキルと共通する部分も多いですが)
最も自由な存在はあなたです。全ての強さと弱さはを自由に伴なうものです。
雰囲気を味わうだけが全てなら、コントローラを握る理由は無い筈です。
凶器を振り回すだけなら、人間でなくても出来る事なのですから。
色々な人がいる。それぞれ違った問題を抱えている。苦手な事も得意な事もバラバラ。
だから適切な難易度と言う言葉は実体を持たず、幻影でしかない。
それは上下の幅の問題であって、ベクトルの軸は一本ではない。そしてそこに中心はありません。
有り得ない”一般のプレイヤー像”に擦り寄って本懐を濁らせてしまう事は危険です。
初心を忘れ、核心は薄れ、誰にも伝わらない物になり下がってしまう罠があります。
人を選ばないというのは甘い幻想だ。本当にそれを目指すなら正直に人の数だけモノを作れ。
プログラムがゲームを動かしているのではなく、プレイヤーがゲームを動かすのです。
なぜならゲームの最後の要素はプレイヤーであり、もっとも自由で多様性の有る要素だからです。
だからゲームに動かされてはいけない。組みこまれてはいけない。何も与えてはくれないし、誉めてもくれないのです。
最も重視したいのは、あなたがそこに立っている意義を。 コントローラを握る意義を。
そう 全てはあなたの尊厳のままに。
……と、言いますが、私は
作り手本位でも、プレイヤー本位で作っているのでもありません。
全ては作品本位です。
もし仮に私が皆さんの事を大嫌いだとしても、作品が好きだと言えば そのように従います。
もし仮に私が皆さんの事を大好きだとしても、作品が求める以上の余計な事は極力しません。(ここで全くしないと言えないのが私の弱さです)
それだけは信じても良いです。
とりあえず、思考をメモすると同時に皆さんの反応が見たくて投稿します。
僕は占星学が好きで独学で地味に研究しています。もう七年ぐらいになるでしょうか。今のところかじってる占いは以下の通り。
○四柱推命系統(7年目。動物占い・0学占い・六星占術など。何人占ったか最早覚えて無いけど500人は間違いなく下らない…はず)
・ホロスコープ(いわゆる星座占い。太陽星座・月星座の研究がメイン。200人ぐらい占いました)
・姓名判断(何を持って大吉として、何を持って大凶とするか研究中。80人ぐらい占いました)
・手相学(生命線・運命線・知能線・感情線・太陽線の五本線に特化して研究中。100人近く占いました)
・エニアグラム(正確に言うと占いではないが人間分類学という位置づけで)
で、色々研究を重ねてきて、得られた実績は以下の通り
・占いを題材に相互理解を進めることで、両親を中心としたが家庭環境が改善(十年かかっても改善されなかった夫婦仲が占いを用いることでだいぶマシに。少なくとも皿が割れなくなりました。)
・大学祭で占いプログラムを作り、リピーター客が来るなどそれなりの成果(利益は4日間で60万くらいだったはず)。しかも二年連続で。
・携帯で見られる占い計算機サイトを作り、屋外での突発的な占いに使用してそれなりに当たっていると言われています。
で、「占い」というものには科学的根拠がないのは正直心底わかってます。僕も以前は信じていませんでしたから。というか私は理系の人間で、しかもSEですから。でも、「この人はこういう人間なんじゃなかろうか」と考えていた相手を四柱推命で占うと、結構それに近い結果が出るのです。適当に誕生日変えてもう一度占ってみると、自分の分析からは大きく外れる。そういうことが50回以上続くので、とりあえず研究することにしたのです。
確かに占いは、胡散臭いものですし、人の心の弱みに付け込むこともできる怪しいものです。でも、占いには歴史があって、それこそ中国五千年の歴史の以前から占いというものはあったわけです。その間ずっと占いは研究され続けてきた。そして今でも占いは存在している。それは占いが本質的だというひとつの証明ではないでしょうか。もちろん、同じところをぐるぐる回っているだけだ、という指摘も否定はできませんけれど。
そして、占い技術の向上に沢山の人を占うことはとても重要です。何故なら占いの結果を現実世界にフィードバックするためには、統計的に多くの人を占わなければ適切な診断が出せないからです。なのでそのうち僕は、街頭もしくはネットで「あなたの人生サポーター占い師」とか名乗って、「ワンコイン占い500円」とかで占い師をやってみようかと思っています。
ただ、そういう行動を起こす前に、はてなの皆さんに占いについて聞いてみたかった。もしよかったら「占いというものをどうとらえるか」をトラックバックなどで教えていただければうれしいです。