はてなキーワード: ヨタとは
叩きではないのですが、
そもそも学術的にはイロモノの域を出ないリスニング学習の本を持ち上げたかと思えば、
その理論部分に問題があるという。
彼が何を書いているのか、最初さっぱり分かりませんでした。
反復学習の効果的側面は臨床データもたくさんありまして、リスニング学習は効果が
限定的だというのは1980年代からさまざまな論文で語られているんですけど。
それで、今度は単なる一症例、それも単なる脳卒中からの脳機能回復の体験談に過ぎない
「奇跡の脳」を山車にして、両者を比較すると言う、心療内科の世界からすると誤謬
としか言いようのない書評を書いておられます。
彼は、
「これははっきりと「No」と弾言させていただく。私にとって言葉は理解と表現の道具で
あっても、思考の道具では実はない。」
とまで言っていますが。
認知学で言うなら、言葉の理解と表現を行うのは、思考の「結果」であって、別物と
かそういう以前に、脳機能のうえで区別すらできないもののはずなんですが。
と言うより、言葉で理解していながら、「思考は言葉で行われる」という基本的過ぎる
主張に「NOと弾言」というのは、甚だおかしいです。意味が分からない。
さらに、
「同書で最も驚いたのは、左脳が麻痺した著者が見た世界が、いかに私が「考える」
時の状態に近いかだった。自己の境界と時の流れがなくなったその世界にこそ、
「マイワールド」なのである」
集中している時の脳活性は自己の境界線(自己的知養)が発現しないのは当たり前
です。言語野が確立していない胎児にいる状態でも記憶は残り、のちに言語化されて
記憶が再整理され、胎児中の記憶が蘇ることは学術的にも確認されていますが、
これ、本論とは一切関係ありませんよね。
「本書の価値は、実践の方にある。ハウツー本にとってより重要なのは、理論の
正しさではなく実践の効果である以上、本書はたとえ理論に納得できないとしても
価値がある。そしてその実践の効用が大きいことは、私自身を証拠として提示できる。
私も「耳勉強法」の実践者だったのだから」
その後も、彼独自のヨタ話が続きますけど、書評で出ている実戦方法と、この人が
「耳学習でかるたを覚えた」と言っていますが、文章記憶を行うのにリスニングが
適しているだけの話で、これを数式や化学式の暗記に応用しろと言われても無理
でしょう。彼が言っているのは、簡単に言えば言語を効率的に習熟するには
リスニングも必要であるという、ごく当たり前のことに過ぎません。
「有名な話しであり、またこの話が「人は見た目が9割」のベースにもなっている
のだが、むしろ私が驚くのは、聴覚が38%もあることだ。」
これも関係ない話ですよね。聴覚による情報摂取比率が脳科学的に高いからといって、
ここで取り上げたリスニング学習法が実践価値があるという意味にはならないです。
むしろ、現在の学習に関する研究では、視覚聴覚などの取り入れる配分をどうするか
というレシピのほうの調査が主で、学習障害が何故発生するかや、集中力との関係
といった分野が大変重視されるのですが、やはり本論とは何ら関係はない。
「ここで、今まで「耳勉強法」が今までそれほど活用されていなかったもう一つの
理由にたどりつく。それは「耳を使うのは非常時」という、耳のもう一つの特性だ。」
もはや、何を言っているんだか分かりません。
緊急時の情報優先が聴覚であるという学術論文は25年間のあいだで読んだことがない
ですね。危機対応能力を求められる職種の人は、嗅覚が鋭くなる傾向にあるという
調査報告がある程度で、聴覚が優先されるなどと言う話はまっとうな論文では
見たことがありません。
非常に不誠実で、不正確な書評で、脳科学や認知に関する基本的な理解が不足した、
問題の多すぎる論述ばかりで、読んでいるこちらが逆に驚いたぐらいです。
臨床データを読みこなせるようになってから書いてください、というわけではない
のですが、知らない、分からないことに対する論述の慎重さ、丁寧さ、誠実さと
いったところが欠けすぎていて、残念に思いました。
ある程度、そちらの方面では専門であるわたしから見ても、まったく無価値な議論
ばかりだな、という印象です。
麻生総理を信じる!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4784941
盲目的とか、信者乙とか、いいように踊らされてる、と揶揄されるかもしれないが、、、
もしそれが事実ならそれは事実として受け止めよう。所詮は自分がその程度の人間だった、というだけの事だ。
しかし、現時点で、今まで自分が受けてきた教育と自身が身に付けてきた判断能力ではっきりと自覚できた。
【どっちが信用できるか?】
「マスコミが信じられない!」といっても記事を書く記者は一人ひとり違うのだから、一まとめには出来ないだろう。
「麻生を信じる!」といっても、いつも常に100%正しいわけではないだろう。
だから、全体的に判断して、【どっちが信用できるか?】という事になるのだが、、、、
もう、決めた。
もちろん、盲目的に信じるといっているのではない。
自分で判断できることに関しては、出来る限り、自分で考え、情報を集め、その上で判断するつもりだ。
だがしかし!!!
不幸なことに多くの国民は、エサを待つ小鳥のように、たた口を( ゚д゚)ポカーンと空けて情報を待っていることしか出来ない。
自分から調べにいける情報も無くは無いが、その情報が【正しいのか?ウソなのか?偏向なのか?】発信者の良心のみに委ねられる情報も少なくは無い。
その情報が正しいか否かを判断するのに、ただ相手への信頼度しか判断材料がない情報というものが山ほどあるのだ!!
というか、そういう情報が大半を占めている!
【情報を鵜呑みにするな!】といっても、鵜呑みしか手段が無いのである。
ためらいつつも口をつけるしかない。
幼い雛鳥は、それがどんなに汚れていたとしても、汚れているかどうかすらも判断できないように。
こと「政治に関する話題」に関して、
私は100%麻生総理を支持する!
そ れ に 何 の 問 題 が あ る の か 教えて欲しい。
一国の指導者の発言を信じずに、金儲けのためだけに這いずりまわる下賎な集団のヨタ話を信じなければならない根拠を教えて欲しい。
独裁?国民を良いように操ろうとしている?どんな指導者でも妄信するのは危険????
もはやマスコミに正義はない。マスコミという集団の中の一人ひとりの中には、まだ信念を持ち、日夜日本のために努力を続ける優秀な記者の方々も居るのかもしれない。
いくら個々人では、日本のために正義を貫こうとしているのだったとしても、集団として、組織として腐ってしまっているのでは信頼できるはずもない。
例えどのような政策を打ち出そうとも、全力で支持をする。
自分の協力できる範囲で、全力で協力していきたいと思っている。
「そんな事本当に可能なのかよ?ww」と他人事のように語るマスコミとは違い、
日本国民の一人として、
「よし、本当に可能になるように、できる限り協力しよう!」と、
傍観者ではなく、当事者の一員として何か関って行きたいと思う。
だって、自分の国のことなんだから。
私はあまり頭が良くないので、一つ一つの政策が本当に正しいのか?
もっと効果的な方法があるのか?本当に正しいのか?
そんな判断は下せない。
だから、麻生太郎という個人をひらすら信頼することにする。
これは自分自身の意志で決めたことなのだから、もし裏切られたとしても後悔しない!
マスコミに裏切られたら「自分はなんて馬鹿だったんだろう、、、、」と思うが、
麻生太郎に裏切られたのなら「仕方なかったな、、、、」と諦められる。
俺は諦めが付く。
飛行機に乗ったらパイロットに全てを委ねなければならないのと同じだ。
フィクションしか書いてないから!
新聞を読まないとか(笑)
と、言う人は、この期に及んで、新聞のどこに価値を見出せるのか、この無知な私に教えて欲しい。
総理よりもTVや新聞が信用できる根拠を示して欲しい。
TVや新聞が何かを否定しても、麻生が否定をしていなれば、私は麻生を信じる!!
J( ‘-`)し「カーチャンはお前がやっていないというなら、お前を信じるよ」
(‘A`)「カーチャン、、、、、、、」
って感じである。これはもう無条件の信頼だ!
もう偏向、捏造はこりごりだっ!!
http://japanese.engadget.com/2009/03/12/scea-blu-ray-ps3/
ソニー:Blu-rayレスPS3はありえません
ゲーマーにはある意味おなじみの技術系アナリストMike Hickey氏が「PS3値下げは数日以内に発表される可能性が高い」「BDなしの廉価版説もある」と語ってから2週間あまり。「数日以内」はヒッキー星の自転周期と地球の一日との違いと解釈するとして、「Blu-rayなし」部分についてソニーが(わざわざ) 回答しています。SCEAのマーケティングマネージャ Kim Nguyen氏がSillion Alley Insiderに語っていわく、「Blu-rayは常にPS3の一部です」。
冷静に考えれば当たり前の話。PS2にたとえるなら、FF10が発売されようかという時期に「やっぱりPS2はDVD-ROMやめてCD-ROMに戻しますわ」と宣言するに等しい無茶。
仮に、このMike Heckeyとかいうのが本気で発言していたのなら底抜けの間抜け。ま、どこかの株でも仕込んだうえでの希望的観測だろう。
あのな、昔っから、こういう質問は何度も人の間でされ続けてきた。
相手が可愛い女の子なら、気取った事でも言って気を引こうとするが、お前なんてただの増田だから、言ってやる。
同じように、親は親だ。親以外の何者でもない。
妹は妹だ。
肉は肉だ。
それ以外の何者でもないから、それ以外に例えようとしたって、他人は全く納得できない。
酔ってる時のヨタ話だって、話者側がよっぽどじゃないといい流れにならんぞ、この手の質問は。
非合理的政策であるとか判断を無くしているとか、現状としてそういえるほどの(宗教が原因と呼べるほどの)実害が見当たりませんね。
非合理的政策は色々あるし、政権に居座ることのみを目的とした数多の政治的不誠実さもまた合理的判断に基づくものとは言い難く。かような集団が国権を左右する立場にあることが害でなくて何なのか判断がつきません。学会票がなければ多数の自民党議員の当選が危うくなるという現状を考えると、とりあえず完全にヨタっている自民党政権を自らの権力野心を満足させるというだけの理由で延命させているのは強烈な実害ではないでしょうか。
また、憲法上の文では、政教分離について「国家権力が信仰の自由に干渉してはいけない」という意味合いにみえますよね。そこから言えば、民主党が創価学会に矛先を向けるのは結局は政教分離違反ではないですか?
民主党は「公明党」に矛先を向けているはずですが、それは創価学会に矛先を向けているのと同じだと仰る?
面白いことを言いますね。
逆に、民主党の打ち出す政策に、非合理的政策や判断力を疑うような言動が時折みられるわけですが、これは何か宗教のせいですか?
立正佼成会がどう、という話をしたいのかな。そういう支持団体と民主党の関係について疑惑があると思うならぜひ国会で追及するよう運動してみたらいいんじゃないでしょうか。賛成しますよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080809155536
横槍だが。hokusyu氏やApeman氏の考えとは違うかもしれないが、俺の考え。
「トリアージ概念の不用意な援用」を「ホロコースト」に喩える のと、「売れない百貨店の切捨て」を「トリアージ」で喩えることの違いの話だな。
これは、命の選別を命の選別で喩えるのと、命の選別を経営上のリストラ正当化で喩えることの違いじゃねえ? あまりに軽いもので喩えてしまったんだよ。お嬢さん相手のカルチャースクールで飛ばしたヨタだっけ?
とある本にあった例なんだけどな。
テトリスと同じルールで、人間を効率よくガス室にぎゅうぎゅうづめにしていくゲームを作って売ったら、そりゃ絶対批判を浴びるよな? そこに、ルールは同じじゃないか、ゲームなんて喩え話なんだから怒るなよ、というのは無理筋じゃないかなあ。
「仮に」アナロジーとして論理的に正当な部分があったとしても、喩えの倫理性ってのは問われうるし、不謹慎ってのはあるわけで。表現の自由に関する議論は当然可能だろうが、そういう倫理的な理解のその上でなお主張されるものとしてあるべきだ。
某掲示板での話。ある有名人のスレで、少し前にあって今は削除された誤送信メールエントリについて話題になった。
俺はその当時まだブログチェックをするほどのファンではなかったので初耳だったのだが、
その内容は友人に送るはずだったメールを誤ってブログに・・という、まぁよくありがちな話。
これに関して「あれ彼氏だったんだろうな」という、これもまたありがちな書き込みがあった。
それを見た俺は妙に野次馬心を刺激され、削除された前後のエントリのコメント欄を見てみると
いくつかのコメントに削除されたメール内容についての断片(送信相手の渾名等)がちらほら転がっている。
それらをスレに書き込んだところ「○○(有名人の名前)のことだよ。付き合ってるという噂があった」とまたありがちな書き込みが。
「んなことあるわけねぇよw」と突っ込みつつも、何故か知らないが今回は妙に気になって仕方がない。
そこで、この2人のブログ記事を過去から遡って時系列的に照らし合わせながら読み進めてみた。
するとどうしたことか、2人は最低でも「親しい友人」だといわんばかりな証拠が次々出くる。まじかよ。ありえない。
もちろん両者のブログに直接名前が出てくる事はないし、どちらか一方のブログだけを読んでも別に普通の内容なのだが、
(例えば「あーこの本をぜひ読ませたい友人がいるのか」「へー友人の一言でブログタイトルきめたんだ」等)
何らかの意図や事前情報を持った上で読むと、はっきりとした意味を持ってくる。
ブログ名の由来、薦めた(られた)本、見たDVD、ロケ先で買った(貰った)プレゼント等々・・・次々に証拠があがってくる。
さらにこれらの証拠を補強するため、グーグルで色々と多角的に検索。
付き合っていると名前の挙がった人についてはほとんど知識がないので、
黒い噂系のヨタは省きつつ(ほとんどなかったが)、過去の雑誌TVラジオ等での発言、好きな本や音楽、交友関係等々・・
とりあえず俺はそうして形を成した証拠の中から最も分かり易い、特定日のエントリを見比べるだけですぐわかるものを書き込んだ。
その後しばらくしてから、何気なしに一方の有名人のブログを見てみると、
さっきの書き込みで指摘した日付のエントリがまるごと削除されているではないか。
「ありえねぇ」という笑いとともに何故かゾッとした。一時間やそこらで調べたものが見事に急所を突いてしまった。
まず驚いたのが「事務所も某掲示板チェックしてるんだ」という事実。しょうじき話半分で聞いてた。
そりゃチェックくらいはするだろうけどまたヨタ話やってるよ的なものだと思ってた。
もうひとつは、有名人ブログなんてバカにしていたってこと。見せたいところしか見せないから。
そこまで戦略的に考えてやらないまでも、事務所に言われて嫌々やってるか宣伝か一日の作業報告みたいなものばかり。
ほんとに面白い有名人のブログなんて数えるほどだし、今回の有名人だってファンじゃなければとても面白くない。
そんなときに遭遇した今回の出来事。都合のいい事と宣伝と単なる報告の山の中に意外と真実や本音が転がってるんだなと。
以上、下衆の勘ぐりはやめなさいという話。
http://anond.hatelabo.jp/20070831141952
大き過ぎて目が行き届かないのなら分かるんだが。がっちりと癒着しちゃって監視機構が働かない、とか分かってても全体に占める割合が大きくなり過ぎて対処出来なくなる、とか?ならばその監視を国が行う(行政・立法府に対する司法府のような、実際に政治を行うのは小規模地方政府に任せて、その監視を国が行う)ってのはどうかな。なんか仮定に仮定を重ねていてそろそろヨタ話でしかなくなってきたからこの辺で切る。
俺が聞きたいのシンプルなことで
どうかだけなんだよね。政治学専攻でもない俺が、これ以上「じゃあどうする」って話をしても仕方ないので、「じゃあどうする」って話じゃなくていいから、今の状態は十分に機能しているのかどうかについて意見を聞きたい。