はてなキーワード: イルミネーションとは
これのおかげで思い出した。
ない。超ない。クリスマスに盛り上がる必要とか超ない。無理に盛り下がる必要もないけど。
このエントリだとクリスマスどーでもいいと思っているのが男だけだが、女も結構どーでもいいと思う人はいる。
自分のまわりだと、長続きすると言うよりも成立も含めて、相方持ちの人はこういうどーでもいいって価値観持っていて、相手もこういう価値観持ってるってきちんと認識できている人だなぁと思った。
それでも頭ごなしに否定するんじゃなくて、盛り上がってる人は盛り上がってればいいしクリスマスと関係なくイルミネーションとかにはきちんと楽しめると言うスタンスぐらいの人。
まぁ実際みんなわりとどーでもいいと思ってるんだろうけど、それがわからずに力入れてしまってつぶれるような人をわりと見た。0距離でも見た。反省。
まさに一人でごっこ遊びしていただけだな。
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
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今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
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「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
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ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
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何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
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「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
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「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
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人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
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―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
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彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
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□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
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問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
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「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
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億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
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ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
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成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
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この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
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カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
====================
今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。
こんばんは、列島深層ダイヴ深夜便のお時間です。これからの15分、いつものようにグイグイと深層に迫ってまいりましょう。
本日のゲストは宗教や伝統儀式にもお詳しいクリエイターの籠目さんです。
「どうも、ディビット籠目です。よろしくお願いします」
よろしくお願いします。
まず、もうイヴも終わりましてクリスマスに突入したわけですが、日本のクリスマスのあり方について籠目さんはどう思われますか。
「たいへんおそろしいですね。ただならぬ束縛と閉塞感を感じます」
おそろしい、ですか?なげかわしいとか情けないといった定番の苦言ではなくて?
「ええ、おそろしいです」
それは今年特に顕著な、何か変化があったということでしょうか。
「いえ、特に恐ろしいことになってきたのはここ30年から40年くらいのことですね」
日本が戦後豊かになってきたあたりでしょうか。クリスマスの商業化などと関係ございますでしょうか?
「深い関係があります。商業化されたクリスマスにのることで、日本国民はそれと知らずに極めて稀有で大規模なことを団結して実践しており、それによって困ったことがおこっているのです」
困ったこと、とはなんでしょうか。
「その前にこの映像をご覧下さい」
クリスマスー粉砕ー!
清らかな夜を淫らな夜に置き換えているカップル共に鉄槌をー!
これはなんでしょうか。
「24日の正午に秋葉原で行われたクリスマス粉砕デモの映像です。本人たちは冗談で行っているつもりなのですが、じつはこれは非常にポイントを突いた主張になっているのです」
笑い混じりでしたし、そんなに真面目なものでもなさそうですが。
「いえ、この主張が訴えている2つのポイントは非常に重要なんです。古来、呪術儀式において性というものは重要な構成要素として扱われてきました」
まあたしかに、有名なところでインドや中国にもそのような思想はありますね。日本の新興宗教でもしばしば儀式に取り入れられて現代的な価値観との衝突を起こしています。
「また、クリスマスは商業化され金や性と切り離せないものになりつつも、キリスト教由来であるという認識はどの日本人の中にも存在しています。この認知は重要なのです」
クリスマスは実は聖書に由来していなくて、太陽神信仰が源流だという話もありますが、ほとんどの日本人は本来はキリスト教のものだと考えているのは確かですね。
「つぎに、この映像を見てください」
なんだか黒い中に光の点がたくさんありますが、これは星空…でしょうか?
「いえ、今現在のアジアを日本を中心に撮影した衛星画像です。ここが東京でここが大阪ですね。」
宇宙から見たクリスマスイルミネーションといったところでしょうか。
「確かに穏当に表現するならそうでしょう。しかし、先月の同じような時間帯との写真と比較してみてください」
これは…現在の方の写真には洋上にかなりの点が増えていて線のようになっているところが違っていますね。
「これ、漁船、海上保安庁の船、海上自衛隊の船からなる光点なんです。ちょっとフリップの上で線を引かせてもらいますね」
幾何学模様の中にくねくねした輪郭が連続していますね。昔の漢字、象形文字のようなものでしょうか。
「これは文字そのものです。陣の中に文字を書き、その陣の要所で大規模な性的儀式を行わせることで実践される、これは世界最大規模の呪術なのです!」
じゅ、呪術?
「クリスマスを『恋愛の要素』として積極的な商業化を行い、しかもキリスト教という観念とリンクさせたまま行うことで、ごく自然に性を取り入れた大規模呪術儀式をとりおこなわせる。これが日本のクリスマスの恐るべき真実なのですっ!」
そ、その呪術とやらが本当だとして、目的はなんですか?最初におっしゃっていた「困ったこと」とは結局なんですか?
「目的は一神教の神格の多神教への繰り込みです。毎年のこの儀式によって世界の唯一の神であるはずの『父』が多神教のうちの1柱に取り込まれてしまい、他の神々という概念の消滅への最終進歩が年々逆行の一途をたどってしまっているのです。『父』による単独の支配、神の国がこのままでは訪れない!なんということだ!」
うわ?照明が消えましたね?
「文部科学省陰陽課だ!今すぐその放送を停止しろ!」「馬鹿!名乗ってどうすんだ!あとで始末書もんだぞお前!」
誰ですかあなた方?警察?
「禁ッ」「籠目!今度こそ捕まえたぞ!」「うわははは今日はここまでのようだな陰陽寮の諸君!」
皆さんご覧になりましたか、籠目さんが今、まばゆく光って消滅しました!
「ずらかるぞ安部!」「名前を言うな馬鹿!」
あ、国家権力の皆さんもいなくなりました。すみません照明つきますか?あ、はい、ありがとうございます。
視聴者の皆様申し訳ございません、毎度のことながら今日もゲストが暴走してしまいました。しかも逃走されるわ国家権力らしき方々が踏み込んでくるわでお見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。
さて、来週も列島深層ダイヴ深夜便は深く深く、真偽を問わず面白いことが起こりそうなところへ潜ってまいりたいとおもいます。それではみなさん、ごきげんよう。
反対派の強硬な姿勢もあり、一時は開催が危ぶまれるのではないか?との懸念もありましたが、予定通り12月24日0時00分よりはじまった模様です。
何も、クリスマスは楽しむだけに存在するわけではありません。クリスマスを提供する側に関わっている人もたくさんいます。消費する側から見たクリスマスばかりが注目されますが、供給する側の人にとっても一年で最大のイベントです。
チキンを揚げたり焼いたりする人。火傷に気をつけて。風評被害にあった会社の人も、負けないでね。ケーキを焼く人。箱に詰める人。売る人。時間が勝負ですね。特に売る人はナマモノだから売り残さないように頑張ってね。スパークリングワインを売る人。車両運転中の飲酒事故の影響で、多くの場合試飲会が出来ないのは辛いですね。売れるといいですね。
レストランの人、ホテルにお勤めの人。あなた方がいるからみんな大事な夜を過ごせます。ありがとう。交通機関にお勤めの人。今夜のトナカイはあなた方です。ご苦労様です。プレゼントを用意する小売業の皆さん、それを手配する商社・問屋の皆さん、それを製造するメーカーの皆さん、お疲れ様です。イルミネーション関係の皆さん、行楽地で働く皆さん、そのほか書き忘れちゃったかもしれないけれど、クリスマスを作りあげる皆さんお疲れ様。
なぁ、もう12月だってな。早くない?
周りはクリスマスできれいなイルミネーションが光ってるけど、なんか、ぜんぜんクリスマスって感覚がないのよね。
誤解してもらったら困るので言っとくけど、これぜんぜん僻みとかそんなんじゃなくって、もう1年終わってまうって言うことが素直に実感できひんのよね。
何で今年こんなに1年過ぎるのが早かったんだろーな。なんか知らんねんけど暇をもてあます時間が多かったなーという気分になってしまう俺。別に暇ではなかったのによ。それなりに用事もあったはずだぜ?
東京にインターン行ったりとか、海外に行ったりとか、クラブに通いつめたりとか、夏フェス行ったりとか、ここでは詳しく言えないがとにかくいろんな場所に行っていろんな景色といろんな人には会ってきたはずなんだぜ?サークルの合宿にも言ったぜ?学校行く時間はちょっとは減ったかもしれないけど単位落とさない程度には出席もしてるし、ちゃんと知り合いにも会うんだぜ?今年は、内容的にはこれ以上ないくらい充実してる。
なんかもっと、満腹感を感じてもいいはずなのよ。それがなぜか、いろいろやった感を感じることができない。何かが足りない。もっと言えばやり遂げた感が無い。なぜなんだぜ?
まぁなぜかって、そんなことはとっくにわかってるんだけどさ。要するにどういう場においても当事者感がまったく無いのよね。つまり、自分が中心になって何か巻き込んでやったったぞー!感が無いのよ。常に傍観者なわけ。傍観。みんなが仲よさげに楽しんでいるのをちょっと遠巻きに眺めてるだけなのさ。そういう性分なんだろうかね。完璧にどっぷりそのコミュニティーにつからずに((時には1対1でも))、片足だけ入れておいて、反対側の片足でいつでもほかの面白いことを探している状態っていうか。ひどいよ俺。プライベートで人なんてめったに誘わんからね。誘われたり、それこそちゃんとした行事とかなら行くけど、行ったら行ったで結局中途半端に楽しんで終わる。片足だけしか入れてないから。だから、全員初対面とかだとものすごい気楽になる。いつもの1.3倍くらいは饒舌になる。まぁその初対面の集団でも結局みんなが仲良くなり始めると傍観者になってしまうんだけどね。周りから助けてもらうことも頼られることも無い代わりに、自分からも(よっぽどじゃない限り)助けないし頼らない傾向が強い。
別に悪気はあるようで、無いのよ。なんか、どっぷりそのコミュニティにつかっちゃうと自分の視野とか価値観とかをいたずらに狭めてしまわないかな、っていう強迫観念みたいなのがあるわけ。あとは、逆に自分が傷つけられるのが怖いんだと思うわ。やみくもに動いてかっこ悪くてきまずい思いするぐらいならむしろ動かないほうが身のためだ、って思ってしまう。だからといって行動力が無いわけではないんだけどね。一人でならどこまでもバイクで行ける気がする。この前の夏休みのインターンの時は、休日になると東京を1日4時間はひたすら歩いていた。ぜんぜん苦じゃなかった。誰の気を遣わなくてもいいから。
プライドが高いのだろうか。実際は全然そんな自覚無くて、逆に俺ってだめだなーって思うほうが多いんやけどね。ハリネズミのジレンマってこういうことを言うのかな。でも、よく考えてみたらわかることなんだけど、そのコミュニティ、集団に深くかかわらないことにはその集団の当事者になれないのは当たり前の話なわけでね。俺はそこにジレンマを抱えている。わいわいすること自体は大好きだから、輪の中に入ってわいわいやりたいんだけど、入りすぎることも恐れる。いったんわいわいできない空気を感じ取ると、必要以上に自主規制をかけてしまうのよ。ひねくれてるのかなぁ俺。だから、俺は広く浅い付き合いしかできないんだよって自分で思ってるからな。自覚してる。ただいったん自分でそう思い始めると余計にその性分に磨きをかけることにつながるわけで以下無限ループ。
そうして俺の周りには中途半端に仲のいい友達と中途半端に仲の悪い友達がたくさん、そりゃもうたくさんできましたとさ。
なんとなく話がそれたので戻すが、とにかく今年という年がなんとなく足早に過ぎていったのはそういうような理由からなんだろうと思う。当事者感を味わうためには自分の行動を改めなくてはいけない。多分このままだと俺は何をやっても充実できない気がする。まぁそれは言いすぎだけど。来年から治すぞって言ってすぐに治るもんでもないと思う。この性分はおそらく高校からの積み重ねであり、生きにくい世の中を生きるためのその時々の自分なりの処世術としてその時代その時代に作用してきたから。じゃあどうするんだよ。このままでいいのか。またジレンマ。
なんだか今までの悲しい出来事がぶっ飛んでしまうくらいに悲しい事が起こらないかな。それか逆に、めちゃめちゃ幸せすぎてバク転して骨折るくらいのいい事が起こらないかな。どっちにしても、よっぽど衝撃的な、ことがないと俺はだめになる。そういう電気ショック的な衝撃が無いと俺は生き返れない。でまぁ、そうやって考えのどつぼにはまると呼び込んでしまうのは前者のほうであってね。悲しいことなんていくらでも容易に想像つくのに、思い切りいいことって想像できひんくない?
そんな淡白で虚無的な気分でいっぱい。
非リア充かといわれれば微妙なところで、人によっては「十分な生活じゃないか!」って思うかもしれないけど、俺にとっては何かが足りないんだよ。
追記:http://anond.hatelabo.jp/shibuyan730/20071126自己分析のための大学生活伝2.0を書いたのは俺。併せて読んだら俺のことが6割ぐらいはわかります、って誰も知りたくないっつうのね。
はてなが本当に風で動いているのか確認してまいりました。
まず、日本自然エネルギー株式会社のホームページを確認いたしましたところ、
お支払いいただいた費用は、グリーン電力認証機構への申請業務等事務処理コストを考慮して、当社から契約している自然エネルギー発電事業者へ支払われます。発電事業者はこれを発電設備保守や新規発電設備の設置等自然エネルギーの普及に充てています。
と書かれておりました。
■企業のイメージアップ
環境報告書やCSRレポートへの掲載や、ご契約時に提供している「Green Power」マークを利用した環境PRにより、企業のイメージアップが図れます。
ご契約いただいた電力量をある特定の建物、工場等で使用する電力の一部に置き換えることにより、「この建物で使用する電力○kWh分を自然エネルギーでまかなっています。」等のPRが可能です。また、そこで作られた製品は、「自然エネルギーから生まれた商品」と位置付けられます。
コンサート、展示会、イルミネーション等イベントで使用する電力として活用することにより、環境への配慮がアピールができます。
と書かれておりました。
つまり、はてなの「風で動いています」とは、宣伝行為以外の何者でも無いわけです。
しかも、「この建物で使用する電力○kWh分を自然エネルギーでまかなっています。」等のPRと説明されている部分を、勝手に「はてなのサービスは風で動いています」とまるではてなの全てが風で動いているような誤解を与える表現に変えています。
これは、完全に詐欺です。
したがって、「はてなのサービスは風で動いてます」は誇大広告であり、私たちは誇大広告の取り下げ訴訟を起こす準備を始める準備をしています。
「風で動いています=クリーン」というイメージを植え付けることは、本来の環境活動からかけ離れたものです。
みなさん、騙されてはいけません。
はてなは、風で動いてはいません。
着々と街を飾っていくクリスマスのイルミネーションは、きっと特別な何かでできている。
その何かは、僕から心の温かさを奪って、
その温かさを恋人たちに分け与えるはたらきをする。
そしてその何かは、電気ではなく、その過程での余剰エネルギーでもって発光しているのだ。
だから僕はあんなにきらびやかな光を見ているのに、心が寒く、ひもじい。
だから恋人たちはあのきらびやかな光を見て、きっと、たいそう心を躍らせる。
そしてだからこそ僕は、あの光に近づける自分になりたいのに、なぜかあの光を遠ざけてしまうのだ。
光っているのは、僕の温かさだったものだから。
いつの間にか失って、もしかしたらもう二度と取り戻せないかもしれない僕自身だから、眩しすぎるのだ。
もう一度、温かさを求めに行こう。寒さで心が凍え死ぬ前に。