2023-10-12

藤井聡太主人公作品はありえない」という話がかなり嫌いな部類だ

主人公=最終的に最強という考え方はなんだかテレビゲームっぽすぎてどうにも好きになれない。

今、日本国内には450人のプロ棋士がいる。

石を投げてその中から主人公を決めるなら、藤井聡太主人公になる可能性は0.27%程度だ。

最強であることが主人公の条件だと言うなら、そうじゃない棋士の大多数、タイトルに絡める見込みが薄い80%ほどはモブキャラなのだろうか?

自分は全くそうは思わない。

それぞれが主人公物語がある。

プロ棋士の多くが地元最強としてブイブイ言わせてきた歴史を持っているだろう。

中には地元時代から番手ながら「いや単に俺のライバルが強すぎるだけやろ」とプロ棋士の道を諦めなかった人もいる。

もうこの時点で個性的主人公だろう。

世の中の全ての人間主人公資格があると思うし、その中でもプロ棋士になった人の資格はもう十二分、200%以上の主人公力が450人全員にある。

それなのに世間は「藤井聡太こそがこの時代主人公である」と語る。

そうか?

別に最強であることは主人公の条件じゃないと思うが?

物語を続けていくうちに主人公が最強になってしまうこと自体はよくあることだ。

成功を積み上げさせて続けることがシンプル気持ちの良い物語構造となり、それを続けているといつの間にか頂点まで来てしまうという社長 島耕作的な流れがあるというだけだ。

だが、それを逆から見て「最終的に最強になる人が主人公である」という考え方は結論を急ぎすぎというか、ネタバレから逆算し過ぎではないか

正しいことが主人公の条件でもなければ、結果により積み上げたもの価値証明することが主人公の条件でもない。

もしこれが「魔王 藤井聡太」なら分かる。

魔王が最強であることを条件とするのは仕方がないことだ。

ラスボスを主役とした物語としての「藤井聡太伝説」はまあありだろう。

そしてそれはそもそもラスボスが主役なのだから「強すぎてありえないと言われる」というのもおかしな話だ。

まあ結局のところ、「藤井聡太主人公物語は成立しない」と言ってる人は物語構造に対しての理解が薄いのだ。

というか、そこそこに地頭のある人間なら生きているだけで分かってくるものが分からない程度の知能しかないというだけの話だ。

長く語りすぎた。

「よく言うアレだけどさ、アレって馬鹿戯言だよな」に長く時間を使いすぎた。

俺もどうやら馬鹿の部類らしい。

同じレベルで争ってしまった。

  • 今どきのヤングははなから最強の主人公に自己投影するらしいですよ

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