話題になっている話。
漫画の作中で、「生きているだけで嫌われる」と大ゴマではっきり主張している。
生きているだけで嫌われるのであれば、その夫たる人物にも嫌われるはずで、そんな人と結婚はできない。QED。
それは言い過ぎだとしても、「生きているだけで嫌われる」人間が、夫たる人物に出会って結婚するほど好かれるまでには、尋常でない壁があるはずだ。
相当努力して、自分を改造したか。あるいは相当努力して、自分を取り繕ったか。
そこまでのエピソードがあるのであれば少しくらい作中で触れられてもいいところだが、それは描かれない。
あるいはこの人はほぼ全ての人類に嫌われるが、その夫たる人1人には好かれたのか。
そうであるならば人類の中でそのたった1人との出会いは極めて奇跡的で運命的で神に感謝すべき出会いということになるはずだが、やはりそのような描かれ方もしていない。
実際には、おそらくそんなエピソードはないのだ。他の増田も書いていたとおり、偶然にいい感じで出会い、偶然にいい感じで好かれたのだろう。
それはいい。それはいいのだが、ならば「生きているだけで嫌われる」はどうしようもなく嘘ということになる。
たぶん、この人の「生きているだけで嫌われる」は相当大袈裟で、実際には、他の人よりも普通に接していて嫌われる率が高い、くらいのところが真実だと思われる。
他の発達障害の方が描く漫画も同様に、「生きているだけで嫌われる」「誰もが私のことを消えてほしいと思っている」などと書くが、そのくせ恋人はできるし、さらりと結婚もできる。
そこは敢えてさらりと済まされる。必ずと言っていいほどだ。
なぜそこをさらりと済ませるのか。
それは、自分がパートナーと出会い、好かれ、結婚できるまでの過程を詳細に書いてしまうと、その中で「自分も場合によっては人に好かれることができる」という事実がばれるからだ。
つまり、「生きているだけで嫌われる」が嘘だということが透けて見えてしまうからだ。
それは本人にとって非常に不都合なのだ。なぜなら、「生きているだけで嫌われる」はその人の根幹にあって、まずその前提に立ったうえで世界のすべてを見ているからだ。
しかし、好かれて結婚するくだりを避けて描くということは、本人も薄々気付いているのだ。
自分はある程度ちゃんとすれば、そこそこに好かれもする程度の、人よりちょっと嫌われやすいくらいの人間に過ぎなかったということに気付きたくないのだ。
増田に生息しているKKO(キモくて金のないオッサン)を自称する者たちも、よく「生きているだけで嫌われる」というような内容を口ずさんでいる。
ところがこの人たちからしたら、自分は本当に異性に好かれないし、結婚もできない。
生きているだけで嫌われると嘯きながら異性には好かれるなどと、嘘をつくなということになるのである。
まあKKOは置いておいて、とにかく嘘はよくない。
まずは自認を正しくしてから、半生を語るなりなんなりするのがよい。
単に人当たりの好かれ嫌われが激しいってだけでは? めっちゃ嫌ってくる人もいるけど好いてくる人もいて、後者と結婚したの。
それは、自分がパートナーと出会い、好かれ、結婚できるまでの過程を詳細に書いてしまうと、その中で「自分も場合によっては人に好かれることができる」という事実がばれるからだ...
anond:20221022201602
ASDって書くと発達障害っぽいけど、並び替えてSADにすると情緒障害っぽいよな ナタリーポートマンやスカーレットヨハンソンが演じると凄い絵になりそうなキャラになる
草 たし🦀