2022-03-17

樺太の恵須取にいる

ウグレゴスクって言った方が今の日本人には通りがいいだろうか。恵須取では今、闇原油と闇小麦取引が盛んだ。

俺は稚内業者に頼まれた。その上は札幌名古屋拠点のある企業で、その上には商社。多分。

船を回す。原油価格が落ち着いたからこんなことはしなくなるかもしれないが、闇小麦はしばらく続くだろうと現地のロシア人が言っている。

小麦の方が断然やりやすい。闇原油は取り扱える場所業者が限られる。

小麦は、名前が変で長ったらしくて文章になっているパン屋パンに使われるのではないかロシア人アレクセイが言っていた。

中国人の孔は闇液化天然ガスまで商おうとして、ロシア人日本人ふくめたいつものメンバーの談笑の種になっている。

俺の祖母先の大戦時ここで暮らしていた。恵須取からからがら綿を抜いた布団の外側と、鍋一つだけ持って小樽に逃げてきた。2個前の船は撃沈されたそうだ。

祖母の息子である俺の父親は引き揚げ後、北海道の営林署の簡素な舎宅で生まれた。

祖母製紙工場で働いた。まだ雪の残る恵須取の荒漠とした草原地を見る。事前に工場場所地図で調べてきたが、1度や2度の訪問ではさっぱりわからない。

戦争のせいでこの場所2023年に来ることになったのだが、そもそも祖母戦争のせいで1945年にこの地から離れることになった。

もとは恵須取という名の通り、アイヌ語地名に由緒がある。もともとはは樺太アイヌの住んでいた土地なんだろう。

仕事上の書類にはウグレゴスクと書かれているこの土地だが、何となくだが、俺はここを恵須取と言ってしまう。

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