これはね。
凄い簡単なんだ。
テーマソングを聞けばいいんだよ。
『ファイター/BUMP OF CHICKEN』を。
迷い多き人生の中でありたい自分としてあろうとする少年の心とそれに呼応するように花開く才能、これこそが3月のライオンという作品であり、少年漫画なのだ。
多様な人間模様の中で素晴らしい恋人や友人と共に社会の一員としてお互いにすれ違い認めあいを繰り返す、これが3月のライオンの少女漫画部分。
この両者の違いは物語の主軸・主体が「自分の中」にあるか「他人との関係の中」にあるかなんだな。
物語においてジェットコースターが乱高下を繰り広げる時、少年漫画における嵐の中心は個々の少年少女の心の中にこそあるけど、少女漫画の嵐の中心はお互いの関係性の中にこそある。
少年漫画では心の嵐に対して悟りの境地を見出すことで解決を図るが、少女漫画の場合は時にはその嵐さえお互いの共感のための道具として関係を育んでいく。
3月のライオンではこの両者を取り扱っているので、緩く見れば「少年漫画であるし、少女漫画でもある」が答えになる。
なぜなら作中における嵐の多くは個々のキャラクターの内面において巻き起こっているから。
複雑で厄介な人間模様も繰り広げられるが、それ以上にフォーカスされるのはこの世界の中で強く生きることを求められ続け人間たちの叫びだよ。
棋士は強くなくちゃいけないし、将棋はメンタルが影響するから精神的な強さを求められる。
でもそうじゃない人もそれぞれの戦いの中に居て、それぞれが強くなくちゃ生きていけないって強いられ続けている。
「人生って強くなることを強要されるか負けて全てを投げ出させられるかの連続じゃん」って話の中で「その中でもめっちゃ強くないといけない棋士はすげーな」って話なわけ。
究極を言えば作品がフォーカスしてるのは将棋棋士一人一人の内面に吹き荒れていく執念とそれに振り回される一個人としての人間性なんよ。
一人の人間の中で起きている感情の大渦に少年や老人たちが立ち向かっていく姿こそが3月のライオンの本筋なんだ。
ファイターなんだよ。
3月のライオンが描いてるのは。