25歳にもなりろくな職にも就かずふらふらとしていたが、そんな私の生活にも終わりが来る時はある。もうしばらくしたら、25年間惰眠を貪った部屋と脛を齧った自分の親元を離れ、遠くで細々と働きながら暮らす。
何をするわけでもない間に老いた両親と離れて暮らすのはなんとも申し訳ないが、だからと言ってこれ以上世話になるのも気が引ける。私は「旅立ち」と言うには薄汚れた、遅い巣立ちの時を迎えたのだ。
しかしそんな両親にも懸念点がある。一見仲睦まじい両親だ。老いてなお息子を支えるために協力する姿は、子からすれば1番の理想と言っても過言ではない。
きっかけは些細だった。帰宅したら黒い女性用ボンテージランジェリー姿の父親がいるのだ。一瞬何がなんだかわからなかった。頭が真っ白、という表現以外思いつかないほどに混乱した。
別に何をするのも父親の人生、そもそも苦労をかけた身としては「やめろ」なんて言える訳はないし、言おうと思わない。しかし、この家は両親と私で住んでいる。母親は知ってるはずもない。知り得もしないものを、急に脳に叩き込まれた。私はどうしたらいいのかわからず、1回目は見なかったことにした。
もちろん、2回目もあった。その時は、少し小言を言った。たしか「何をしようと父親の自由だが、流石にびっくりしてしまう」とだけ言った気がする。本心だが、言った後に1人で考えている際、「そこじゃないだろ」と自分にツッコミを入れたのは言わずもがなだ。
そして今日、3回目があった。今回は前の2回とは勝手が違う。自分がシャワーを浴びる際、見慣れないボトルがあったので見たら「LOTION ANAL」と書いてあった。流石に笑ってしまった。
仏の顔も三度まで、今回ばかりは父親に話をした。父親がしまい忘れたローションをタオルでくるんで隠しながら、ゆったりしている母親を別室に押し込めた。我ながら今思うと阿呆らしいが、ここでミスをすれば人生が終了するかのようなプレッシャーを感じていた。それを取り出し、父親に見せた。父親は、気まずそうな顔をして動揺を隠しながら、平静を装っていた。「別に何をしようと勝手だし自分の好きなことをするのは構わないが、家で隠そうとしてるのに隠せないなら家でやるのをやめろ」と言った。そして父はどこかにそれを隠し、また座りながら煙草をふかした。
正直、気づかないフリをした方が良かったのかもしれない。または母親に隠さない方が良かったのかもしれない。全くわからない。何をしても、今までの「家族」として見ていた映像が瓦解するのでは、という感覚に苛まれる。我ながら、無理を通した。
確かに父親が何をするのも止められないが、父親の性具が転がっているのを見るのは息子としては最悪である。母親のナプキンを見てようわからんと思っていた頃よりも微妙な気持ちがある。父と母の性行為を想像するのに抵抗があるように、父親と母親と性事物が同時に視界に入るのは、頭がぐるぐるしてしまう。
どうかフィクションであってくれ