大衆というものはとても貪欲で、普通の人が考えるよりも遥かにコンテンツを食べるんだよ。単位時間あたりに消費するそのコンテンツの量はゾッとするほどだ。
大衆向けのコンテンツで地位を確立するためには、質とか知名度とか味よりも、まずは量が必要となる。というか、ある程度の量がないと味わうことが出来ないから、コンテンツの味の判別ができないし、旨いか不味いもわからない。
そしてある程度認知されて、このコンテンツは旨いぞとなったあとにも、ファンをつなぎとめておくためにはまたまた量が必要になる。今度は単位時間あたりにどんどんおかわりを出さなきゃならないという、供給マラソンの始まりだ。
コンテンツ業界に置いて、アマチュアと商業を分けるのは、要するにこの供給マラソンを可能にする生産システムやインフラだ。
ブロガーが何者にもなれず吉本がYoutubeでも大きな顔をしていられるのは、大衆の貪欲=供給マラソンという現実にたいして応答できたからであって、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、冒頭にも書いたけれど、大衆のコンテンツ消費ってのはほんとに凄まじい消費量だよ。クリエイターとしてその怒涛に立ち向かうってのは、ほとんど大衆の奴隷になるってのに等しい。知名度や地位を確立して、業界の上位ほんの数%になれば自分のペースで仕事できるかもしれないけれど、それは本当に稀有な才能と天運が必要だ。そこにいたるまでには、週刊連載の漫画家がそうであるように、あるいは下積みの芸人がそうであるように、私生活を投げ捨てるような修羅が必要となる。
ブロガーが何者かになれない現実がもし仮にあるとしても、それはブロガーがブロガーであるからそうであるわけではなくて、ブロガーが修羅にならず人間のままだからそうであるに過ぎないと思うよ。そして別段それは悲観するようなことじゃないと思う。修羅より人間のほうが、大概の場合幸せだから。
anond:20210627225508
何者増田声デカすぎてびっくりするよね
ほんこれな
9割かはわからんが「何者かになりたがってる人たち」がノイジーマイノリティの可能性はあるな。 表現で食っていこうと思う人達はみな何者かになりたいと思っている、これは事実。 ...
哲学的な話でいうと「何者かになろうとしない人間」ってのはほぼほぼ獣で非社会動物だし、そんな人間は実際ほとんどいない。 「そこらにいるのほほんとしたサラリーマンになりたい...
たぶん『何者系』『人生云々』は自己愛性なんちゃらだと思っている あらゆることが驚くほどに浅いし365日構ってをしている 改めていうが『嫌い』 [よくあるやつ] 元増田に人間は生物...
なるほど。 私の場合、「自己愛性なんちゃら」な人でも面白いなくらいの感覚なのと、もっと漠然と多かれ少なかれな誰もが持ってるバイアスにハマってるくらいにとらえてるな。 言及...
×貪欲 ○暇
anond:20210627225508