2021-02-24

人はなかなか変わらない

大学生だった頃、少ない友人とよく連んで話をした。

山岸仮名)は服が好きでおしゃれなやつだったが、社交性はなく引っ込み思案なところがあった。根本仮名)は世間ズレしたやつで、いつもほぼ同じ服を着ており遠くからすぐに見つけることができた。わたし大学に入ったことがゴールのようになっていて、目標を失ってふてくされていた。わたしたちは共通点があった、3人とも友達を作ることがおそろしく苦手だった。同じ学部の隅っこに追いやられた3人は、しょうがいか連携をした。

3人は部活サークル見学に行ったが入らず、授業以外の時間はいくらでも空いていた。概ねバイト時間を潰したが、それでも時間は余っていて、よく集まっては議論した。社会情勢のこと、株価のこと、単位の取れる講義のこと、世の中への不満、恋愛観、自分たちのあるべき姿。議論、といっても着地点のすり合わせは行わない。ただただ自分の思ったことを話し、時に反発し、たまに少しだけ納得した。大学の周りのほとんど何も無いような夜道を歩きながら、ああでもないこうでもないと話し続けた。おそらくお互い以外に話し相手がいなく、ある種の発散として議論は行われていた。

大学卒業タイミングにはズレがあったが、3人とも無事に卒業はした。山岸はちゃっかり銀行系、根本は働きたくないと言いながら派遣わたしは夢を追ってクリエイティブ系。同じ大学、同じ学部の吹き溜まりからでも進路は分かれるものである

わたしたちは生き方についてよく話した。無難に生きるか?趣味こそが人生なのか?何かを成し遂げることこそが生きる意味なのか?話しに話したが、3人の進路を見ると始めからあるべきようにあっただけ、3人とも議論の中で人生方向性が変わったことはなかったのだろう。

きっと、自分肯定したい、もしかしたら肯定してほしいと思って話していたのだ。変わらない自分、そうあるべき自分像を固定するために、言葉を並べてあるべき姿を描き続けたのだ。昼も夜も、何年間も、ずっと。

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