結構前からある問題だが、日本人と韓国人の価値観の違いが顕著に現れている事例だと思う。
日本人からすれば、大正浪漫という言葉は大正時代の文化でしかなく、外国の情勢などは全く考慮しないのに対して、韓国側は大正時代に受けた迫害を反省せず浪漫として侵略の歴史を賞賛していると考えているようだ。
大正浪漫という言葉の意味を韓国人が取り違えている事例については、もっと勉強してほしいという一言で済むのだが、その意味を知った上で歴史的反省がないと主張する韓国人がいる。
ここに私は違和感を感じるのだ。
歴史の反省というものは、個人の価値観に植え付けるものではない。加害国の国民は永遠に反省を背負って過ごすことが償いだということではないということだ。
反省というものは、政治的な制度に反映させるべきものである。ドイツでいえば、恐ろしい政権が生まれたことを反省して形式的法治主義から実質的法治主義へと制度を変えた。日本も知っての通り、敗戦後、戦争の反省から平和憲法が制定された。
人の考え方は変化するものであるが、その中でも直ぐには変わることのない制度というものがある。