2019-11-09

大正浪漫にキレる韓国人に欠けた視点

結構からある問題だが、日本人韓国人価値観の違いが顕著に現れている事例だと思う。

日本人からすれば、大正浪漫という言葉大正時代の文化しかなく、外国の情勢などは全く考慮しないのに対して、韓国側大正時代に受けた迫害反省せず浪漫として侵略歴史賞賛していると考えているようだ。

大正浪漫という言葉意味韓国人が取り違えている事例については、もっと勉強してほしいという一言で済むのだが、その意味を知った上で歴史反省がないと主張する韓国人がいる。

ここに私は違和感を感じるのだ。

歴史反省というものは、個人価値観に植え付けるものではない。加害国の国民永遠に反省を背負って過ごすことが償いだということではないということだ。

反省というものは、政治的制度に反映させるべきものであるドイツでいえば、恐ろしい政権が生まれたことを反省して形式的法治主義から実質的法治主義へと制度を変えた。日本も知っての通り、敗戦後、戦争反省から平和憲法が制定された。

人の考え方は変化するものであるが、その中でも直ぐには変わることのない制度というものがある。

反省を求めるのであれば、人々ではなく、制度に求めるべきではないだろうか。当時を生きていない人がほとんどの現代では特に

そもそも他国文化否定するのは失礼だからやめようね!文化政治を結びつけるのもやめようね!

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