日本において合計特殊出生率が最低を記録したのは2005年です。
就職氷河期の最後が2005年度卒とされていて、出生率低下は就職氷河期により新卒の雇用が不安定だったから、なんて言われますが本当でしょうか。
2005年の日本で何が起きていたのかというとフィリピン人に対して興行ビザ発行を絞りました。
それまでは年に6万人とも8万人とも言われるフィリピン人女性が興行ビザにより日本へ入国し、働いていました。
日本は人身売買の温床、みたいなことをアメリカや国連に言われたので色々と(割とすぐに)対応し、その一つが興行ビザの発行を渋ることでした(これによりフィリピン人女性は興行ビザが切れる前に日本人男性と結婚するか、帰国するかの二択を迫れれました)。
興行ビザを減らしたことでフィリピンパブは2004年がピークに以降は徐々に減っていきます。
合計特殊出生率の底は2005年で、2005年に向かって徐々に低下していたわけですが、フィリピン人女性など外国人女性が(言葉は悪いですが)性のはけ口を担っていたため合計特殊出生率が徐々に低下していた可能性があります。
2005年から非モテの性のはけ口は少なくなる一方で、10年後にマイルドヤンキーと呼ばれ理由もなく馬鹿にされる層が高卒から順調にキャリアを積み結婚し子を設けはじめ合計特殊出生率が上昇に転じたと考えられます。
ちなみに、ミシェル ウエルベック の「闘争領域の拡大」(非モテが原因で死ぬ話)は2004年11月に日本語訳が出版されています。元は1994年に出版されているので、当時の世相・雰囲気から日本語訳が出版されたのでしょう。