2019-07-23

あのブログの人(&あの監督)は京アニに対する解像度が高すぎるんだよな

アニメーターとか演出家に興味がなく、作品にだけ興味がある一般ヲタからすれば、

その中で働く無名スタッフ達それぞれの画風やら作風やらの違いなど判別できるわけないので、

ぼんやりとした京アニらしさが戻ってくれば、それで京アニは復活したことになる。

一方でそれぞれのスタッフ名前と画風作風が一致するような人間からすれば、

いくら似たような画風、テイスト作品が作られたところで、その間の微差がわかってしまう。

前者にとってはアニメクリエーターは「技術者」だが、後者にとっては一人一人が「作家」。

技術は再びそれを再現するものが現れるかもしれないが、

作家性は唯一無二。その人以外には手にすることが出来ない。

後者から前者を見ると、まるで技術だけを評価し、その裏にいる人間を人として見ていないように思えてしまう。

一方で前者から後者を見ると、生き残った人には「技術」を再現できないと馬鹿にしているように見えるし、

逆に「技術」が失われたことを嘆いているように見え、非人間的だと思ってしまう。

でも悲しみが大きいのは後者。当たり前だ。名前を知っている分より近しい存在と感じているからだ。

多くのヲタ京アニへの悲しみが、やまゆり園への悲しみより大きいのと同じだ。

まあだからといって自分より悲しみの少ない人を攻撃していいものではない、

ただまあネットというか言葉の難しいところというのもあって、

感情の大きさと言葉の強さはちぐはぐになりがちだし、

自分立場他人評価無意識的に意識しているのではともやもやを感じるのも分かる。

ただ俺たちは勝手にに悲しむから嫌なら見るんじゃねえよと俺らが言うもんでもないと思う。

同じ解像度の目を持つ人間が、心配りをしてやれればいいのだが。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん