どうやら俺はオタクが好きなのではなく、社会不適合者が好きだということ。
オタクの皮を被った実質ただの人間関係野郎と会った時には鼻で笑い、関わる価値のない存在だと思った。
しかしそれ以上に、アニメもラノベも漫画もたくさん消費していて、それでいて人間関係も性関係もきちんとやっていっている人間に遭遇した時には、言いようのない殺意を覚えた。
彼の話すオタクトークは分かりやすく、確かに面白かった。しかし、彼が健常者であるというだけで、それは聞くに値しないものに感じられてしまった。
彼は俺よりもオタクとして深くやっていっているのは理解できた。それなら敬意を払ってこそ然るべきだと頭では分かっていても、生理的な嫌悪が拭えなかった。
これまではオタクと会うのが楽しいと思っていたのだが、それは単にオタクと社会不適合者はかなりの程度重なり合う集合であり、
俺がそれまで関わっていたのは大部分がその論理積であったというだけなのだ。
だからオタクではあるが健常者である存在に触れると、ただただ不快なだけだったのだ。
というかそもそも俺自身は社会不適合者ではあるが、オタクではないのかもしれない。
いや、もしかしたら不適合者ですらないのかもしれない。
完全な健常者では決してないにせよ、不適合というほどでもない。
何せ障害者手帳を持っているわけでもなし、少なくとも書類上ではこの上なく「まとも」な人生を歩めてしまっている。
俺が社会不適合者だというのは高度に俺の主観及び俺自身の自発的な行動に依拠しているものである。
そうだとするなら、俺が社会不適合者と関わって楽しいと思えている理由は、単に社会不適合者を見下して優越感に浸れるから、ただそれだけではないか。
健常者にも不適合者にもなりきれず、本物の不適合者を見下すことだけが生きがいで、オタクを装ってはいるがその実大して対象への愛もない、空っぽな出来損ない。
人間関係野郎ってなに?
俺も同じだわ 心のどこかで「ああはなりたくない、ああじゃなくてよかった」って思いながら仲良くしてるネ友ばかりが増えていくんだよな
世の中はグラデーションなんだよ 二値にきめようとしなくていい 決まらなくて資源を無駄遣いするだけだ