いちおう内容は腑に落ちたし、最初から最後まで自分のことを言われているようで、ここに書かれていることが実現できたら良いだろうな、と一瞬だけ思った。
次の瞬間に思ったことは、自分はちょっとした勇気も出せない意気地なしだし、間違った認知を変えるようなことも出来ないし、幼少時の教育に原因があるとは言っても親のせいにしてはいけないのだし、こうなった原因は自分にあるのだし、結局最低な人間であることは変わらないのだな、ということだ。
これまで薄々感じてはいたけれど、何十年もどうにか生きてきたが、最近、ちょっとしたきっかけですごく落ち込んでいて、こういう系のキーワードでググってサイトを見たりしているので、自分を愛するというのがどういうことかちょっとだけわかったような気がするが、それによってわかったのは、自分は自分を全く愛してなんかいないということだった。
本当の自分を認める?怖くてとてもできそうにない。これまで何十年も本当の自分を偽って生きてきたことは理解している。その偽りの世界は、本当の自分とは異なり、社会的で、輝かしく、人に羨ましがられるような、そんな世界だった。偽りの世界で、結婚し、家庭も持ち、借金もできた。本当の自分を認めるということは、すなわち、偽りの世界をぶち壊すということだと思う。偽りの世界であっても、家族は実際に生きている生身の人間なのだから、突然世界がぶち壊されて借金と共に露頭に迷わせるようなことはできない。
だから、やっぱり自分は偽りの世界で生き抜かなければならないのだとあきらめている。偽りの世界にいる以上、誰かに愛されることも満たされることもなく、おだてられ、都合のいいように使われて、ボロ布のように死んでいくのだろう。
オーロラなんか1回も見ないで死ぬ気がする、というフレーズがあったが、まさにそうだ。楽しいことなんて何もない、会社で怒られながらもどうにか首はつながっているので給料を家に運び、スマホでソシャゲかソリティアで時間を潰している。夢なんかない、あるような気もするけれど、あえて目をそらしていたので、もうわからない。
こんな意識ではとうぜん会社でも業績は上がらないので、早かれ遅かれ辞めさせられることになるだろう。田舎だし、もうオッサンなので次の仕事は見つからないと思う。偽りの世界を自分でぶち壊そうとしなくても、勝手に壊れていく。地獄の始まりか。家族に対して、せめて、できることは自分が死ぬことで住宅ローンがチャラになることくらいか。偽りの世界も、うまくいっているときは、それなりに楽しかったよ。