2017-10-10

こんな推理小説が読みたい

職業柄というより性分なのか、データから答えを導くことを常に考えている。現実世界データは膨大なので、ノイズは適切にフィルタしなければ使いものにならないが、ノイズノイズとするためにはノイズのことを知らなければならない(調べなければならない)し、それは書籍から得ることもあるが、経験から得ることのほうが有用なことが多い。大量のトライフェイルの末に「洗練されたシンプルデザイン」にたどり着く。

「洗練されたシンプルデザイン」とは、ある目的のためだけに、隙間なくビッシリと詰め込まれもののことではない。現実世界では、隙間(あそび)や冗長必要だ。隙間がなければ、電池が膨らんだり燃えたりするクソのようなデバイスになるし、冗長がなければ、ちょっとした変更にまったく対応できない、クソのようなソフトウェアになる。過ぎたるは猶及ばざるが如し。白河田沼バランス計画的に。

んで、何の話なのかというと、まったくノイズのない推理小説は味気ない。ノイズフィルタしていく過程提示しつつ、推理を進めていく作品を読みたい、ということを書きたかった。

話は変わるが、たくさんの本を読んでようやく、ミステリー推理小説ということが理解できてきた。とてつもなく広い「ミステリー」という分類のひとつに「推理小説」があって、推理目的としていない「ミステリー」はたくさんあることがわかった。5W1Hがあれば、ミステリーと呼んでよいのだろう。そして、それは誰かが推理して解き明かすという形式にこだわらなくても(たとえ最終的に謎が解明できなくても)ミステリーと呼んでよいのだろう。ということは、「いったい何があったのか」という翌週へひっぱるアレも、「いったいどこにいるのか」を山口達也が見つけるアレも、「4Fで止まったあとに来たエレベーター臭いのはどうしてなのか」というオナラも、それらがすべてミステリーなのだ。こんなシンプル結論にたどり着くまでに、たくさんのノイズ・・・・・・

それと、キャラ付けというノイズ大好物だ。つまり、それを求めるならば、ミステリーじゃない本を読んだほうが手っ取り早いのだろう、ことにもようやく気が付いた。それでも、読んでみたいと思っているミステリーがまだまだあるから書店に行くとたぶんミステリーを手にしてしまうのだろうけど。

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