休日朝起きると母親が私の足元で化粧をはじめることがイラっとした。
と言いたいことろだけれど、実際は逆で、毎日毎日恨みつらみを垂れ流す私に母親の方が我慢ならなくなったというのが正しい。
結局、私は本当に言いたいことを正し形で人に伝えることができず、もやもやとした不快な感情だったり社会への不満に置き換えていただけなんだ。
本当に言うべきだったのは「私がいるときに嫌なことをしないで」というその一点であって、本当に不快でやめてほしいのなら、やめることが母親にとってどんなに負担でストレスなのかは考えた上で、それでも私の気持ちとしてはっきり伝えるべきだったんだ。
逆に、「大学の金持ちのぼんぼんが気に入らない」「男性中心社会に不満だ」「特定の職業者の子息は一生金に困らないと豪語してる」みたいな私がよく言う言葉って、確かに意味がない。発言してそこから母親と私の関係が深まる可能性はない。
それどころか、こじらせる原因になる。だってその言葉を通じて私が母親に伝えたいのは「もっと私をかわいがって」「かわいそうな子だから手厚く保護して」みたいな気持ちであって、それは邪道というか、ズルなんだよ。
本当に可愛がられたいなら、私が前進するしか方法はない。不条理はたくさんあるけど、不条理を気にして周りをきょろきょろしているのは、自分が動いてないから。死んでるのと同じじゃんそんなの。
今までそりゃそれなりに大変だったし、母親の人格を見て育ってきたんだし、自分ばかりが悪いわけじゃないよ。引きこもってしまったのも、生まれ持った心の強さに対して負荷が大きすぎたからかもしれない。だから自分を責めなくていいよ。
でも、少しずつ、毎日一歩ずつなら動きはじめることができるんじゃない?
まあ、少しでいいよ。例えば、ネット見ながらぐるぐる落ち込んでしまう時は、はてなに気持ちを書き出すとかね。
そもそも、それができるようになっただけで立ち直り一歩目は大成功だよ。自分で自分を癒す術、書くっていう「型」を見つけられただけで一財産だと思う。
人格の基礎工事に取りかかれてよかった。考えすぎる性格で無駄な心労も抱え込んだけど、ぐちゃぐちゃの基礎部分を掘り返すことはできた。もうとっくに二十歳こえてるけど、すっからかんの基礎を、できるだけ良い素材で埋めていきたい。
良い方に変わっていこうね。もう変わり始めてるんだから、歩みを止めないだけでいいんだよ。