そもそも事実を書いてない場合は言うに及ばず、意見のために事実を都合よくピックアップしてる。
もしも、「どの新聞でも事実部分は同じ」であるならば、事実を頭に入れつつ意見の違いをふむふむと読めるが、事実からしてあてにできないものだから、読者としてもペーパーを丸ごと否定しなきゃならなくなる。
と言って紙面にも限りがあり、ファクトチェックする力(余力、能力)もなかろう。だから、記者はイデオロギーに沿った読み物を書くしかできない。
こっちが知りたいのはまず事実なので、あんまり新聞を読む気にはならなくなっちゃう。
新聞紙は野菜をくるんだりに便利だけど、別に定期購読しなくても紙だけ買えたりするし、ホームセンターとかスーパーで買い物したらサッカー台に積んであるのを包装紙として使ってたら、生活に困らないくらいは手に入る。
子供の頃、娯楽がなくて貧乏だったのもあるが、日がな新聞紙を広げて、怪しい広告に疑問を持ったり、詰将棋コーナーの問題を考えたり、成人映画の上映情報のタイトル見て密かに興奮したり、自分の県では映らないフジ・テレ東系列の番組表(隣県の局のテレビ欄)のアニメが羨ましかったり、力士の出身地を全部覚えたり、そうしていろいろと「もともとの興味外のこと」を新聞から学んだ。
娘は五歳になるが、テレビは基本録画視聴でCMは全スキップだし、ニュースも興味ない。
自分が知ってるもの、見たいものだけ見て生きていくというのは心配なことだ。
よその子も似たようなものみたいだが、家々で選択しているものが違う(うちはプリキュア、よそはここたま、みたいに)ので、友達から新しいモノを知るのは昔と変わらないみたいだ。