罵倒語は受け手に寄るところが重視されるべきだし、その内容が関係ないとしても強い言葉には拒否反応を示す人もたくさんいる。
特に死ねと言う言葉は罵倒語として最も強烈なもの。忌み嫌われて当然な言葉。
そんなものに公的なお墨付きを与えると言うのはその後の影響も全く考慮されておらず、倫理的に問題がある。
ヘイトが大きく問題として取り上げられるこのご時世にこの言葉を許容する意味がわからない。
2.そもそも流行ってない
日常的に「保育園落ちた日本死ね」と言う言葉が使われる、そんな会話がありましたか。
「〜死んで欲しい」なんて愚痴は世間どこかしこに転がってるのは事実だろうけど、それをカジュアルに流行と認めるのはどうかしてる。
3.政治的に一石を投じたからと言う擁護が流行語として全く関係ない
ほとんどの擁護者の意見がこれなんだけど、流行語に政治的判断はおかしいだろ。流行ったかどうかで判断すべき。
流行語としての「日本死ね」を否定するとあの内容を否定しいてるように言うのもおかしい。
切り分けてるよ。内容はその通りと思ってるよ。しかし流行語大賞?公的に「死ね」と言う言葉までの擁護は前述の通りありえない。
委員会は倫理的判断を持って言葉をノミネートして行くのみで後はネットを通じた投票が時代的にも良いんじゃないかと。
擁護者の意見でたかが流行語大賞なんだから目くじら立てるのがおかしいと言う意見があるくらいだし、たかが流行語大賞ならネット投票も許されるだろう。