フジロックから帰ってきた会社の先輩が、少し遅れてポケモンGOをはじめた。
既に課金しまくっていたぼくや同僚のアドバイスを「ほうほう」と聞きつつ、少しプレイして「えっ。これってストーリーないの?」と驚いていた。
小学校低学年の頃に赤緑が発売され、青、ピカチュウ、そして高学年になると金銀が出た。先輩は、そんなぼくの三つ上の年齢。子どもの頃に初期のポケモンを楽しんだ世代だ。
「スマートフォンでゲームをしたことがない」と話していたので、ポケモンというコンテンツに期待し、久々にゲームを触ったのだろうと思う。
しばらく、オフィス近くの複数のポケストップにモジュールを使い、ポケモンを捕まえ、アメをため、ポッポやビードルを進化させて経験値を積む…ということを繰り返す。
要領を得てきた先輩が、ポツリと呟いた。
「おれたちがやってること、なんかロケット団みたいだな…」
ポケモンを乱獲し、経験値のために進化させ、不要なポケモンはどんどんアメと交換する。
子どもの頃にぼくらをワクワクさせてくれた「ポケモン」とは、明らかに異質なものだ…。
ポケモンを捕まえる以上に、育てることが楽しかったし、一匹のポケモンを進化させるかどうかはとても大事なことだった。
先輩の「ロケット団みたい」という言葉は「一匹一匹のポケモンに対して愛を持たない大人」になってしまった、今のぼくたちを巧く表現していた。
ゲームの世界が現実と混ざり合い、バーチャルとリアルが相互に作用しあうテクノロジーは、ぼくたちに新しい体験を与えてくれる。
一方で、街から街へと一瞬で移動したり、ポケモンに乗って海を渡ったり、“ゲームの世界だからこそ”できた体験は、どこかに失われてしまったようだ。
「船に乗ったり、洞窟を探検したり…もっと冒険したかったなあ…」
アプリを閉じた先輩は、少し残念そうな顔をしていた。