現実にはそうでない人間の方が多数派だが、それは力を持ったものが少しずつ方向転換させ、
お互いの考えの違いがあれば説明して理解し、どうしても受け入れられないところは違うことを受け入れる。
そうやって可能な限りお互いが理不尽に嫌な気分になるのを未然に防ぐべきだと、それが相手を思いやる気持ちだと思うのだ。
しかし、そういうのはめんどくさいらしい。
自分が原因で相手が嫌な思いをしても相手は受け入れるべきで、それを許すべきだと考える人もいる。
それでは迷惑をかけたもののみが得をし、周囲の者は損をしっぱなしではないか。
大多数の人はあるがまま、お互いを受け入れようという。
世の中の争いの多くは利己的な振る舞いと、他者への気遣いの少なさに起因すると思う。
よりたくさんの人が利他的な思考を追求することで世の中が良くなるだろう。
めんどくさいと思われるのが関の山だ。
文章にすると疲れる人間だと思われるだろうが、実際にはそこまで個々の所作について言及することもなく、
疲れている時や機嫌の悪い時の振る舞いはある程度仕方ないと思っているし、笑顔で見過ごす。
だが、根底にそういう向上心のようなものを持っていないことを知ると、途端に相手に対して恐ろしさを感じてしまうのだ。
まるで人の皮を被った昆虫、動物。そのように見えてしまうのだ。
私は利他性や理性こそが人間を人間として扱うための必要条件としているのだろう。
今まで人間のためにしていた行動も、実は相手が人間でないと知ってしまった時、無意味なものに思えてしまう。
急に今までの人生が無駄に思え、自分の生きている意味を見失うのだ。
私はおそらく考え方が偏っているだろうが、これを見た方々の意見を聞きたい。
わかる。相方を思いやらない恋人って存在価値あるの?って思った。 >それでは迷惑をかけたもののみが得をし、周囲の者は損をしっぱなしではないか。 これを現実世界で伝えた方が...